このエントリは、2019年10月にアップしたものの再掲である。いわゆる「受験英語」の文法項目が次から次へと現れる報道記事である。
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今回の実例は、ある人物が死亡したあとに、その人物によって人生を根本的に変えられた人々の声を集めた記事から。
日本時間で10月27日(日)の昼過ぎ、米Newsweekを皮切りに、「イスラム国」を自称する組織(以下「イスイス団)の指導者(以下「団長」)が米国の特殊作戦で死亡したという報道が次々に流れた。
Reports coming in that ISIS leader Baghdadi was indeed the target of the US special ops raid today in Idlib. A Pentagon official says he’s believed dead, “pending verification”. Trump will speak to the nation at 9 am https://t.co/QRUds4GNLc
— Liz Sly (@LizSly) October 27, 2019
イスイス団の団長は「アブー・バクル・アル=バグダーディー(バグダディ)」という名前で知られているが、元の名前はイブラヒム・アワド・イブラヒム・アル=バドリ・アル=サマライといい、その名が示す通りサマラという都市の出身である*1。ここではどちらの名前も使わず「団長」で通す。
その最期については、日本語でも多く報じられているのでここでは取り上げない。
取り上げるのは、その死を受けてガーディアンがまとめた「被害者たちの声」の記事である。記事はこちら:
この記事で取り上げられているのは、イスイス団のすさまじい暴力の被害者で、脱出後は人権活動家となったナディア・ムラドさん、イスイス団に殺されて埋められている人々の身元の特定に尽力しているアレッポ市民、湯川さんと後藤さんの日本人2人の殺害とほぼ同時期に行われた残虐な「処刑」で殺されたヨルダン軍兵士カサスベさんのお父さん、2014年8月に始まったイスイス団の「西洋人殺害ショー」で殺された最初の1人である米記者ジェイムズ・フォーリーさんのお母さん、3人目の被害者英人道支援者デイヴィッド・ヘインズさんの兄弟の5人の声である。
ナディア・ムラドさんは日本の新聞報道などでもよく紹介されているし、ご著書も日本語で読める。
THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―
- 作者: ナディア・ムラド,吉井智津
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アレッポは、イスイス団の暴力よりもアサド政権とその支援者による無差別攻撃(あるいは意図的に病院などを標的とした攻撃)がひどかったんだけど、イスイス団の暴力がなかったわけでもない(イスイス団支配域では彼らの考える「正しさ」に合致しない人々に対する残虐な刑罰がよく行われていて、斬首などの処刑も非常に多かった)。政権軍やその支援者による残虐行為については例えば下記を参照。これはアレッポ市の様子。
アレッポ県では、こういうのとは別に、イスイス団やそのほかのいわゆる「イスラム過激派」の活動もあって、その被害の全容把握は普通に考えても容易なことではない。ボスニアより状況はひどいのではないかと思う。
ヨルダン軍のカサスベさんについては下記。湯川さん、後藤さんの殺害が報じられたすぐあとのことだった。
米ジャーナリスト、ジェイムズ・フォーリーさんについては下記など。この人が殺害されたときの衝撃は、私は忘れることはないだろう。
英人道支援活動家のデイヴィッド・ヘインズさんについては下記。紛争後のバルカン半島でのインフラ整備など、ガチの人道支援の現場の人だ。
ジャーナリストも人道支援ワーカーも、アサド政権軍による攻撃で破壊されたアレッポ市などの人々のことを外に伝え、また、人々の生活を支援するために現地に入っていた。イスイス団はそういった人々を標的にして「残虐ショー」の見世物にした。
同時に、それまでそこに暮らしてきた人々を力で支配した。その暴力支配を最もひどい形で受けたのが、領土的にはイラク国内に暮らしてきたヤジディ教徒の人々だ。イスイス団は自分たちの考える「正しい宗教」を押し付け、それに従わない人々を残虐に殺しまくってきたのだが、その中でもいわば問答無用で殺して構わないような存在と勝手に位置づけられてきたのがイスラム教シーア派の人々や、ヤジディ教徒の人々だった。2014年6月にイラクでモスルを制圧し、破竹の勢いで進撃していたイスイス団は、彼らヤジディの人々の暮らす地域を襲い、多くの人々を残虐に殺害し、若い女性たちを連れ去った。ナディア・ムラドさんもそういう中で、2014年8月に家族を殺されたうえで拉致された。彼女と同様に拉致された女性たちはイスイス団戦闘員に「分配」された(イスイス団はこのとき「奴隷制」の復活を宣言した)。そして、イスイス団の信仰を受け入れることを拒否し、戦闘員の「妻」となることを拒んだた女性たちは「性奴隷」として連日の性暴力を受け続けることになった。ナディアさんは3か月目に何とか脱出に成功し、何が起きているかを名前と顔を出して国際メディアに語った――ナディア・ムラドさんはそういう人である。
今回の実例は彼女の発言から。
It is important not to forget those who suffered at the hands of [Baghdadi] and his militants still need help.
英文の表記ルールとして、ブラケットでくくられた語は「編集が加わった語、文意を変えない類の変更が行われた語」であることを示す。ここでは原文でAl-Baghdadiと綴られている部分が、ガーディアンの表記基準にしたがってBaghdadiと改められているのだが、英文として見るときにこのブラケットは邪魔になるので外してしまうと次のようになる。
It is important not to forget those who suffered at the hands of Baghdadi and his militants still need help.
さて、この文、ぱっと見ただけでわかるように、《形式主語it》を使った《it is ~ (for ...) to do --》の構文だ。その部分だけわかりやすいように太字にすると:
It is important not to forget those who suffered at the hands of Baghdadi and his militants still need help.
さらに下線で示した個所は、《to不定詞の否定形》である。
つまり、"it is ~ not to do --" の形で、これは「--しないことが~である」という意味を表す。ここでは「忘れないことが重要である」だ。
ではその「忘れない」の目的語の部分。ここがちょっと意味が取りづらいかもしれない。というか、正確に読めていなくても文意が取れた気になってしまいそうな形である。
《those who ~》は「~な人々」の意味だから、語順通りにさくさくっと読んでいるだけでは「~な人々を忘れないことが重要である」と考えてそれだけで納得してしまうかもしれない。
そうやって読んでいくと、最後の "still need help" は何だ? ということになる。
ここでしっかり文構造が取れていないと、直前からの語の並びで "his militants still need help" と読んでしまい、「さすがナディア・ムラドさん、自分に暴力を行使した側のイスイス団戦闘員のことも思いやっているのだな!」などと早合点してしまうこともありうるのだが、それは間違いである。ナディアさんはそんなことは書いていない。
彼女が書いているのは、こういうことだ。
those ( who suffered at the hands of Baghdadi and his militants ) still need help.
つまり、「バグダディやその戦闘員の手にかかって苦しんだ人々は、今もなお、助けを必要としている」ということを、「忘れないことが重要だ」という主張である。
この文、that節のthatが省略されているのだが、省略されていなかったらもっと読みやすかっただろう。つまり下記の形。
It is important not to forget that those who suffered at the hands of Baghdadi and his militants still need help.
普通に書けるならこのように書いていたのではないかと思うが、これは元がTwitterでの下記投稿で、文字数がいっぱいいっぱい(3文字しか余裕がない)なので削れるものは削ったのだろう。
3/4 - It is important not to forget those who suffered at the hands of Al-Baghdadi and his militants still need help. In particular, religious minorities in Iraq like #Yazidis and Christians. Yazidis are still displaced and thousands (mostly women and children) remain missing.
— Nadia Murad (@NadiaMuradBasee) October 28, 2019
ナディア・ムラドさんの活動の内容、彼女が何を乗り越えて発言を続けているかをもっと知りたい方には、下記映画がお勧めである。ソフトは日本語版はまだ出ていないようだ。
ノーベル平和賞受賞ナディア・ムラドの感涙ドキュメンタリー映画『ナディアの誓い ‐ On Her Shoulders』予告編
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同時に、ヤジディに対する暴力はイスイス団によるものであるにせよ、シリア内戦で最も多くの人を殺し、最もひどい破壊を行ったのはイスイス団ではなくアサド政権だということも確認しておく必要がある。
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