今回の実例は、今から50年前に米ニューヨークで起きた「ストーンウォールの反乱」とそれがその後の世界にもたらした変化について、当事者や識者の回想や分析をまとめた分量のある記事から。
1969年6月にどのようなことがあったのかについては、ウィキペディア日本語版の記事に十分な情報量があるので、それをご参照のほど:
この「反乱」は、以前は「暴動」と呼ばれていた。これは英語でも同じで、最近は "the Stonewall uprising[rebellion]" と称されることが多いが、以前は "the Stonewall riots" と言われていた。英語版ウィキペディアでは "riots" で項目となっている。
このように2通りの言い方がなされているのは、「これが "riots" であったというのは警察など当局側からの位置づけであり、当事者たちにとっては "uprising[rebellion]" だった(はずだ)」という認識があるからだろう(ただし当時の活動家は、このあとで見るように、riotsという表現を使っていたようだ。1969年当時「暴動」という言葉には現在のようなネガティヴな意味合いは薄かったのかもしれない)。このこと自体が、何かを「語る」上での難しさを表しているが、当局がデモなど大衆行動を「とにかく鎮圧すべきもの、公衆の秩序と安寧をおびやかすもの」と位置づけがちなのは、別に例えば最近の香港と中国政府に特異的なことではないわけで、そもそもストーンウォールで起きたことがなぜ「暴動 riots」と位置付けられたのかといったことを考えてみることも、50年という節目を迎えて、改めて行われている。
今回の記事はそのひとつで、英BBCに掲載されたもの。地元のニューヨークのメディアなどではよりリアルな記事も出ているかもしれない。
なお、記事の見出しでBBCは「暴動 a riot」という位置づけを採用している。
長文記事だから読むのにはかなりの時間がかかるだろう。まず最初の方で、当時のニューヨークの状況と、1969年6月27日に何が起きたかが説明されている。記事の冒頭の臨場感あふれる描写は、この日の夜、マーク青年がとった行動を述べたものだ。そうやって具体的でリアルな話で読者の心をつかみ、記事は読者を1969年のニューヨークへとぐいぐいと引っ張っていく。
「ストーンウォールの反乱」は、セクシャル・マイノリティ*1が自身が社会に存在していること、「自分は(マジョリティの人々と同様に)現にここにいる」ということをはっきり示し、それに伴う当然の権利を求めて声を上げていくという流れを決定づけた。
この記事を読んで初めて知ったのだが、それ以前もアメリカではゲイ・ライツを求めるデモがあったそうだ。しかしフィラデルフィアで行われていたそれはとてもお行儀のよいデモで、男は男らしく、女は女らしくパリっとした服装と髪型をした人々がプラカードを持って歩くというものだったそうで、ニューヨークのストーンウォール・インのようなゲイバーに集っていた人々にとっては「これじゃない」感あふれるものだったという。
記事ではそういったことが、当時の the Gay Liberation Front (GLF) の活動家の口から語られているのだが、実例として見るのはその少し先の部分から。
「ストーンウォール」後に始まった新たな運動を担った組織がGLFで、この名称は当時アメリカが戦っていたベトナム戦争での敵、the National Liberation Front (いわゆる「ベトコン」)を連想させるものだった。今そういうことを聞くと、この時点で一部の人たちが「共産主義がぁ~」などときぃきぃ言い始めそうだが、当時のムードでは何ということもなかっただろう。
実例としてみるのは、そのGLF結成時にその場にいた活動家のマーサ・シェリーさんの発言から:
"The riots would've done nothing if we hadn't organised afterwards," she says.
お手本のようなきれいな《仮定法過去完了》である。今から当時のことを振り返り、マーサさんは「あのあとで組織化していなかったら、暴動は何も(変化を)起こしていなかったでしょう」と語っている。
つまり、実際にはストーンウォールの暴動の後で人々が組織化したので、変化が起きた、ということになる。
記事はこの後、GLFは数年しか存続しなかったが、やがてそのメンバーは「プライド」マーチを組織し、情報誌 "Come Out!" (「街へ出ろ」の意味であると同時に「カム・アウトしろ」の意味でもある)を立ち上げた、ということが説明されている。このゲイ・リベレーション運動はニューヨークに始まり、1年後にはイギリスのロンドンでも結成され、運動は全世界規模になっていった。
記事のその説明の流れの中で登場するもう一人の当事者が、エレン・ブロイディさんで、彼女もマーサさんと同じく《仮定法過去完了》で語っている。彼女はストーンォール・インでの暴力事態からちょうど1年後に行われ、何千人という単位で参加者を集めた「クリストファー・ストリート解放デー」のメンバーのひとりで、「『私たちは現にここにいる。私たちはクィアである。それを普通のこととして受け入れてほしい』というメッセージ」を核として大勢がニューヨークの街を行進したことを、「リーチ・アウトし、革命において自分の役割を果たすこと」が真の目的だったと回想している。つまり、今の社会システムの中に居場所を作ること(結婚を認めてもらうことなど)ではなく、抑圧のシステムをひっくり返すことだったと。
ともあれ、この行進のとき、参加者の中には暴力を振るわれることを予想して護身術を習ってきた人もいたというが、実際には暴力は発生しなかった。行進は国内の他の都市にも広がり、2年後にはロンドンでも初めての行進が行われた。そのことについてのエレンさんの発言の中に《仮定法過去完了》が出てくる。
"If it hadn't happened first in New York in 1970, it would have happened in London or in Madrid or in Mexico City."
「最初に1970年にニューヨークで起きていなかったならば、ロンドンかマドリードかメキシコシティで起きていたでしょう」という意味。(この当時はスペインは宗教保守に裏打ちされていたフランコ独裁政権だから、マドリードというのはちょっとピンとこないが、そういう流れが実はあったということかもしれない。)
この仮定法過去の文の前にあるのが《倒置》の文だ。
Some people took self-defence classes, so certain were they of violence.
この下線部は、so certainが強調のために前に出たために倒置が起きている形で、普通なら "they were so certain of violence" という語順になる。
エレン・ブロイディの名前で検索したら、ニューヨークのストーンウォール・オーラル・ヒストリーのプロジェクトでの2018年のインタビュー映像が見つかった。YouTubeの字幕(CC)が出るようになっているので、聞き取りの練習もかねて見てみるのもよいだろう。
Ellen Broidy | The Stonewall Oral History Project
このプロジェクトでは既に67人の証言が集められている。下記が一覧:
Stonewall Oral Histories - YouTube
彼らがまとめた「ストーンウォールは永遠に: プライドの50年」の映像:
Stonewall Forever - A Living Monument to 50 Years of Pride
![ネイティブはこう使う!マンガでわかる時制・仮定法 [ネイティブはこう使う!] ネイティブはこう使う!マンガでわかる時制・仮定法 [ネイティブはこう使う!]](https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/61BvQdOCGtL._SL160_.jpg)
ネイティブはこう使う!マンガでわかる時制・仮定法 [ネイティブはこう使う!]
- 作者: デイビッド・セイン
- 出版社/メーカー: 西東社
- 発売日: 2015/09/24
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る