今回の実例は解説記事から。
レバノンの首都ベイルートの大爆発から1週間となる11日、爆発の起きた午後6時過ぎにキリスト教の教会の鐘の音とイスラム教のモスクの祈りの声が同時に響いた。
Friend’s video of #Beirut playing the adhan and church bells simultaneously at 6:08, the time of the blast pic.twitter.com/GuBEpX1ys2
— Sarah Dadouch | سارة دعدوش (@SarahDadouch) 2020年8月11日
Exactly one week after the devastating #BeirutBlast, church bells and prayers from mosques in Beirut unite Lebanese of all backgrounds in their grief as the country mourns. 😢@akhbarpic.twitter.com/X4DW6M0neu
— Jenan Moussa (@jenanmoussa) 2020年8月11日
レバノンは1975年から90年に内戦を経験している。同時期に紛争が起きていた北アイルランドのベルファストで、とりわけ爆弾攻撃が盛んな警察署周りの区域が「ベイルート」と呼ばれていたということを、私は北アイルランド紛争のドキュメンタリーか当事者の回想で知ったのだが、レバノン内戦はボムが日常茶飯事の紛争地から見ても激しいものだったということだ。この内戦は、非常に大雑把に単純化してしまえば、東西冷戦という国際情勢を背景とし、第二次世界大戦後の中東という場所で、右翼のキリスト教徒と左翼のイスラム教徒の間で起きたものだ(実際にはこんなに単純なものではないので、各自、いろいろなソースでご確認されたい)。
この状況を背景とし、キリスト教徒(ファランヘ党員)の男とイスラム教徒(パレスチナ難民)の男の些細な言い争いが国じゅうを巻き込んだ大掛かりな裁判に発展していくさまを描いた『判決、ふたつの希望』という映画が非常によかったので、ぜひ見ていただきたいと思う。レバノン内戦は、「善と悪」、つまり「一方的被害者と一方的加害者」という構造ではない。
そういった文脈においてみれば、冒頭で紹介した「キリスト教の教会の鐘の音と、イスラム教のモスクの祈りの声が、人々の上に同時に響いている」ということの意味がより深く具体的なものとして感じられると思う。
さて、そのベイルート大爆発。経緯としては、港湾地区で倉庫が火災になり(出火原因はほぼ確実にこれだろうと言われているものがあるがまだ確定はしていない)、消防隊が消火活動に当たっているときに何かに引火して爆発が起き、多くのレバノン市民が高層住宅のベランダなどからその火災と爆発を見ているときに、2番目の大爆発が起きた(このため、爆発の瞬間がスマホなどでとても多くの角度から動画撮影されていた)。この2番目の大爆発は、6年も前から港湾の倉庫に無造作に置きっぱなしにされていた大量の硝酸アンモニウム(鉱山などの発破作業で使われるほか、テロリストがカーボムなど爆発物を作るときによく使われる化学物質)だったと考えられている、ということは既に書いているのだが、その大量の硝酸アンモニウムがなぜ放置されていたのか、いったい誰のものなのか(所有権はどこにあったのか)といったことは、爆発から1週間が経過し、内閣が総辞職した今もまだ完全には明らかになっていない。大手報道機関が調査報道を行なっていて、少しずつ明らかになってきてはいるが。例えば下記のロイター報道を参照。
Who owned the chemicals that blew up Beirut? @Reuters interviews and trawls for documents across 10 countries in search of the original ownership of this consignment revealed a tale of missing documentation, secrecy and a web of small, obscure companies https://t.co/lBzfhatCOm pic.twitter.com/7kHJD3AG1g
— Reuters (@Reuters) 2020年8月11日
このように、国際報道がかなりのリソースを割いてベイルートでのとんでもない出来事について伝えているが、そのベイルート、国際報道機関にとっては中東における拠点の都市で、多くのジャーナリストがベイルートに住んで仕事をしている。今回、大勢のジャーナリストが負傷している。多くが(ジャーナリストでない市民たちと同様に)自宅で仕事中に爆発の影響を受けているが、もしも新型コロナウイルスによるリモート勤務が導入されていなくてオフィスに普通に出勤していたら、もっとひどいことになっていただろうと言われている。実際、報道機関のオフィスで窓ガラスが割れ、大きなガラス片が椅子に突き刺さっているような写真もTwitterで見た。
その爆発時の生々しい状況から、少ししてわかったことなどを含めて、爆発から4日後の8月8日付で出されたBBCの長文記事 (Long Read) を、今回は見てみよう。インタラクティヴの形式のページで、爆発前後の変化がいかに大きいかを示す写真なども効果的に盛り込まれており、とても具体的で迫力のあるページ構成になっている。
記事はこちら:
今回実例として見るのは、記事のかなり下の方から。
記事のこの部分は、爆発後に起きた政府に対する抗議デモについての部分。レバノンではもうずいぶん長いことずっと政府に対する抗議デモは常態化しているのだが、今回は違う、という内容の報告だ。実際、私がTwitterでフォローしている人は、これまでもずっと政府に対する抗議を行ってきたのだが「これまで、平和的な抗議で政治は変えられると思って粘り強くデモを行ってきた。だが、今回ばかりは考えを改めざるを得ない。即刻退陣を要求する!」ということを(英語で)述べて、怒る人々の映像を貼り付けていた。
実例として見るのは、キャプチャ画像内の2パラグラフ目の第2文:
Such was the rage that for a while, politicians wouldn’t show their faces, not on the streets nor even on the screens.
これは《such ~ that ...》 の構文だ。これは《so ~ that ...》の構文のバリエーションと考えるとよい。soは副詞なので、"~" のところには形容詞や副詞が来るが、suchは形容詞だから、"~" のところには名詞が入る。
He's so lazy that he won't even get himself some tea.
He's such an lazy person that he won't even get himself some tea.
(彼はたいへんなめんどくさがりで、自分でお茶を淹れることすらしない)
《such ~ that ...》 の構文は、"~" の部分がないことも多い。
His laziness is such that he won't even get himself some tea.
(彼の怠惰さはひどいもので、 自分でお茶を淹れることすらしない)
今回実例として見ている文は、この "~" の部分がない形で、さらに《倒置》が起きている。倒置していない形にすると、"The rage was such that for a while, politicians wouldn’t show their faces, not on the streets nor even on the screens." となる。
また、下線で示した "wouldn't" は、《時制の一致》でwillがwouldになっているとも考えられるが、willにせよwouldにせよ否定形で「どうしても~しようとしない」という《固い拒否の意思》を表すのに用いられる。ここでもその用法である。
The door wouldn't open.
(ドアがどうしても開かない〔開かなかった〕)
文意は「(人々の)怒りは大変にすさまじいもので、政治家たちがしばらくの間、街に出てくることも、TVの画面に出てくることすらしようとしなかったほどだ」。
このキャプチャ画像の一番下に少しだけ入っている写真は、キリスト教の教会とイスラム教のモスクが隣接している様子を示している。これはベイルートのダウンタウンにあるマロン派(キリスト教)の聖ゲオルギオス大聖堂と、イスラム教スンニ派のモハンマド・アル=アミン・モスク(通称ブルーモスク)である。どちらも今回の大爆発でガラスが吹き飛ばされるなどの損傷を被っている。この2つの建物の距離感からも、本稿冒頭で紹介した2つの宗教の祈りの音・声の重なり具合が、この場所に立ったことのない人にも、手に取るように想像できるだろう。
※3970字
参考書: