今回の実例は、最近英国で立て続けに話題になっている「芸術とスポンサー」という問題についての報道より。
日本の大手メディアで報道されているかどうかわからないが、現在英国を含むヨーロッパでは環境問題が政治・社会が一体となって即座に取り組むべき緊急の課題として位置づけられている。環境問題は、ずっと前からそれなりに注目されてきたが、2018年後半以降の関心の高まりは、スウェーデンでたった一人で環境保護を求めて学校の授業をボイコットして国会前で座り込みを始めたグレタ・トゥーンベリという16歳の高校生の行動がきっかけだ。彼女の行動は先進国を中心に国際的な広がりを見せ、世界各地で中学生や高校生たちが行動を起こした。ウィキペディアには日本語記事がないという段階で関心の薄さがわかるが、英語版はかなりたっぷりした情報がある。
そういう中で、環境問題を解決する方向につながらない活動をしている企業に対する一般の人々の目も前以上に厳しくなっている。超大手エネルギー企業のBP (旧称はBritish Petroleum)もそういう企業のひとつで、表面的には「私たちは環境問題を真剣に考えています」というポーズを取りながら、依然として化石燃料のさらなる開発をやめようとしていないという点が、環境保護を訴える人々から強く批判されている(が、たぶん株式市場とかそっちでは何事もないのではないかと思う)。また北海油田を開発する企業のひとつであるBPは税制上も優遇されており、その点でも批判が大きい。莫大な利益を上げながら納税額が少ない上に、化石燃料から手を引こうとしないとあらば、批判が大きくなるのは当然のことだ。
現実には、BPは資金も潤沢にあり、自社のイメージアップを目して、さまざまな芸術活動・施設のスポンサーとなっている。1959年に設立された英国の超名門劇団でシェイクスピアの時代の劇場を現代によみがえらせたShapespear's Globe (グローブ座) を運営するRoyal Shakespeare Company (RSC) もBPをスポンサーとする芸術・芸能団体のひとつだ。
2019年6月、そのRSCから、1997年にオープンしたグローブ座の初代芸術監督を務めた重鎮が離脱した。理由は「BPがスポンサーを続けていること」。彼、マーク・ライランスはRSCを辞する理由を綴った文章を、ガーディアンに寄稿した。今回実例として参照するのは、その文章である。
RSCが最初にBPをスポンサーとしたのは2012年。ライランスはその時点で既にRSCがBPとそのような関係を持つことに疑問を表明していた(RSCの複数の劇団員がそういう疑問を公にしており、ライランスもそのひとりだった)。そして2017年、ライランスはこの問題について重ねてRSCの経営陣を追及した。何か月も待たされたあと、ライランスは経営陣から「今後検討していく」「プライベートな(内々での)話し合いを通じて、団員から理解を得たい」といった文面の返事を受け取った。
実例として見るのはそのくだりから。
キャプチャ画像に入っている範囲の前には、上述のRSCからライランスへの返事の内容について説明する記述がある。キャプチャ画像先頭の "It" は、RSCからの返事のことだ。
「話し合い(コンサルテーション)を持ちたい」というRSCからの返事を得てライランスは2年間待ち続けた、とある個所の次:
Hearing nothing, I recently let the RSC know that I feel I must resign as I do not wish to be associated with BP any more than I would with an arms dealer, a tobacco salesman or anyone who wilfully destroys the lives of others alive or unborn.
文法項目てんこ盛りだ。
まず最初の "Hearing nothing" は《分詞構文》。「何も聞かなかったので」、「それきり音沙汰がなかったので」。
続いて《let + O + 原形》がある。"I recently let the RSC know that ..." は「最近、私はRSCに…ということを知らせた(通知した)」。
そのthat節の中に、"that I feel I must resign as I do not wish to be associated with BP..." と、《接続詞のas》が入っている。このasは《理由》を表している。「BPとつながりを持ちたいとは思わないので、劇団を辞するしかないと考えています、ということ(をRSCに通知した)」の意味。
そして山場、《クジラ構文》だ。
I do not wish to be associated with BP any more than I would with an arms dealer, a tobacco salesman or anyone who wilfully destroys the lives of others alive or unborn.
まず、"not ~ any" は "no" と置き換えられるので、この "do not ~ A any more than ~ B" は、"~ A no more than ~ B" と同じ意味である。
……と書いてもわかりづらいだろうか。次のようなことを言いたい。
I do not wish to be associated with BP any more than I would with an arms dealer
= I wish to be associated with BP no more than I would with an arms dealer
この下の文は、典型的な《クジラ構文》で、意味が取りづらく見える。
が、上のようにdo notが使われていれば、わりと意味が取りやすいのではないだろうか。前から素直に読み下していけばよい。つまり:
I do not wish to be associated with BP
(私はBPと関連付けられることを望まない)
+
any more than I would with an arms dealer
(武器商人と関連付けられることを望む以上には)
ここで筆者は「武器商人と関連付けられるのはいやだが、BPと関連付けられるのもそれと同じくらいいやだ」と言っているわけだ。
この箇所には《省略》も入っている。"any more than" の直後の "I would" は、省略を補って書くと "I would wish to be associated" となる。
そして "an arms dealer, a tobacco salesman or anyone who wilfully destroys the lives of others alive or unborn" は《等位接続詞》のorによる接続で、「武器商人、煙草のセールスマン、または、どのような人であれ、生きている他者やまだ生まれていない子供の生命を意図的に破壊する人」という意味。
つまり、「BPと関連付けられるのは金輪際ゴメンである」ということを、ある意味シェイクスピア俳優らしく、たっぷりと言葉数を費やして表現しているわけだ。
なお、シェイクスピアというと日本ではアレルギー反応みたいなのを示す人もいるが(特に「日本の英語教育は役に立たない」と判で押したように繰り返したがる人に)、こういった表現は特に「文学的」というわけではない。日常的に使われる。というかむしろシェイクスピアが現代も使われている日常の英語を規定した部分がとても大きいのだが。
マーク・ライランスは基本的に舞台俳優だが映画の出演も多い。例えばクリストファー・ノーランの『ダンケルク』で、兵士たちの救出に向かう民間の小型船の船長、ミスター・ドーソンを演じていたのがライランスである。
RSCはこのように、BPとの関係を嫌って重鎮が抜けてしまうということになったわけだが、その後で動向が注目されていた大英博物館は、BPのスポンサーを受けることにしたそうだ。7月8日付のThe Art Newspaperの報道:
一方、コンテンポラリー・アートのターナー賞は、今年のスポンサー企業の創業者・社長がセクシャル・マイノリティについて否定的・差別的(不平等の容認)な考えを公言しているということを指摘され、すぐにその企業をスポンサーから外した。私などは見てて「そんなに早く外せるんなら、そもそもスポンサーにするなよ……」と思ったが。
このようなことが、業界ニュースならともかく一般のニュースになることは、いくら英国の報道でもそんなに多いわけではない。だが今年は既に何件か、こういった「芸術とスポンサー」に関連したニュースが出ている。
90年代からぐっと浸透してきた「倫理的な (ethical) 消費」という理念が、こういう方向で現れてきているのかもしれない。