今回の実例は、あるとても大きな事件が発生してから20年になろうというタイミングで、ようやく語られるようになったことについての記事から。
米国で2001年9月11日に起こされたその事件(以降「9-11」、英語では "Nine-eleven" と呼ばれる) は、法的に、まだ「解決」していない。首謀者(計画立案者)の裁判は、事件発生から20年を経過してもほぼ手付かずといってよい状態で、長らく中断されていたあとでようやく、昨日(2021年9月7日)に再開されたそうだ。
#UPDATE Accused #September11 mastermind Khalid Sheikh Mohammed and four others appeared in court for the first time in more than 18 months on Tuesday as US military prosecutors seek justice two decades after the world-shaking terror attacks https://t.co/XUqr6Jb5Ww #Guantanamo
— AFP News Agency (@AFP) 2021年9月7日
Khalid Sheikh Mohammed. カタカナにすれば「ハリド・シェイク・モハメド」または「ハーリド・シャイフ・ムハンマド」etc。アルファベット表記にしたときの真ん中の "Sheikh" は "Shaikh" と綴られることもあり、ここ数年のGoogleはゆらぎ検索してくれるから大丈夫だと思うが、以前は表記ゆれで検索結果が狭められる人名のひとつとして要注意だった。1964年か65年生まれ。パキスタン人だが生まれはクウェート。父親がデオバンド派の宗教家で*1、甥が1993年のニューヨーク世界貿易センタービル(2001年9月11日に飛行機が突っ込んだあのビル)爆弾事件で有罪となったテロリストであったりと、英語版ウィキペディアのエントリは、この人物について何も知らない状態で見たら、本題に入る前に情報量過多になってしまうのではないかと思ってしまうほどである。
このハリド・シェイク・モハメドは、甥が有罪となった世界貿易センタービル爆破(1993年)にも関わっており、またその他の爆弾計画にも主導的な立場で関与していたと考えられ、9-11以前から、米国の(州レベルではなく)連邦レベルの法執行機関、つまり連邦警察たるFBIにマークされていた。
それにもかかわらず、彼はFBIに捕まることなく、9-11のテロ計画は実行されてしまった。
そのことについて、90年代当時彼をマークしていたFBI捜査官が、何が起きたのかを語っているのが、今回見る記事。米国ではなく英国の報道機関、BBCに出ている。
「当時彼をマークしていたFBI捜査官」は、このBBC記事で顔(証明写真)をさらしているフランク・ペレグリノ氏。既にFBIを退職しており、それゆえ、メディアにしゃべれる範囲のことはしゃべってもよい状況にあるのだろう。
今回、まず実例として見るのは、記事の書き始めのところから。
1行目:
"He was my guy."
これはこのまま日本語にしても意味不明だろう。日本語にする以前に、このまま解釈しても同じく意味不明だ。ましてや機械翻訳に投げたところで、意味の分かる文にはならない。
「彼は私の男であった」なんて、恋人なのか、と思ってしまうのが普通だと思うが、そうではない。
この "my guy" は捜査機関や情報機関独特の用語法で、「自分のターゲット」「自分が追っている人物」という意味である。(捜査機関のターゲットになるような計画犯罪者はまず男という前提がある時代の用語だから、今の時代にこういう解説をすると違和感があるかもしれないが、それはどうしようもないことなのでそこで絡んでこないでいただきたい。)
記事の書き出しの1行目で、記事を書く記者の地の文を書くのではなく、引用符を使って、誰かの発言をそのまま書くのは、読者の関心を引き付けるためのテクニックのひとつである。
ここでは「この男は、私が追っていた人物じゃないか」という捜査官の言葉を、記事の最初に持ってきて、その言葉についての説明をその次に続けているのである。
第2段落の第1文:
Frank Pellegrino was sitting in a hotel room in Malaysia when he saw the television pictures of the planes crashing into the Twin Towers.
英文法的には特に難しいところはない。太字にした "when" は《時》を表す《接続詞》で中学レベルだ。注意すべきところがあるとしたら下線で示した "was sitting" で、これはsatでは表さない(原則としてsitという動詞は「座るという動作をする」の意味なので、「座っていた」という継続を表すには進行形を使う、と学生さんには説明するところだが、実はこの動詞、ちゃんと通じるように使おうとすると意外と難しかったりする)。
ペレグリノ氏は、マレーシアに滞在中に、ホテルの部屋のテレビの画面の中に、あの光景を見た。そして、超高層ビルに飛行機が突っ込むという衝撃的な映像を見ただけで、「あいつがやったんだ」と直感したわけだ。
それが書かれているのが第2段落の第2文:
The first thing he thought was: "My God, it's got to be Khalid Sheikh Mohammed."
1段落飛ばして、第4段落:
The former FBI special agent had pursued Mohammed for nearly three decades, yet the alleged 9/11 mastermind is yet to face justice.
飛ばした第3段落も導線を作っているのだが、ここまで読んできてようやく、フランク・ペレグリノ氏が「元FBI特別捜査官」であることが読者に示される。ここに至る前に読むのがめんどくさくなってしまうくらいの英語力だと、英語で文書を読むことは難しいだろう。「でも機械翻訳があれば十分だ」と反論されるかもしれないが、この類の文は機械翻訳には向かないということは、しょっぱなに述べた通りである。機械翻訳は、コンテクストというものを理解して翻訳結果を出力するわけではないから、せいぜいが意味不明の日本語にしかしてくれない。
さて、文法解説をしておこう。このパラグラフ、機械翻訳でなく人間が訳しても誤訳しがちなポイントがある。注目すべきは《時制》だ。
まず、太字にしたところは《過去完了》で、後続の "for nearly three decades" があるからわかりやすいと思うが、「その時点までずっと~していた」の《継続》の意味を表している。マレーシアのホテルの部屋で飛行機が世界貿易センタービル(World Trade Centerだから「WTC」と略される)に激突するのを見た時点で、ペレグリノ氏は30年間ずっと、ハリド・シェイク・モハメドを追ってきた、ということである。
その次、青字で示した ", yet" は接続詞的に用いられるyetで、「だが」の意味。
そしてそのあとの文が、ここまでの内容に引っ張られて誤訳が生じがちなところなのだが、"the alleged 9/11 mastermind is yet to face justice" の下線部は《現在形》なので、現在のことを言っている。
《be yet to do ~》は《be + to不定詞》のバリエーションで、「まだこれから~することになっている」という《予定》の意味を表しているのだが、逆に言えば「まだ~していない」という内容である。「9-11の首謀者とされる人物の裁判は、まだこれからだ」という意味になる。
その次の段落:
A lawyer for Mohammed has told the BBC it may be another 20 years before the case is concluded.
注意点は《it is ~ before ...》の形(isが "may be" になっている)。文意は、「モハメドを担当する弁護士の1人は、BBCに対し、裁判が終結するまでにはまだ20年かかるかもしれない」。
次回もこの記事の続きを見ていこう。
※3950字
*1:個人的に、数年前にどういう筋かよくわからない筋から「~したらタダではおかない」的な文言で脅迫を受けているため、デオバンド派を含むあれこれについて日本語で詳しく書くと身の危険にさらされる可能性があるので、関心がある方は各自お調べいただきたい。英語版ウィキペディアに出典つきで書かれているようなことですら、書けない状況であることをご理解いただきたい。翻訳者にとっては絶対的な基準である「原テクストにそう書いてあるのです。ピリオド」が通じない人(「原テクストにそう書いてあるからといって、そのまま日本語にするな」的なことを言ってくる人もいるわけで)を相手にするのは、特にこのようなセンシティヴな分野では、本当に恐ろしいことである。