このエントリは、2020年11月にアップしたものの再掲である。
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さて、亡くなったディエゴ・マラドーナは、母国アルゼンチンやクラブの一員としてプレイしたことのあるナポリやバルセロナでは圧倒的ヒーローであろうが、イングランドにとっては因縁の相手だ。1986年のワールドカップ(メキシコ大会)の準々決勝で、マラドーナの反則を審判が見逃したことでイングランドが敗退したとして、イングランドでは今なお怨嗟の的となっている。頭で押し込もうと飛び上がったのに出たのは頭ではなく手だった、という、いわゆる「神の手 (the Hand of God)」ゴールである。この件は下記で概略くらいはわかる。「神の手」はマラドーナ本人の言葉だ。
「神の手」ゴールがイングランドで恨まれている理由は、さらに大きなコンテクストに置いて考えたほうが分かりやすいかもしれない。この4年前、1982年にアルゼンチンの沖に浮かぶ英領フォークランド諸島にアルゼンチンが侵攻したことで軍事紛争が発生し、英軍は255人、アルゼンチン軍は649人もの戦死者を出していた。この紛争は3か月ほどで終わったが、紛争以降1990年まで、両国は国交断絶の状態にあった。つまり、試合のあった1986年の時点では、イングランドにとってアルゼンチンは「絶対に負けられない」敵だった。その敵のエースが、よりによって反則行為をし、それが審判によって見逃されるという形で、勝利を奪っていった――というのが、イングランド視点での物語である。
これは、かつて英国にひどい目にあわされた世界中の国々で、半笑いを引き起こすことになった。「へえ、イングランドが『ルールを守れ、反則反対』だって。あの、イングランドが、ねえ」という感じで。
一方、イングランドでは「マラドーナの反則」が繰り返し繰り返し蒸し返され、「マラドーナといえば神の手ゴール」というのがすっかり定着している。少なくともタブロイドでは。
訃報に際してもイングランドの*1タブロイドが、「神の手」にちなんでうまいこと言ってるということがTwitterで伝わってきたとき、私は口の中が苦くなるような感覚を覚えた。
Thursday’s Mirror:
— BBC News (UK) (@BBCNews) 2020年11月25日
“He's in the hands of God”
#BBCPapers #TomorrowsPapersToday pic.twitter.com/pe01rDXh6G
"in the hands of God" は、handが複数形であることからもわかるように、「神の両手に包み込まれて」。神の懐に抱かれているというイメージだ。これ自体は悪い言葉ではなく、むしろ、キリスト教の文脈ではよい言葉なのだが、わざわざ「神の手ゴール」の写真を持ってきている以上、よい意図で選んだ言葉だとは絶対に言えないし、そもそも編集部はそんなことは言うつもりもないだろう。
マラドーナ本人はこんなのはちょっと肩をすくめてやり過ごすかもしれない。だがタブロイドの言葉は、究極的には故人本人に向けられたものではない。それを見る(そして買う)イングランドの一般の人々に向けられたものだ。これが「ウケる」と編集部が判断したからこうなっているのだが、それは何よりまず「イングランドの外にいる敵」の存在によって自分たちが強くなると思ってしまう人々の存在を際立たせている。
これは偉大なフットボーラーの追悼ではない。イングランドのナショナリズムの煽動だ。
これをやったのはミラーだけではない。
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