Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

祝・イグノーベル平和賞! インドとパキスタンの「外交官たちの真夜中ピンポンダッシュ」について調べてみた。

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今回は、いつもとは少し趣向を変えて、報道記事ではわからない詳しい話をネット上で見つけた過程の記録を。

今年も「イグノーベル賞」の季節となった。「イグノーベル Ig Nobel」は、かの「ノーベル賞」のNobelに、《否定》の意味を表す接頭辞のig-をつけた造語で、実在するnoble - ignoble (高貴な - 下品な)のペアを、nobleとNobel(英語では同音)に引っ掛けたダジャレで、この言葉のニュアンスを日本語にすれば「真面目なノーベル賞、不真面目な(ふざけた)イグノーベル賞」「お堅いノーベル賞、ユルいイグノーベル賞」「(表のノーベル賞に対し)裏ノーベル賞」といった語感だろう。

つまり、「はあ、素人のあたしには全然わかりませんが、何か、こう、とても難しくて重要そうな研究をなさっているのですね。人類への貢献、実に素晴らしい(よくわかんないけど)」と反応せざるを得ないノーベル賞に対し、「何でそんなことを大真面目に研究してらっしゃるんですか」とちょっと笑ってしまうが、詳しく聞いてみると「ははあ、なるほど、興味深い……いやあ、世界の深遠さに改めて感銘を受けました」と大真面目にうなずいてしまうようなイグノーベル賞、という位置づけである。

ちなみにこの接頭辞のig-は、『ジーニアス英和辞典』を参照してみても、接頭辞としての立項はされておらず、接頭辞であることがはっきりわかるのは、noble - ignobleのペアしか載っていない。他はignomious, ignominyや、ignorance, ignorant, ignoreといった、「確かに意味自体に否定的な要素があるが、igを取ったら肯定的な意味の対義語ができるわけではない」という語ばかりで、英語の語彙力増強としては、ig-という接頭辞をがんばって記憶する必要は特にない。ちなみにこれは(今の英語では単語の一部に完全に組み込まれてしまっている)ラテン語系の接頭辞で、接頭辞としてより広く使えるin- (sane - insaneのようなペアを作る) のバリエーションのひとつである。 

ジーニアス英和辞典 第5版

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イグノーベル賞の成り立ちについてはウィキペディアによくまとまっているのでそちらを参照していただくのがよいが、 1991年に始まっていて、歴史はノーベル賞と比べたら全然浅いが(当然だ)、意外と長続きしているので笑ってしまう。

さて、今年のイグノーベル賞だが、発表時の記事を読んで大笑いしてしまった。メイン (?) の「ワニにヘリウムガス」(音響賞)ではない。平和賞だ。

イグノーベル平和賞は、元々、「大いなる皮肉」とでも呼ぶべきものを意図している。初回(1991年)は核抑止論を唱えた「水爆の父」ことエドワード・テラーが、「我々が知る『平和』の意味を変えることに、生涯にわたって努力したことに対して」受賞しているし、第二回はロサンゼルス大暴動の際のロサンゼルス市警本部長であったダリル・ゲイツが「人々を団結させずにはおかない、彼の独特な手法に対して」受賞している。詳細はウィキペディアにまとめられている一覧を参照していただきたいが、その後も、何かというと乱闘していることで世界中で短いニュースとなっていた台湾の国会とか、核実験を強行したフランスのジャック・シラク大統領とか、「平和について考えさせてくれてありがとうwwwwwで賞」とでもいうべき受賞者が並んでいる。

様子が変わってくるのは21世紀に入ってからで、2002年に犬の言葉を人間の言葉に翻訳する(とされた)機械「バウリンガル」で日本人のチームが受賞して以降(日本でイグノーベル賞イグノーベル賞と騒ぐようになったのもこの後のことである*1)、国際政治や地政学、治安維持や安全保障といったことについての皮肉というより、個人の心の平安 (peace of mind) および個人間の平和的関係についての提案的なものがぽつぽつ見られるようになってくる。

といっても皮肉が消え去ったわけではない。例えば2013年は、2020年の今まさに時の人となっているベラルーシのルカシェンコ大統領が、「プラカードやスローガンを避けて、ただ拍手するだけというフラッシュモブ」という形で行われた政治的意思表示行動に対して「公共の場で拍手喝采することを違法にした」として受賞している。

だが、現実世界で、2003年のイラク戦争イスラエルによるターゲット・キリングの続発(特に2004年のヤシン師殺害以降)やガザ封鎖、ガザに対する過剰な武力行使アルカイダイスイス団のテロ、政府による自国民への武力行使(シリア、中国のウイグルなど)、人種主義による暴力といったものがあふれかえっているときに、「人はののしり言葉を口にすることによって心の平安を得ている」的な学術研究に「平和賞」が与えられても、全然印象に残らない。逆に、本家のノーベル賞がまだ何もしていなかったバラク・オバマに(おそらくは「ジョージ・W・ブッシュではない」というだけの理由からの期待ゆえに)平和賞を与えた(が、その後オバマはドローンによるextrajudicial killingを常態化させた)ことのほうがよほど皮肉が利いていたくらいだ。

そんなイグノーベル平和賞だが、今年は「私の頭がおかしくなったのか」と思うくらい意味がわからなかった。何しろこうなのだから。

Peace: The governments of India and Pakistan, for having their diplomats surreptitiously ring each other's doorbells in the middle of the night, and then run away before anyone had a chance to answer the door.

www.bbc.com

「インドおよびパキスタン両国政府。自国の外交官に、夜中にこっそりと相手の外交官の玄関の呼び鈴を鳴らした上で、誰かが玄関口に出てくる前に逃げ去るということをさせたことに対して」。

つまり、印パ両国の外交官が、お互いに夜中にピンポンダッシュし合っていたというのだ。

意味がわからないのは私だけではないだろう。

BBC以外の媒体なら何か詳しいことがわかるかと思ってガーディアンを見てみたが、同じような具体性のない記述で、何が何だかさっぱりわからない。

こういうときは、これ以上ばたばたするより、さっくりとウェブ検索である。

というわけで、今回の実例はその検索の記録。

まずはイグノーベル賞のサイトで「平和賞」の文言を確認する。このサイトがまた、阿部寛のサイトホームページかというくらいクラシカルなビジュアルで素敵だから、PC版のキャプチャで。

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https://www.improbable.com/ig-about/winners/

PEACE PRIZE [INDIA, PAKISTAN]
The governments of India and Pakistan, for having their diplomats surreptitiously ring each other’s doorbells in the middle of the night, and then run away before anyone had a chance to answer the door.
REFERENCE: Numerous news reports.

 うん。BBCやガーディアンの記事の文面はこれのコピペだ。何もわからない。そしてソースは「多数の報道記事」。探せってか。じゃあGoogleで「india pakistan」で見てみよう。

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「印パ国境」とか「戦争」とか「分割」とかいったゴツい話と、クリケットの話が半々だが、どこにも「外交官」がない。では「外交官 (diplomat)」を付け加えてみると……

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うん、dまで入れたところでのサジェストがどれもこれも非常に印パという感じで、「平和」のカケラも感じられないし「外交官」も出てこない。しかし、さらにdipまで入れていくと……

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ここまでやるとさすがにdiplomat, diplomaticという語が並ぶようになった。だが「真夜中ピンポンダッシュ」については謎だ。

それでも検索結果を見れば何か記事が出ているだろうと、「india pakistan diplomats」でチェックしてみると……

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今年6月のガチな話はいろいろありそうだが、「真夜中ピンポンダッシュ」の気配はない。

ウェブ検索ではなくニュース検索ではどうだろうか。

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まだ出てこない。

では、と、もうひとつ重要なキーワードである「玄関の呼び鈴 (doorbell)」を付け加えてみたところ、今度はイグノーベル賞の記事ばかりが表示されたので、「イグ (ig)」を除外指定し「india pakistan diplomats doorbell -ig」の検索ワードでニュース検索してみると……

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というわけで見つかったのは2年半前、2018年3月の記事だ。

www.theguardian.com

economictimes.indiatimes.com

Indian diplomats in Islamabad are used to having doorbells rung in the middle of the night and being trailed by Pakistan’s Inter-Services Intelligence spy agency, said Vishnu Prakash, a retired diplomat who served as the political counselor in India’s high commission in Islamabad and had his own doorbell rung on several occasions.

"It’s standard operating procedure," Prakash said in an interview. "I had a carload of ISI guys following me. If I went to the doctor, they would stand outside and listen in."

https://economictimes.indiatimes.com/news/defence/ring-the-doorbell-and-run-here-is-how-nuclear-rivals-india-pakistan-harass-each-other/articleshow/63327292.cms

これは、ISI(パキスタンの情報機関)が尾行している、見張っているということを示すための行為なので、イグノーベル平和賞で笑いごとにしてる場合じゃないかもしれないけどね……。

でも「真夜中ピンポンダッシュ」であることに変わりはない。

 

というわけで、このあとこれらの記事を読んでいきたいところだが、残念ながらもう当ブログ規定の4000字はとっくに超過していて、もう4780字を超えているからこんなところで。

ちなみにインドとパキスタン両国政府は、1998年にもイグノーベル平和賞を受賞している。この年、両国はNPT体制の外側で(両国はNPTに加盟していない)核実験をおこない核兵器保有国となったが、その理屈がまさにエドワード・テラーの提唱した「核抑止力」論だったのである。90年代のイグノーベル賞は「トンデモ」な思想・発想をおちょくるという色が濃くて、核抑止論もそういう「トンデモ」のひとつと位置付けられていた。それが1990年代で、当時は実際に「核抑止論なんてあと数年もすれば過去の遺物になるよ。冷戦も終わったしね」と考えられていた。私個人はそこまで楽観的になれる理由はないと思っていたが、米ソ両大国の軍縮は進むだろうとは考えていた。進まないと考える理由がなかったのである。

 

参考書:  

 

 

 

 

 

 

*1:日本人の研究は1992年には既に受賞対象となっているが、メディアが騒ぎ出したのは21世紀になってからだった。おそらくネットの普及も関係しているだろう。2002年というと出版や新聞の世界ではまだまだ「ネット情報なんて信頼できないし使えないでしょ」というムードが支配的だったのだが。

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