今回の実例は、報道記事から。
日本でも報じられていると思うが、英国政府の*1保健大臣 (Secretary of State for Health and Social Care; the health secretary) のマット・ハンコックが、英国で一番売れている下世話なタブロイドの一面にでかでかと恥ずかしい写真を掲載され、ウェブサイトではその様子をとらえた映像(動画)まで掲載されたあとで、辞任した。辞任の理由はその「恥ずかしい写真」に至った行動そのものではなく、その行動によって自分が人々に出していたソーシャル・ディスタンシングという行動制限(同居していない人との距離・間隔はしっかりあけること、というもの。英国では当初「2メートルの間隔を空けること」とされていたが、2020年7月4日に「マスクなどほかの感染対策がとられていれば1メートル強の間隔でよい」と緩和された*2)を破ったことであった。というか端的に、下世話な言い方をすれば、「既婚者が、浮気の現場を激撮されていた」ことによる。
ハンコックという人は、ボリス・ジョンソンが感染したときに感染して、ジョンソンほどではないがかなりつらい思いをしているのだが、基本的に無為無策の人でイングランドでこの新型コロナウイルスの感染拡大を招いた張本人の一人とみなされているばかりか、個人的なお仲間にパンデミック対策のお仕事を受注させていたりと、保守党を支持しない人々からはずっと強く批判されてきた。そしてハンコックの「恥ずかしい写真」が流れたとき、私の見るTwitter上は、改めて「辞めろ」コールであふれかえった。パンデミックが始まってほどなく、英国(イングランド)政府が最初にソーシャル・ディスタンシングを導入してすぐに、当時それを提言した専門家チームSAGEのメンバーだった学者が、同居していない恋人を自宅に入れていたことが発覚して、SAGEを辞任するということがあったのだが、それを引き合いに出して「ファーガソン教授が辞任したのだからハンコックも辞任すべき」とする声が大量にあり、「70年以上連れ添ってきた伴侶を喪っても、弔いの席に1人座るよりなかった女性がいるというのに」という言葉をそえてエディンバラ公の葬儀の場でのエリザベス女王の写真を掲げる投稿があり、そして「私の大切な祖父が死の床にあったときに、私は行動制限を遵守して会いに行くこともできず、手を握ることも目を見かわすこともできなかったのに」といった個人的な体験を書き表した悲痛な投稿もあった。
そう、問題は「浮気」ではなかった。「同居家族以外とは身体的な接触をするな」というお触れを出した当の本人が、同居家族以外の人を抱きしめてキスしていることが問題だった。だからこの「浮気、不倫、不貞」という個人的な問題は、公益に属する問題となる。
To be crystal clear, this picture was taken with 2m social distancing rules still in place at workplaces.
— Rachel Clarke (@doctor_oxford) 2021年6月25日
The issue here is not Matt Hancock’s infidelity - it’s his world-beating hypocrisy.
Write the rules. Tell the little people to obey. Then break them with impunity. pic.twitter.com/JU79roRvsG
*the issue of public interest, I should stress.
— Rachel Clarke (@doctor_oxford) 2021年6月25日
レイチェル・クラーク博士(医師)のこの連ツイの2番目にある、"of public interest" は、ひとつの定型表現として覚えておくとよいが、文法的には《of + 抽象名詞》の形である。
さて、こんな映像がなぜ撮影されていて、どうしてThe Sunにリークされたのか(通常、防犯カメラなど設置されていない、内部の者しか通らない場所に、被写体を鮮明に撮影することができる画角でカメラがあって、その映像をThe Sunが「スクープ」したんだから、生半可なことではない)という問題はハンコックの進退にカタがついても残されるのだが*3、ともあれ、ハンコックは「陥れられた被害者」の顔をして、《謝罪》の言葉を口にする(英国ではこういう場合、形式的にでも "I regret" や "I'm sorry" の一言を言うのが普通である)こともなく辞任を表明し、ジョンソンはすぐに後任を選んだ。当初、保健大臣のポストの経験者であるジェレミー・ハントの名前が挙がっていたが、最終的に決まったのは、2019年夏に当時ジョンソンの腹心だったドミニク・カミングスと対立して政権を去った当時の政権ナンバー2(財務大臣)のサジド・ジャヴィドだった。これはびっくりした。
というわけで今回の記事はこちら:
*1:ただし英国は保健行政はウェールズ、スコットランド、北アイルランドの各自治政府が行うことになっているので、実質的には「イングランドの」と言うべきかもしれない。英国は実に、ややこしい。
*2:Source: https://en.wikipedia.org/wiki/Social_distancing#Avoiding_physical_contact 'The United Kingdom first advised 2 m, then on July 4, 2020 reduced this to "one metre plus" where other methods of mitigation such as face masks were in use.'
*3:ジョンソン政権は当初「その件については調査を行う考えはない」という方針だったらしいが、調査は行うことにしたらしい。形式的なものにすぎず、きっと「法的には何の問題もない」という結論はもう決まっているだろうけど。