今回の実例は、英語版ウィキペディアから。
1992年のバルセロナ五輪で金メダリストとなった柔道家の古賀稔彦さんが、53歳という年齢で亡くなったことは、英語圏でも伝えられている。
Japanese judoka Toshihiko Koga, who won Olympic gold at the 1992 Barcelona Olympics, died on Wednesday aged 53, public broadcaster NHK said. https://t.co/hqG92JBCuY
— Reuters Sports (@ReutersSports) 2021年3月24日
私は柔道のことは道着の縫い目のひとつほども知らないが、どこかすれ違う程度の縁を得た、日本に関心のある人(特にアニメだゲームだとさわぐようになる前に日本に関心を抱いた人の中には、柔道と接点があった人がわりとよくいた)が、Kogaという名前を出して、"the greatest of all time" と、今ならGOATという略語にされるような表現で語っていたことがあったと、ずっと忘れていたようなことを、訃報に接して思い出した。
Toshihiko Koga was like the Michael Jordan of judo – developed his own signature style, beat many opponents who were bigger and stronger, super charismatic, an Olympian. What a loss for judo and sportsmanship
— Elliot (@Loh) 2021年3月24日
「古賀稔彦は、柔道界のマイケル・ジョーダンのような存在だった」と書き出されているこの文は、そのあとでその内容を具体的に説明しており、《トピック・センテンス》の次に《サポート・センテンス》という英語の書き方のお手本のようだ。
Even if you don't know a thing about judo or martial arts, I think you might be able to tell that there's something unusual going on here. Koga perfected about ten individual things to put this all together, to devastating and entertaining result pic.twitter.com/RQRRRq65al
— Elliot (@Loh) 2021年3月24日
「たとえ~でも」の《even if ~》を使って「たとえあなたが、柔道やマーシャル・アーツ(格闘技)について何も知らなくても」と前置きして、「これを見れば、何か普通でないことが起きているということがわかるかもしれない」と古賀氏のすごさを示す映像を紹介するツイート。残念ながら、本当に柔道について何もわからない私には、「すごい、軽々と一本背負いしている」ということしかわからないが、ここでは古賀氏は「10の別々のこと」を一緒におこなって、あの見事な技を決めているのだという。
本当にすごい技能を持っている人は、軽々とやってのける。楽器の演奏でも、工芸でも、スポーツでもそうだ。素人には「すごい」ということしかわからない。「よくわからないけどすごい」のだ。そしてもちろん、その背後には、素人には見えないような努力と鍛錬の積み重ねがある。
古賀稔彦さんの英語版ウィキペディアのページは、私が訃報に気が付いたときには既に更新されていた。その冒頭、その人物についての概略を端的に述べる部分に、ウィキペディアらしからぬ、というか書き言葉らしからぬ次のような一文があるのに気付いた。
Koga is regarded as having perhaps the greatest ippon seoi nage ever.
《regard A as B》は「AをBとみなす」で、これを受動態にすると《A is regarded as B》「AはBとみなされている」。
Eddie Van Halen is regarded as a guitar god, but Billie Eilish doesn't know who him or his group.*1
(エディ・ヴァン・ヘイレンはギターの神様とみなされているが、ビリー・アイリッシュは彼や彼のグループのことを知らない)
ここでは《B》のところが-ing形になっている。「通常、asは前置詞なので、直後は名詞なのでは」と思われるだろうが、実は、SVOCの文型でCがasに導かれることがあり、regard A as Bはその代表例である。手元にあるMichael Swan, Practical English Usage には次のように出ている (580)。
After some verbs, an object complement is introduced by as. This is common when we say how we see or describe somebody/something.
...
The structure is also possible with as being.
The police do not regard him as being dangerous.
Practical English Usage (Practical English Usage, Third Edition)
- 作者:Swan, Michael
- 発売日: 2005/07/07
- メディア: ペーパーバック
この構文で、as beingではなくas havingが使われることがある。Google検索で「regard "as having"」を見てみると、havingが完了形の一部である場合 (as having been madeのようなもの) も大量にヒットするが、単に「~を有する」の意味のhaveとして、次のような例が見つかる:
I was regarded as having a 'mild case' of Covid-19. I had burning lungs and exhaustion for weeks*2
(私は「軽症」のCovid-19に罹患しているとみなされたが、何週間にもわたって肺が苦しく、倦怠感も続いた)
Glossary: Being Regarded as Having Such an Impairment*3
(用語解説: 「そのような障碍を有するとみなされる」とは)※法律用語の解説
What does it mean to be regarded as having a disability?*4
(「障碍を有するとみなされる」とはどのような意味か)※法律用語の解説
次のポイント。
Koga is regarded as having perhaps the greatest ippon seoi nage ever.
太字にした部分は、《the+最上級 ~ ever》の表現で、「これまでで最も~な」の意味。"the greatest ippon seoi nage ever" は「これまでで最もすばらしい一本背負い投げ」という意味である。
ここで気づかれた方も多いと思うが、英語では「最も~な」を言うときに最上級で決め打ちすることを嫌い、one of ~を使って若干のゆとりを持たせることが多い。上でたまたま参照したエディ・ヴァン・ヘイレンについてのウィキペディアにも次のようにある。
He is regarded as one of the all-time greatest guitar players in rock history
(ロック史上最高のギター奏者のひとりとみなされている)
「ロック史上最高のギタリスト」はわかりやすい例のひとつだが、点数をつける競技大会のような場でもない限り、「最高の~」は、だれか1人を決め打ちして出すことができない。仮にここで「エディ・ヴァン・ヘイレンが最高である」と断言してしまったら、瞬く間に「ジミヘンは」とか「スティーヴィー・レイ・ヴォーンは」といった反論が数百はあるだろうし、そもそもだれか1人を特定する意味もない。
だが、ここで古賀氏については「これまでで最もすばらしい一本背負い投げ」という断言が、perhaps(「おそらく」)という副詞を伴って、記載されている。それが「(たとえウィキペディアとはいえ)百科事典らしからぬ」という印象を引き起こした。
最初にこれを見たとき、私は「訃報を受けてのトリビュートとして、誰かが新たに書き加えた一文かな」と思ったのだが、ウィキペディアの履歴をさかのぼって確認してみたら、訃報があったときにはもう既にそう書かれていた。
3月24日に訃報を受けて更新される前は、昨年5月の更新である。そのときにはもう、"Koga is regarded as having perhaps the greatest ippon seoi nage ever." という一文は記載されていた、ということがこれで確認できる。
※文字数かなりオーバーして4500字
*1:英文出典:
*2:英文出典:
*3:英文出典:
*4:英文出典:
https://www.wiley-wheeler.com/what-does-it-mean-to-be-regarded-as-having-a-disability.html