今回の実例は、前回文字数があふれたため書けなかったことをTwitterから。
前回見た、ボリス・ジョンソン首相の「鼻声」記者会見に関する英メディアMetroのTwitterフィードには、いくつものツイートの連投(スレッド)になっているうえに、それぞれにたくさんのリプライがついているから、全体でみるとかなりとんでもない量になっているのだが(そうやって発言の数を増幅させることもまた、今どきのメディアっぽいやり方である)、それらのリプライの中には「くだらないな、だれでも風邪くらい引くだろ」という、所謂「中立」(を装ったジョンソン擁護・メディア批判)のものもあるが(それらの発言主は「Covidの症状」など一顧だにせず、ひたすら「風邪 a cold」の話をするばかりである)、より目に付くのは、ジョンソンが先日病院を訪れたときに、院内でマスクもせずにうろうろしていたこと、その無責任っぷりを指摘するものである。
しかもジョンソンは、2020年春、現在では "Covid" と簡略化された表記が一般化している新型コロナウイルスによる感染症がまだ "COVID-19" と表されていた時期にこの病気になって入院し、かなりひどい症状になって、医師団の尽力で持ち直して退院したことがあるような人物で、元々「無責任男」のキャラで売ってきた人物であるとはいえ、病院内でマスクをしないのはあまりにもひどい。さらにいえば、病院などでのマスク着用のルールはジョンソン政権が定めたものである。この人物は、公衆衛生に関して、自分で定めたルールを自分で守ることすらしようとしていない、ということで、あちらこちらの人々がブーイングみたいにして発言するのも当然のことだ。
そしてジョンソンは、同じように無責任な行動をとり続けるし、何ならどっかに逃げる。こないだは厳しい局面で国外のお友達の別荘にしけこんでしまっていたし、2019年の選挙前は記者を避けるために訪問先の食品倉庫の冷蔵庫に閉じこもってしまったことがあるような人物だ。
というわけで、それらのリプライを見ながら私などは「いつまで続くんかな、これ」としょんぼりしているのだが、そういうときでも英語の実例として拾うものは拾う。職業病みたいなものだが、そんなことでもしていないとやっていられないという一種の「逃避」でもある。
といいつつ、「これはよい」と思ってLikeしてメモっておいた発言のひとつが見当たらなくなっていて(ツイート主が削除したか、アカウントを非公開にしたのだろう)、やっぱり前回扱っておくべきだったな、など、「should have + 過去分詞」の構文で考えたりしているのだが、ともあれ:
Maybe he should have worn a mask in public, like the rest of us
— Lettie (@Lettie44) 2021年11月16日
Metroのスレッド最初のツイートについていたリプライのひとつで、最もシンプルな《should have + 過去分詞》の例。「公共の場ではマスクを着用していてしかるべきではなかったのか、彼以外の人々と同じように」。そうしていれば風邪(そしてひょっとしたらCovid)で声が荒れるということもなかっただろう、という趣旨である。
これと同様のリプライは本当に大量にあるのだが、いくつか貼り付けておこう。
Maybe he should have worn a mask on that hospital visit 🤷♀️🤷♀️
— kate nicholls (@katenicholls44) 2021年11月16日
Maybe Boris should have worn a mask 😷
— Elizabeth Daley (@Elizabe88508545) 2021年11月16日
Should have worn a face mask. Idiot!
— Alanigel (@alanigel) 2021年11月16日
まさに「異口同音」で、別々の人が同じことを(だいたい同じ構文を使って)述べているのだが、3番目のは、文頭の主語が《省略》されている。"He" (= Boris Johnson) のことを言っている(主語が "He" である)というのは、自明のことだからだ。
「日記文体」「手紙文体」と呼ばれるものでは、一人称単数の主語(I)が省略されるのだが(Twitterでもその省略がなされる例はとても多い。例: Was eating lunch when the phone rang. 「電話がなったとき、私は昼食を食べていた」)、この例のように、文脈から、誰のことかがはっきりわかる場合は、一人称単数でなくても主語が省略されることがある。これは、学校では教わらないかもしれない。アカデミックな場面で必要とされる英語とは別の種類の英語だから、学校で教わらなくっても不思議ではない。もちろん大学入試でも(よほどガチの小説が出題される、とかでなければ)出てこない。
別の内容のリプライもいくつか。
People with ‘cold-like symptoms’ are meant to have a PCR…
— A/Prof Samantha Pugh 💙 (@SamLP) 2021年11月17日
「『風邪のような症状』がある人は、PCR検査を受けることになっているのだが……」
「症状がある」を表すときに前置詞のwithを用いるという点と、《be meant to do ~》がポイント。これは「~することになっている」の意味で、辞書ではmeanの項に出ているはずである。各自で参照していただきたい。
ジョンソンが少し前に病院でマスクを着用していなかったことについてのリプライ:
— Cosmic Owl (@CosmicO43151136) 2021年11月16日
何かの新聞記事の一節で、
Any man who has to be told three times to wear a mask in a hospital obviously lacks the ability to feel any empathy or shame
とある。1文の中に2回も使われている "any" が見どころだ。
《肯定文でのany》は、「どんな~でも」という意味合いで、"Any man who ~" は「~する人はだれでも」。
2番目の方の "any" は、先行するlackという動詞の否定的な意味が影響するから、肯定文だと思って「どんな~でも」と訳すと失敗するというちょっとめんどくさいかもしれない例だが、「他人への思いやりとか、自身の恥といったものを感じる能力が一切欠落している」という意味になる。
"has to be told" (《have to do ~》+《受動態》)とか、"the ability to do ~" といった表現も見どころではあるのだが、それらを解説していたらまた書き終わらなくなるので、割愛する。
"in a hospital" という部分で、下線で示した《不定冠詞》のaは、「お」と思った人がいたかもしれない。通例、自分(主語)が診察を受けたり治療を受けたりするために病院に行くとか病院にいるとかいう場合は、hospitalに冠詞はつけない。これは「学校」や「教会」なども同じで、自分が勉強するためとか、自分が礼拝するためにその施設にいくときは無冠詞になる。ただし、hospitalの場合は英米差があって、米国では常にtheをつけるんだそうだ*1。めんどくさいね。
I was in hospital at the time. / I was in the hospital at the time.(米)
(そのとき、私は入院中だった)
I was visiting a hospital in Kabul when the US president announced the plan.
(米大統領がそのプランを告知したとき、私はカブールのある病院を訪問中だった)
He went to school in Tokyo.
(彼は東京で学校に通った)
He was at a school in Tokyo to make a speech.
(彼はスピーチをするために、東京の学校に行っていた)
さて、次の例。
Maybe he was trying to say something truthful and it got stuck in his throat 🤔🤔
— dezzafromscarborough (@dezza2542) 2021年11月16日
ジョンソンの声がcongested, つまり「何かが詰まっている」様子だったということで、それは通例一種の成句として「鼻が詰まっている」と解釈されるのだが、ここではあえて文字通りに「何かが詰まっている」と解釈して、「のどに何かが詰まってしまったんじゃないのか」とまぜっかえしている皮肉な投稿。「本当のことを言おうとしたら、それがのどにつっかえてしまったのかも」。
文法的には、《get + O + 過去分詞》が使われていることに注目だ。
というところで今回最後の例:
He's probably got covid again. None of them seem to stick to the rules that they preach.
— MrHolloway (@HollowaySimmer) 2021年11月17日
この発言を、自然なように日本語にするとしたら、私なら「またコロナにかかったのではないか。それにしても、あの人たち、誰一人として、自分で守れ守れと言ってるルールを遵守しようとしてないように見えるよね」と、「それにしても、」というつなぎ言葉(一種の《接続詞》)を補うだろう。
逆に言えば、日本語で「それにしても」でつなぐのが自然である場合、英語でそこに何か接続詞的なものを入れるかどうかというと、入れない方が自然なんじゃないか、ということになる。
これは、日本語母語話者が書く英語についてしばしば指摘されることだが、やたらとAndやBy the wayで文を書き始めていて、それが何の論理マーカーにもなっておらず、論理構造を作っていないので単に意味不明だ、ということがある。その多くが、日本語で考えた文面をそのまま、日本語の調子で英語にしようとして、英語では余計な語を入れてしまっている、というケースと思われる。っていうか自分はそう指導されている。
ミュージシャンや俳優といったセレブの人たちがインスタグラムに画像でアップする長文などを見ていると、英語での接続詞の出番の少なさ(出番は少ないけど、出番があるときはかっちりと論理を構築している)に気づかされることが多い。報道記事などではそんなことを考える隙間もないんだけど。
その点、また何か気づいたことがあったら、当ブログで取り上げることとしたい。
※そしてまた字数は超過して、4660字になってしまった。
*1:リンク先のほか、江川『英文法解説』p. 124などを参照。