今回の実例は、英国の公共放送、BBCで現在持ち上がっている「騒動」の最新の展開に関するBBC Newsの記事から。
ナガ・マンチェッティ (Naga Munchetty) さんは、1975年生まれのジャーナリスト。ロンドンのアカデミー校*1を出てリーズ大学で英語を専攻し、ロンドンのイヴニング・スタンダード紙の金融・ビジネス欄でジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせた。その後、いくつかの金融系映像メディアで実績を重ね、2008年にBBCのTV番組に加わり、現在は複数のBBCの番組でプレゼンターを務めている。その彼女が、2019年9月下旬、英国で「時の人」のような注目を集めた。
この7月、米国のドナルド・トランプ大統領が、自国で選挙されて議席を得た国会議員について「出身地に帰るべき」という発言を行った。この差別暴言の対象とされたのは、非白人の女性議員4人で、全員が民主党の所属だった。彼女たちはその後、この暴言にひるむことなどもちろんなく、冷静に対応し、特にSNSではますます大きな存在感を示すことになったのだが、トランプのこの暴言についてのBBCの番組*2でのナガ・マンチェッティの何ということはない発言が、2か月もしてから「問題」と認定されたのだ。
どういうことかというと:
Speaking on BBC Breakfast on 17 July after Mr Trump's online remarks, Munchetty said: "Every time I have been told, as a woman of colour, to go back to where I came from, that was embedded in racism.
"Now I'm not accusing anyone of anything here, but you know what certain phrases mean."
つまり7月17日、トランプの「出身地に帰れ」というネットでの発言(ツイート)があったあとで、マンチェッティは「私も有色人種の女性ですから、出身地に帰れということを言われてきたわけですが、そういう発言はレイシズムに組み込まれていますよね。ここで誰かを追及しようということではないのですが、こういうふうに意味を持っている特定のフレーズというのはあるわけですし」(意訳)と述べた。
そのときの映像:
"I've been told as a woman of colour to 'go home'..."@BBCNaga shares her experience as we discuss the reaction to comments made by President Trump. pic.twitter.com/u0HL5tEdgt
— BBC Breakfast (@BBCBreakfast) July 17, 2019
これについて「トランプを人種差別主義者呼ばわりするとはなんということか」という内容の苦情がBBCに寄せられた……ところまでは想定の範囲内なのだが(トランプの「親衛隊」みたいなのは大西洋のどちら側にもいるので)、BBCのExecutive Complaints Unit [ECU] は、その「視聴者からの苦情」に対して、「貴重なご意見を賜りまして誠にありがとうございます」的に対処せず、「トランプ発言を人種差別主義と言うのが差別」的なスタンスに共感を示すかのように、「マンチェッティはBBCのガイドラインに違反した (her comments went beyond what the guidelines allow for)」と判断した。
これが9月24日か25日のことで、瞬時に「ないわー」という反応が沸き起こった。TwitterではI Stand With Nagaというハッシュタグで人々のその反応が広く共有された。「レイシストをレイシストと言うことの何がガイドライン違反なのか」という疑問が最も根幹的なものだが、BBCがこれまでガチもんのレイシスト(「トミー・ロビンソン」という活動家名を名乗るスティーヴン・ヤクスレイ・レノンなど)に発言の場を与え続けてきたことを思えば、「レイシストをレイシストだと述べたらガイドライン違反」という判断に対して「ハァ?」という反応が出るのは当然のことだろう(むしろ、「あ、そうっすか……」という反応にならないだけ、まだ希望があるとも言えるのだが)。
さらに「問題」とされた発言が、番組プレゼンター2人の会話の中で出てきたものであり、「視聴者の苦情」はマンチェッティだけでなく番組プレゼンター2人に対するものだったことが明らかになると、BBCのExecutive Complaints Unitが「ガイドライン違反」と特定したのがマンチェッティだけで、つまり彼女からこの発言を引き出したもう一人の番組プレゼンター――ダン・ウォーカーというマンチェッティと同年代の白人男性――はおとがめなしとされたことの異様さも見えてきて、もうぐだぐだである。
BBC racism row: Naga Munchetty complaint was also about co-host Dan Walker https://t.co/TUK1snvqCs
— The Guardian (@guardian) September 30, 2019
※ガーディアンのこの記事フィードのリプライを見るといろいろ際立っていると思う。
しかも、この「騒動」の発端は、「苦情が殺到したので、BBCとしても対応しないわけにはいかなかった」といったことですらなかった。苦情は1件だけだったのだ。どこぞのトリエンナーレもびっくりである。しかもBBCは当初「ダン・ウォーカーに対する苦情はなかった。苦情はナガ・マンチェッティに対するものだけだった」という嘘までついていたのだ。
BBCは公共放送で、(BBC WorldはDVDや映像配信による収益で運営されているものの、英国内のBBCは)テレビ受像機を持っている人全員に課されるライセンス料(受信料)で運営されている。その放送局が、「有色人種は出身地に帰れ」という発言について「レイシズム」を指摘する発言はけしからん、という苦情1件に応じ、その発言の責任を選択的に1人にのみ負わせて「ガイドライン違反」と判断する、という事態は、何と言うか、最近の日本語圏で流行っているように見える表現を使うと「底が抜けている」ように見える。
ともあれ、そんなこんながあって、日付が9月30日から10月1日に変わるころには、BBCがマンチェッティについての「ガイドライン違反」との判断を覆した、という報道が出た。BBCかっこわる~。
今回実例として見るのは、この記事である。
スクリーンショットの5パラグラフ全体にわたって《時制》に注目するとよいのだが(基本となる時制は、"He told...", "Lord Hall said..." の過去)、特に目を引くのが3番目のパラグラフ:
She had been found to have breached the BBC's guidelines over comments she made about a tweet from Donald Trump about four female politicians of colour.
《過去完了》 の文の中に、《完了不定詞》が入っている。
過去完了自体が「過去の1つ前」を言うために用いられるのだが、さらにその1つ前ということで完了不定詞が出てきているわけだ。
ここで基準となっている《過去》は、記事全体の基準となっている《過去》で、"Lord Hall said..." の時制、つまりマンチェッティに対する「ガイドライン違反」との判断を取り消すことにしたとホール卿が述べた時点である。
マンチェッティがガイドライン違反と判断されたのは、ホール卿のその発言の前に起きていたことだから、過去完了。
さらに、マンチェッティが(BBCの当時の結論では)ガイドライン違反をおかしていたのは、その判断の前に起きていたことだから、完了不定詞。
このようなメカニズムで、こういう文になっているわけである。
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さて、今日10月1日からはてなブログの規約が変更となりました。Amazonのリンクを貼ると「個人の営利利用」ということになってしまうらしいので(売り上げを目的にリンク貼ってるわけではないし、実際、このブログからの売り上げはほぼゼロなんだけど)、規約違反にならないようにいろいろ整えられるまでは、参考書のリンクはつけずにおくことにします。ご了承ください。
*1:日本でいえば「私立校」のようなものだが、英国でいう私立高、いわゆる「パブリック・スクール」とは違う、庶民の学校。詳細はhttps://en.wikipedia.org/wiki/Academy_(English_school) を参照。