今回の実例は、2018年2月14日にアメリカで発生した高校での銃撃事件から1年を迎える前にガーディアンに出た「コロンバインからパークランドまで: 大量銃撃について私たちはいかに誤った解釈をしていたか」という文章から。
この文章の筆者はジャーナリストのDave Cullen (デイヴ・カリン)。1999年4月20日のコロンバイン高校銃乱射事件を最初に取材したジャーナリストたちの一人で、事実確認より速報性を重視したことが原因で生じた誤報(「トレンチコート・マフィア」説)の当事者の一人。彼はその誤報の経験を踏まえ、非常に丁寧な取材を行なった結果を一冊の本としてまとめた。それが事件から10年となる2009年に出版され、高く評価されたColumbineという本(下記)である。日本語訳も出ている(下記)。
- 作者: デイヴ・カリン,堀江里美
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2010/07/10
- メディア: ハードカバー
- 購入: 1人 クリック: 17回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
さて、今回見るカリンの文章は長い文章だが、実例は、コロンバイン高校事件の犯人についての「誤った物語」(英語でいうmyth, つまり「神話」)と、それを信じた上でコロンバイン高校事件の犯人を英雄視し、自身も大量銃撃犯となった者たちについて述べた箇所から。
キャプチャーした部分の上には、筆者が1999年4月20日以降に分析してきた大量銃撃事件(2007年ヴァージニア工科大学、2011年ノルウェーのウトヤ島、2017年ラスベガス)についての記述があり、筆者はそれを受けて「心穏やかではいられない傾向が現れた。これら大量殺人者の多くがコロンバイン高校銃撃事件のエリック・ハリスとディラン・クレボルドを模倣しているのだ」と展開している。
そして、あるひとつの事件について具体的に述べている。2012年12月、米コネティカット州ニュータウンでのサンディ・フック小学校銃撃事件だ。この事件については、当時の英語圏の速報のツイートなども含めて一箇所で閲覧できるようにしてあるので、興味のある方はご参照いただきたい。
The FBI released more than 1,500 pages of documents about the horror at Sandy Hook elementary school in Newtown, Connecticut in 2012, when Adam Lanza killed 20 first-grade students and six members of staff, as well as his own mother. It details just how obsessively Lanza was following Harris and Klebold. He amassed a hoard of Columbine information on his hard drive, frequented a chat room dedicated to the attack, and role-played the killers in an online game. If only this were an isolated incident.
サンディ・フック小学校での事件について、FBIは1500ページに及ぶ報告書を公表した。銃撃犯であるアダム・ランザは、自宅で同居する母親(銃のコレクターだった)を撃ち殺してから小学校に向かい、児童20人と教職員6人を殺害し、最後は自分も死んだ。そのランザが、エリック・ハリスとディラン・クレボルドのことを非常に熱心に調べていたということが、そのFBI報告書に詳述されている、という。ランザのコンピューターのハードドライヴにはコロンバイン高校の事件についての情報が大量に入っていたほか、この事件について話し合うネット上のチャットルームの常連でもあり、ネットでハリスとクレボルドのロール・プレイング・ゲームをやってもいた。
そしてそれは、サンディ・フック小学校銃撃事件のアダム・ランザに限ったことではない。このことについて、筆者は「これが他とは切り離された(単独の)案件であってくれさえすれば(しかし現実にはそうではない)」と述べる。そこで使われているのが《仮定法過去》である。
《If only +仮定法過去》は「~でありさえすればよいのになあ」という意味で、"If only this were an isolated incident." は "This is not an isolated incident." と書いても【言っていること(意味)】自体は変わらないのだが、その文章に込められた気持ちの伝わり方が全然違う。
逆に言えば、仮定法はこういう場合に用いられる形である。気持ちを言うのにたいへんに効果的な形なのだ。
例えば「土曜日、空いてたら映画行こうよ」と誘われたが、先約が入っているので行けないと返事する場合、単に「行けない I can't」で答えるより、「行けたらいいんだけど I wish I could」と答えたほうが、「残念だけど、無理」と思っているという気持ちがずっと伝わりやすくなる。
日本の学校で英語を習った人にとって、多くの場合《仮定法》は「高校2年で習う、何だかめんどくさい文法」「そんな難しいことはできなくても、英語は通じる」というイメージかもしれないが、実のところ、自分の気持ちを相手に伝えるための表現で、友達同士の日常会話でも頻出の表現である。敬遠せず、自分でもどんどん使ってみるとよいだろう。
一億人の英文法 ――すべての日本人に贈る「話すため」の英文法(東進ブックス)
- 作者: 大西泰斗,ポール・マクベイ
- 出版社/メーカー: ナガセ
- 発売日: 2011/09/09
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 12人 クリック: 68回
- この商品を含むブログ (51件) を見る
なお、今回の文章はかなり分量があるが、余力があればぜひ全文を読んでみていただきたい。要点は私の連続ツイートを参照。
From Columbine to Parkland: how we got the story wrong on mass shootings https://t.co/Mh3n6xlMjP 20年前、コロンバイン高校銃撃事件で当日現場に入った記者。その後今まで続く「コロンバイン高校銃撃犯崇拝」を引き起こした《神話》創出に責任を感じている。現場で9時間取材しても銃撃犯の動機は
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
続…わからなかった。帰りの車の中で聞いたラジオは音楽を流す局はなく、各局コロンバイン高校の事件のこと。報道は過熱していた。そしてそれらの初期報道は「動機」を伝えていた。だがそれは全くの誤報だったことが後からわかる。しかしそれは《神話》化され次々と追随者を生み出し、多くの命を奪った
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
'... the primary narrative, still with us today, of two bullied, loner outcasts from the Trench Coat Mafia exacting revenge. It’s a powerful story, but entirely fictional. Every element of that narrative would turn out to be false. But that morning, ...'
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
'The next morning, I did something worse. I changed my story.' 記者は自分が現場で確認したことではなくテレビやラジオで「確認済の事実」として流されていることに基づいて記事を書いた。後にこのときの誤りを検証し、誤報は事件後数時間という短時間で「事実」として確定されていったことを確認
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
'Most of the major myths still haunting us solidified in those first few hours. Over the course of that afternoon, reporters went from asking if the killers targeted jocks and black people, to asking kids to confirm reports of the targeting, to beginning to state it as a fact.'
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
取材する側があらかじめストーリーを決めていて、それに合う当事者の言葉を切り貼りして「報道」の出来上がり……というふうにコロンバイン高校銃撃事件の《神話》はつくられていった、と。
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
'Because it made a great story. Not just to journalists, to the survivors too. The nation was desperate for an explanation, and bullying jocks made plausible targets. It didn’t just fit, it explained everything.'
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
理解しやすい《物語》の力で「特定の標的」説と「無差別殺戮の意図」の証拠が新聞一面に並んでいても、まず誰も矛盾に気づかない。(アメリカではそういうことはイラク戦争の正当化のときにも見られた。)
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) February 10, 2019
コロンバイン高校事件では、速報性のみを重視したメディアが、カリンが述懐しているように集団心理に陥ったかのようになり、「人々にわかりやすい物語」を求めて点と点を勝手に結びつけ、ありもしない「物語(神話)」を事実であるかのように伝えた。そしてその初期報道は翻訳され、全世界に行き渡った。事件のあった1999年、インターネットは使われてはいたが、今のように「人々がニュースをチェックするにはまずネット」という時代では全然ない(当時のインターネットは、学者が学術研究で使ったり、個人が趣味の情報交換をしたり時間つぶしをしたりするもので、ニュースはテレビや新聞でチェックするものだった)。日本にいる私にとって、外国のニュースを継続的に追うことは、今ほど簡単ではなかった。
その初期報道は後に修正されていったことは確かかもしれないが、私はかなり後になるまで、初期報道の「トレンチコート・マフィア」説が事実だと思っていた。実際に知り合いには、事件から20年となろうとしている今もそう思っている人もいる。「あー、トレンチコート・マフィアって、そういえば聞いたことある。銃撃犯の男子2人もそうだったんでしょ」程度のゆるい認識は、事件に衝撃は受けたにせよ、大した関心は抱かなかった人々の間では、珍しくないだろう。
2011年3月11日、東日本を大地震が襲った直後、英語圏の初期報道では「東京にも甚大な被害が!」というトーンの見出しに津波で破壊された東北の町の写真が添えられているといった事例もあったのだが(特にタブロイド紙では、見た目のインパクト重視の編集方針が取られていた)、それらはかなり早い段階で明確化され、「東京は津波で壊滅してはいない」ということは正確に認識されていた。だが、そういった「正しい報道」は、常に当たり前であるわけではない。
サンディ・フック小学校銃撃事件については、「事件は銃規制を望む陣営のでっち上げで、本当は起きていないし、誰も死んでいない。被害者や遺族としてテレビに出てくるのはみな俳優」という類の、頭のネジが外れまくっているような陰謀論がネット上でハバを利かせ、中には事件で殺された児童や教職員のご遺族を「うそつき」呼ばわり、というケースすらある。「みんなが信じていることは嘘」と言い募る陰謀論者の多くは、そう主張して人を不安にさせ、何かを売ることを目的としている。それについて、過去に書いたものがあるので、よろしければご参照のほど。
そういう「不安商法」みたいなのには、もちろん、2011年3月11日以降の日本をターゲットとしたものもあった。「不安商法」なのか何なのかよくわからないが、とにかく奇妙なもの、というものもあった。下記はその一例についての記録。こちらも、よろしければご参照のほど。
今日で、「あの日」から8年になる。
※今日はいつもとは少し違うスタイルで書きましたが、明日からはまた通常運転です。