Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

複合関係副詞, 感覚動詞+O+動詞の原形, 強調構文(東日本大震災を取材した英国のジャーナリスト)

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今回の実例は、10年前の今日のことを振り返るジャーナリストの文章から。

日本外国特派員協会 (The Foreign Correspondents' Club of Japan: FCCJ) は、日本で仕事をしている外国のジャーナリストの団体で、Number 1 Shimbunという会報を毎月、PDFで出している。現在、2016年以降の各号が誰でも無料で閲覧できるようになっている。

10年前の今日、2011年3月11日に東日本を揺らした大きな地震について「東日本大震災」という呼称が出るか出ないかのうちに、世界各国の大手メディアはスター記者を日本に派遣してきた。米CNNのアンダーソン・クーパーや、英Channel Fourのジョン・スノウといった人たちが、東京から、津波で甚大な被害を被った東北地方の町や避難所から、原発事故で立ち入り禁止となったエリアのすぐ近くから、次々と報道を行っていた。下記は3月14日のジョン・スノウの仙台からの報告(プレイヤーをエンベッドせず、URLだけ貼っておきます。あまり無防備な状態でうっかり見ないようにしてください)。

https://www.youtube.com/watch?v=CAOWDy-0H-E

FCCJに所属しているジャーナリストは、彼ら・彼女らのように大きな出来事があって初めて日本で取材するジャーナリストとは別で、普段から日本を拠点として仕事をしている人が多い。それらの人々も、派遣先(勤務地)が変われば日本を離れることになるのだが、今回、2021年3月のNumber 1 Shimbunでは、90年代から長く日本でジャーナリストとして仕事をし、その後中国に異動となり、東日本大震災のときは中国を拠点としていた英ガーディアンのジョナサン・ワッツ記者(現在は同紙の環境エディター)が、津波に襲われた石巻や大槌、気仙沼といった町を取材したときのことを回想して書いている。

今回の実例は、その一節から。

ワッツ記者(以下「ジョンさん」)は10年前の回想を、「無常」という日本語の単語で書き始めている。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」のあの「無常」である。 

f:id:nofrills:20210311195444j:plain

https://www.fccj.or.jp/sites/default/files/2021-03/03-March-2021-Number1Shimbun-final.pdf

キャプチャ画像7行目で出てくる "Shelly's poem, Mutability" は、19世紀はじめの英国の詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの詩で、同じタイトルで2編ある。第一の詩は、妻のメアリ・シェリーが『フランケンシュタイン』の中で使っていたそうだが、「ゆく川の水は……」を夜空の雲を題材に表現しているような印象の詩。第二の詩は下記のように書き出されている。

The flower that smiles today

  Tomorrow dies;

All that we wish to stay,

  Tempts and then flies.

What is this world's delight? Lightning that mocks the night,

  Brief even as bright.

Mutability (poem) - Wikipedia

こういう「はかなさ」への繊細で鋭敏な感覚を「日本独自のもの (uniquely Japanese)」と吹き込まれている人も多いかと思うが(私もかつてはそうだった)、シェリーのこの詩からもわかるように、そしてイギリス人(ロンドナー)のジョンさんがここで書いているように、「無常」という日本語はシェリーのこのMutabilityという詩を想起させるという事実からわかるように(もっと言えば、mutabilityという英単語の存在からもわかるように)、この感覚が「日本独自のもの」だというのは、イデオロギーに貫かれたデタラメである。「日本には四季がある」を「四季があるのは日本だけ」にすり替えてしまうようなトンデモ思想に貫かれたデタラメである。

まあ確かに、例えばミラン・クンデラの『不滅』などを読むと、感覚が違うんだなということを思い知らされるのだが。 

不滅 (集英社文庫)

不滅 (集英社文庫)

 

 

閑話休題

ジョンさんはこの「無常」(今あるものはいつまでもあるわけではない)の感覚を、ビルが揺れるような少し大きな地震があると思い起こしていたという。

I worried about it whenever I felt the FCCJ building in Yurakucho sway in the wake of an earthquake.

太字にしたのは《複合関係副詞(複合関係詞)》のwhenever, 下線を引いたのは《感覚動詞(知覚動詞)+O+動詞の原形》である。in the wake of ~は「~のあとで」。このwakeは、船が水面を進んだあとにできる「航跡」だ。「地震のあとで有楽町にあるFCCJのビルが揺れるのを感じるたびに、私はそれ(=『無常』ということ)を心配した」というのが逐語訳になる。

その次の文: 

But it was only after March 11, 2011, that I did not just understand the meaning of mujo. I felt it. I was enveloped by it.

《it is[was] ~ that ...》の《強調構文》である。ここではthat節は、気持ちをストレートに表す文章の書き方としてピリオドで分けられているが、教科書的に整った、それこそカズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』*1のクララのような文体にするならば、次のようになるだろう。(「ハートで感じる英文法」があるのだから「ハートで感じる句読法」があってもいい。)

But it was only after March 11, 2011, that I did not just understand the meaning of mujo but I felt it: I was enveloped by it.

つまり《not only[just] A but B》が埋め込まれているわけである。

文意としては「しかし、私が単に『無常』の意味を了解するだけでなく、実感するに至ったのは、2011年3月11日のあとになってからだった。実際、私はその感覚に包みこまれることになった」ということになる。

 

10年前の今日、ジョンさんは香港での取材を終えて北京空港に降り立って携帯電話の電源を入れたところ、震災の発生を知らせる速報がいくつも着信していた。そしてガーディアン紙の編集部は空港にいるジョンさんに「帰宅せず、そのまま日本に向かえ」とい指示を出す(鬼)。ジョンさんはご家族にモバイルバッテリーや着替えなど当面の必需品を空港に届けてもらって、とりあえず日本への便を手配する。

そのときにはもう日本はえらいことになっていて、ここ東京でも電車は動かなくなっていたし、その日(金曜日だった)、普通に出勤していた人々は、帰宅の足がないだろうから、そのまま会社で泊まるか、歩いて帰るかしなければならないだろうということが言われていた。そして、東北地方の太平洋側が津波に襲われたことはほぼリアルタイムで伝えられていたが(あの時のあの映像を撮影していたNHKの報道カメラマンの、あのときのこととその後がこちらの記事で語られている)、日本海側がどうなっているのかはわからなかった。例えば山形や秋田から陸路で岩手や宮城へ入れるのか? ネットで調べようとしたけれど、平常時のことしかわからなかった。東京は、揺れによる被害そのものはそんなにひどくはなく、皇居エリアにある九段会館で壁・天井が崩落したことで亡くなった方がいるとは伝えられていたが、たとえばうちの辺りではご近所で植木鉢が落ちて割れた程度で、建物もブロック塀も道路も無事だった(うちの中では高いところのものが落ちてきたり本棚が倒れたりする被害があったにせよ。私の台所でも物が落ちてティーポットが割れたりしていた)。そのとき最大の懸念事項だったリビア情勢でフォローしていたリビアの人が、東京にいたことがあって、東京の様子を案じていたので、とりあえず「東京は津波に飲まれてはいないし、亡くなった人も多くは報じられていない」ということを英語で書いてTwitterに上げていた。

そういう中で、ジョンさんの投稿を見た。そしてTwitterでつながっていたジャーナリストの冨田きよむさん(被災地に向かおうとしていた)と橋渡しをすることができた。ジョンさんと私は「記者と読者」でしかなかったし、冨田さんとのご縁もTwitter上でのもので、直接の面識はなかった。私が当時Twitterでinfluencerのステータスを得るほど声が大きかったのは、2009年のイラン動乱やら2011年のアラブの春やらで英語のツイートを日本語にしていたことで多くの方々にフォローしていただいていたことによるもので、何か特別なことがあったわけではないのだが、それがこういう結果に結びついた。まさに "The power of Twitter" だった。

I posted an appeal on Twitter, asking if anyone was willing to drive me to the area. I didn’t expect a positive response and had begun to plan for an overnight stay in the capital and a new effort in the morning. But to my surprise and delight, an assiduous blogger who went by the handle @NoFrills, had taken my cause as her mission. Even though we had never met, she spread the word far and wide, eventually finding me a guardian angel in the unlikely shape of a reporter for Playboy magazine, Kiyomu Tomita.

https://www.fccj.or.jp/sites/default/files/2021-03/03-March-2021-Number1Shimbun-final.pdf

既に当ブログ既定の4000字をとっくに超過しているので、このあとはまた改めて。

(ジョンさん、言及ありがとうございます。ちなみに私のハンドルは、英国の激安スーパーのクソ不味いオリジナル商品のベイクト・ビーンズに由来しています。枝豆の塩ゆでという文化のある日本は最高だと思います。)

 

※4900字

 

関連書籍:  

モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)

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*1:今、英語で読んでいるところ。最初に日本語訳で読みかけたのだが、テーマ的にも、英語屋としては「これはまず英語で頭に入れないと」と思ったので原著で読んでいる。

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