今回の実例は、Twitterから。
テニスの全米オープンがいよいよ佳境である。10日(米東海岸時間)に行われた女子シングルス準決勝では、大坂なおみ選手とヴィクトリア・アザレンカ選手(ベラルーシ)が勝ち上がり、米東海岸時間で12日午後4時からの決勝戦に臨む。大坂選手は2018年の同大会で優勝しているので、2度目の優勝に挑むということになる。健闘を願っている。
さてその大坂選手、今大会では日本のマスコミはやたらとマスクがどうのこうのという話をしている。コート入りする彼女が、ウイルス対策で着用しているマスクに、これまで警察や自警団の一方的暴力で生命を絶たれた黒人たちの名前を記していることが、日本のマスコミにはよほど異様に見えているらしい。ひどい場合には、女性の芸能人がインスタグラムで手作りマスクを着用した写真をアップしている場合などに用いられる「マスクを披露」という珍妙な言い回しを使っている。これは私には、大坂さんの真剣な訴えを、半ば茶化すようにして扱っているように見えて、「何だこれは」という憤りのようなものを感じるし、それ以上に残念だし情けない。大坂さんは「マスクを披露」しているわけではない。「見て見て、私のマスク、よくできてるでしょ」と言ってるわけではないのだ。
この「残念だし情けない」という気持ち、英語で言い表すとすればsadという単語を使うのが定石なのだが、大坂さんご自身のツイートにも同じ感情を表すsadが使われている。
— NaomiOsaka大坂なおみ (@naomiosaka) 2020年9月7日
I remember Trayvon’s death clearly. I remember being a kid and just feeling scared.I know his death wasn’t the first but for me it was the one that opened my eyes to what was going on. To see the same things happening over and over still is sad. Things have to change.
— NaomiOsaka大坂なおみ (@naomiosaka) 2020年9月7日
この日、大坂選手は、当ブログでも何度か言及しているトレイヴォン・マーティンさんの名前をつけていた。トレイヴォンは黒人の少年で、2012年2月下旬のある晩、フロリダ州でコンビニにお菓子を買いに行った帰りに、武装した男に撃ち殺された。17歳だった。事件当時だったか裁判が始まってからだったか、トレイヴォンが撃たれたのは「パーカーのフードをかぶっていて怪しかったから」といったことが言われ、「黒人男性がパーカーのフードをかぶること」がこのような暴力への抗議のシンボルのようになっていた。トレイヴォンを撃ち殺した男は、後に裁判でどういうわけか正当防衛が認められて無罪になったのだが、当時は「自警団 vigilante」だと言われていた。今、英語のウィキペディアを確認してみると、加害者が「自警団」だったという記述は削除されている(が日本語版には残っている)から、「自警団」という言葉をめぐっては、まあいろいろとあれなのだろう。
オバマ政権下、2012年のこの1人の少年の殺害は、現在に至る #BlackLivesMatter へとつながっている。
大坂なおみさんは1997年10月生まれだから、トレイヴォンの殺害当時は14歳だ。それを回想するところから始まっているのが今回見ているツイートだ。話しているままをそのまま文字にしたような、率直で、気持ちがストレートに出ている文である。
ツイートの最初の2文:
I remember Trayvon’s death clearly. I remember being a kid and just feeling scared.
"I remember" の繰り返しが胸を打つ語りだ。「私はトレイヴォンが殺されたのをはっきりと覚えている。そのとき私は子供で、とにかく怖かったことを覚えている」という意味だが、文法的に注目点は2文目の "remember doing" の表現。rememberは目的語にto不定詞をとる場合と動名詞をとる場合とで意味が違ってくる。to不定詞は「これから~することを覚えておく、思い出す」で、動名詞だと「既に(過去において)~したことを覚えている」だ。
Remember to buy some milk on your way home.
(帰りに牛乳を買うのを忘れないでね)
Do you remember buying a pair of sneakers at the store?
(あの店でスニーカーを買ったことを覚えていますか)
ここでは大坂さんは「(かつて)子供で、とにかく怖かったということを(今)覚えている」ということを、 "I remember being a kid and just feeling scared" と動名詞を2つandでつないで、言葉にしている。
次の文:
I know his death wasn’t the first but for me it was the one that opened my eyes to what was going on.
これも素直に、書かれている通りに読んでみよう。大きな構造としては、《等位接続詞》のbutが2つの文をつないでいる形(重文)だ。
まず前半、butの前は「彼の死が最初でないことを私は知っている」だが、「最初 (the first)」とは、ここでは、Black Lives Matterという文脈から、「無辜の黒人が殺された最初の例」ということだ。
続いてbutの後は、単語だけ拾うとit ~ that ...の構文に見えるかもしれないがここではそうではない。itは先行の名詞のhis deathを受けていて、「私にとっては彼の死はthe oneだった」。このoneは代名詞で、ここでは《関係代名詞》のthat(主格)の節によって修飾(説明されている)。
そのthatの節の中の "what was going on" は《関係代名詞》のwhatを使った表現で、wasと過去形になっているのは文全体の《時制の一致》によるもの(文全体が過去のことを言っている)。「彼の死は、何が起きているかに対して私の目を開いたものだった」ということになる。
つまり、10代前半だった大坂さんが初めて黒人が直面してる問題を意識したきっかけが、トレイヴォン・マーティンさんの殺害だった、ということである。
最後の2文。ここに「残念であり情けない」のsadが出てくる。
To see the same things happening over and over still is sad. Things have to change.
ここの1つ目の文では、to不定詞(名詞的用法)が主語になっている。この形はどちらかというと珍しく、it is ~ to do ~の形式主語になることの方が多いのだが、このように、to不定詞を主語にした方が自然(に感じられる)という場合もある。"over and over" は「何度も」。
そしてここでは、下線で示したように《感覚(知覚)動詞+O+現在分詞》の形も入っている。「Oが~しているのをVする」の意味で、この例は「今なお、同じことが何度も繰り返し起きているのを見ること(は残念で情けない)」という意味。
そして最後は「事態は変わらなければならない」で、このthingsの使い方は覚えておくと、自分の主張を英語で述べるスピーチや英作文で便利である。
※3330字
追記: ちなみに、大坂なおみ選手やココ・ガウク選手、フランシス・ティアフォー選手によるBLMの訴えは、全米オープンの主催者は支持している。全米オープン公式アカウントから:
Naomi Osaka, Frances Tiafoe and Coco Gauff are using their platforms to spread awareness about the injustices happening in our country.
— US Open Tennis (@usopen) 2020年9月5日
Black lives matter. Let's talk about it.@NaomiOsaka I @FTiafoe I @CocoGauff pic.twitter.com/lIy1924Avo
つまり、「選手の分際で、そんな出過ぎた真似をしたら、主催者に迷惑だろうが!」というのは日本という井戸の中でカエルが大騒ぎしているだけのこと。Sad, sad, sad!
参考書: