今回の実例は、Twitterから。
2月10日の第92回米アカデミー賞は、韓国映画の『パラサイト 半地下の家族』が、最優秀オリジナル脚本賞、最優秀国際長編映画賞*1、最優秀監督賞、そして最優秀作品賞まで獲得するという、驚きの展開となった。この映画、アメリカのスタッフも資本も入っていない、アメリカから見れば完全な「外国」映画である。
これまでも「外国語映画賞」部門はあり、そこでイタリアのフェデリコ・フェリーニとか、スウェーデンのイングマール・ベルイマンとか、日本の黒澤明とか、スペインのペドロ・アルモドバルとか、イランのアスガル・ファルハーディーといった映画作家たちを高く評価してはきたが、基本的に米アカデミー賞はアメリカの、アメリカ国内向けの映画賞である。「外国語とか何とかという条件をつけず、単に、映画として素晴らしいもの」に与えられる「作品賞」はアメリカの映画がとるのがお約束だ。ときどきイギリスの映画がとることがあるが、いずれにせよ英語の作品である。
昨年(第91回)、メキシコが舞台でスペイン語の映画であるアルフォンソ・キュアロン監督『ROMA/ローマ』が「外国語映画賞」(今年からは「国際長編映画」)と「作品賞」に同時にノミネートされ、この作品が劇場公開という形よりむしろNetflix配信で一般の人々に届けられたこともあいまって、「異例の作品が、最優秀作品賞獲得なるかどうか」という話題になったが、最終的には最優秀作品賞をとったのは、普通にアメリカ映画の『グリーンブック』だった。(『ROMA』は最優秀外国語映画賞はとった。)
むしろ昨年は、『グリーンブック』が最優秀作品と位置付けられ、スパイク・リー監督の『ブラック・クランズマン』が受賞しなかったことで「アメリカにおける黒人の歴史をいかに語ったものがいかに評価されるのか」という問題を前景化させたことが、少なくとも英語圏では大きな話題となり、「スペイン語の映画が作品賞にノミネートはされたが受賞はしなかった」ということは、「Netflix配信の映画が作品賞にノミネートはされたが受賞はしなかった」ということほどにも注目されなかった。
そういうのがあって、「米アカデミー賞ってのはそういうものでしょう」とみなが思っていたところに、韓国を舞台にした韓国語の映画『パラサイト』が、「外国語のすばらしい映画」としても、「単に映画としてすばらしい映画」としても評価されたのだから、人々の驚きはひとしおではない。しかも、この韓国語の作品、脚本賞もとっている。オスカー像4体お持ち帰り!
というわけでTwitterで実況を追っていたが私もびっくりしたし、私の視界に入ってくる反応もみな「これは驚いた!」「すごい!」というものばかりだった。
やや時間をおいて、アカデミーの公式アカウントから受賞スピーチのクリップが配信されてきたが、会場も「すごい!」のムードに包まれている様子だ。
#Oscars Moment: @ParasiteMovie wins for Best Picture. pic.twitter.com/AokyBdIzl5
— The Academy (@TheAcademy) 2020年2月10日
2分40秒あたりで舞台の照明が落とされてしまうという一幕があるが、最前列に座ったトム・ハンクスやシャーリーズ・セロンといった映画スターたちが「照明つけてつけてつけて」と騒いでいる様子は、早くもGIF化されている。
Our favorite stars cheer to keep the lights on so the Parasite producers can finish their speeches. #Oscars pic.twitter.com/Q1SXvAL1c9
— Ardit Luciano (@Ardit_Luciano) 2020年2月10日
というような状態で、要するにみんな「うわー、すごい」と口々に言っているような状態だが、そういったツイートのひとつが今回の実例。こちら:
Not only is #Parasite one of the best Best Picture winners ever, but the future of the Academy actually looks promising for the first time in forever. An actual inclusive future seems tangible in a way it never has. Let's keep this momentum going.
— Zack Sharf (@ZSharf) 2020年2月10日
ツイート主のザック・シャーフさんは、アメリカの映画・TV評論&ニュースメディアのIndiewireのニュース・エディター*2。
第1文:
Not only is Parasite one of the best Best Picture winners ever, but the future of the Academy actually looks promising for the first time in forever.
太字にした部分は、見てすぐわかったと思うが、《not only A but (also) B》(「AだけでなくBも」)である。
この前半部分(not only Aの部分)が文頭に出されているので、その後がS+Vの語順でなくV+Sの語順に《倒置》されている。
Parasite is not only one of the best Best Picture winners ever, but ...
→ Not only is Parasite one of the best Best Picture winners ever, but ...
(『パラサイト』は、これまでで最高の最優秀作品賞受賞作のひとつであるだけでなく……)
この文の後半、but以下は、前半とは別の文である。わりと珍しい形だが、《not only A but (also) B》は、AとBのところに単語やフレーズが入るだけでなく、このように文が入ることもある。そしてその場合、上述したようにNot only が文頭に出るので、Aの文では《倒置》が起きる。
それぞれの形を整理しておこう。
■単語が入る場合:
Edward is not only smart but also kind.
(エドワードは、頭がよいだけでなく、親切でもある)
■フレーズが入る場合:
John not only helped me carry the luggage but also called me a taxi.
(ジョンは私が荷物を運ぶのを手伝ってくれたばかりか、タクシーを呼ぶこともしてくれた)
■文が入る場合:
Not only does Kate like Japanese food, but her husband, who is from Nagano, is a good cook.
(ケイトが日本食を好きなだけではなく、長野出身の夫が料理上手でもある)
実例として見たツイートの第1文の後半、"but the future of the Academy actually looks promising for the first time in forever" は、「米アカデミーの未来が、今初めてほんとに明るいものに見えている」という意味。
この文に入っている "for the first time in forever" は、映画『アナと雪の女王』(原題はFrozen)の楽曲の題名でもある(日本語版では「生まれてはじめて」)。ザック・シャーフさんはこのツイートを書いたとき、2月10日のアカデミー賞授賞式で『アナ雪2』の世界各国のキャストが一堂に会して、歌曲賞にノミネートされていたInto the Unknownを歌ったことを念頭に置いていたのかもしれない。
日本では「松たか子が日本人初の晴れ舞台に!」みたいな情けないほど内向きな取り上げられ方をしているが、この取り組みは明らかに、米アカデミーが自身をアメリカ以外の国々・文化圏・言語圏に向けて開いていこうという取り組みだ。『アナ雪2』というアメリカ映画が世界各国で親しまれているということを、アカデミー賞という場で再確認し、人々に知ってもらうための取り組みだ(アメリカはこういう「文化戦略」みたいなことはしっかり作りこんでやる)。アメリカ文化はアメリカだけでは終わらないということ、アメリカは世界とつながっているということ、だからアメリカは内向きになるべきではないということをメッセージとして伝える取り組みだ。
Idina Menzel, Aurora - Into the Unknown (Live from the 92nd Academy Awards)
そういった大きな流れの中での、韓国語作品の最優秀作品賞受賞なのだろう、ということは、今回見ているザック・シャーフさんのツイートにも表れている。次は第2文:
An actual inclusive future seems tangible in a way it never has.
tangibleは、辞書を見ると「英検1級以上」と扱われているが、そこまでレベル高くないような気がする(けっこうよく見る)。「知覚可能な」という意味で、もっと簡単な類語にはrealがある。「本当にインクルーシヴな(多様性のある)将来が、これまでにはなかったように、知覚可能なものに見えている」と直訳できる。ぎこちないと感じられたら、もっと自然な日本語にするにはどうしたらよいか、各自で考えてみていただきたい。文意を変えずに言葉を言い換える練習は、大学受験を視野に入れたらもちろんのこと、実用英語を使う上でもなるべくたくさんしておいた方がよい。
そしてツイートの最後の文:
Let's keep this momentum going.
《keep + O + -ing》は、文型としては《keep + O + C》で、「Oを~している状態にしておく」という意味。文意は、「この勢いをそぐことなく進めていこう」ということになる。
ところで、英語の慣用表現に keep the pot[kettle] boiling というのがある。直訳すれば「鍋〔やかん〕のお湯が沸騰している状態を保つ」だが、慣用表現としては「人々の関心を絶やさないようにしておく」ということ。鍋の中でお湯が沸いている状態を想像して、「ワクワク感を終息させない」という意味を結び付けたら、この慣用表現は忘れずに記憶に残るだろう。
実際、3年前だっけ、黒人のゲイ男性の心理を丁寧に描写した『ムーンライト』が、全然メインストリームっぽくなかったのに最優秀作品賞を受賞したとき、「これでアカデミー賞が変わる」という期待感があった。でもその期待感はシャボン玉のようにはじけて消えた。
昨年の『グリーンブック』の受賞でそれが結局期待外れだったんじゃないかという疑念が出て、今年、女性映画監督の秀作があったにもかかわらず彼女が監督賞にノミネートすらされていないという事態には大きな批判や不信の声があがった。ナタリー・ポートマンは今日の授賞式で、ドレスの上に羽織ったガウンの縁に、ノミネートされなかった女性監督の名前を刺繍するという形で抗議の意思表示をしていた。
Nathalie Portman wearing Dior with the names of the women that weren’t nominated on the best director category #Oscar2020 pic.twitter.com/q0LAyaoVmM
— ✨ (@virgovalentino) 2020年2月10日
そういう中での『パラサイト』の4冠だ。前回、「外部」の人びとの作品が最高賞と評価された『ムーンライト』のときと違うのは、賞の部門の名称のForeign LanguageをInternationalに変えるというかなりドラスティックな動きをアカデミーが取ったあとで、英語の外にある言語での作品への最高評価がなされた、ということである。
参考書:
※本エントリの投稿日、2月11日は休日なので、通常であれば過去記事の再掲をするのだが、今日はこれを掲載して、元々今日掲載する予定であった昨年5月のエントリは明日再掲するこtにする。
*1:前回まで「外国語映画 Foreign Language Film」と位置付けられていたものが、2020年2月の第92回から、「国際長編映画 International Feature Film」となった。
*2:「映画専門誌の編集者」のような仕事。