Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

【再掲】「Go Toキャンペーン」「Go Toトラベル」という言葉のどこがおかしいのか (2)

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このエントリは、2020年7月にアップしたものの再掲である。

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今回は前回の続き。

まず前置きとして、前回のエントリへのブクマから: 

こういう人ってシンガポール英語表記とか見る度に一々ブチ切れてるのかな

https://b.hatena.ne.jp/entry/4688560548380032066/comment/Big_iris

 だれがシングリッシュの話をしている。(怒)

こっちはこっちの文脈があって発言してんだよ。(怒)

こうやって勝手に話をすり替えて悦に入る奴が、一番たちが悪い。自分が話をすり替えているということ、たちが悪いということを自覚しないからだ。 

詭弁論理学 改版 (中公新書)

詭弁論理学 改版 (中公新書)

 

ちなみにシングリッシュは、日本のめちゃくちゃな英語、日本語で言うと何かまずいことがあるからゴマカシのために使われる英語もどきなんぞより、もっとまともである(あれはあれなりに一貫性がある)。

 

前置き終了。本題。

前回は、goは常にtoを伴うわけではないということを指摘し、英語のtoには《前置詞のto》と《to不定詞のto》があるということを説明し、"go to travel" だの "go to eat" だのといった《go + to不定詞》の英語としての不自然さを見た。

日本政府の例の「GoToキャンペーン」が、「GoToトラベル」と「GoToイート」だけなら、《to不定詞のto》の話だけしてればよかったのだが、私はここで《前置詞のto》の話もしている。

それはなぜかというと、「GoToキャンペーン」には、「GoToトラベル」と「GoToイート」のほかに、「GoToイベント」てのがあるからである*1

f:id:nofrills:20200716082601p:plain

https://www.meti.go.jp/information/publicoffer/kobo/2020/downloadfiles/k200701001_04.pdf

「イベント」は英語のeventを元にしたカタカナ語で、それ自体は何も問題はない。単なる名詞だ。

だが、「GoToイベント」となると、「勘弁してくれ」となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

政府がやっているのは、

この3つを「GoToキャンペーン」としてひとまとめにすることだ。

ja.wikipedia.org

 

だが、前回から指摘しているように、"Go to travel", "Go to eat" の "to" (不定詞のto)と、"Go to events" の "to" (前置詞のto)は別物である。

日本語でたとえて言えば、音は同じだが漢字が違う、というものだ。「雨」と「飴」を同一視することはできない。「皿」と「更」を同一視することはできない。「風」と「風邪」を同一視することはできない。

それと同じように、《to不定詞のto》と《前置詞のto》を同一視することはできないのである。言語的に。

 

しかし日本政府は、極めて政治的な判断で、これらを同一視している。あるいは元から、これらを区別する能力(英語力)がないのかもしれないが、それならなおさら、「英語のできる日本人」というバカげた理想を掲げて「スーパーグローバルハイスクール」とかやってるのは一体何なのかと。

 

というかそもそも、日本は英語を公用語としているわけではないのだし、日本国政府は日本語で政策を打ち出し、説明すべきである。

 

かつて、「小室サウンド」が流行っていたときに、音楽のよしあしとは別に、歌詞のあのひどい英語がネタになったことがあった。まだ一般人がインターネットを使い始める前のことだ*2。「ネタになった」といっても、直接顔を合わせてくだらない話をする友人関係などに限られていたが、当時私はたまたま学習塾で教えていたので、小室サウンドにさらされている中学生・高校生に、「"Can you celebrate?" という言い方の何がおかしいのか」、「"Body feels the exit" はなぜ排泄欲求を声高に叫んでいるようになってしまうのか」を説明することもあった。

ポップソングでの「ひどい英語」は小室サウンドに限ったことではなかったのだが、小室サウンドは本当に世の中を覆いつくしていたので、影響力の大きさは他のポップスの比ではなかった。

それでも、その「小室サウンドにおけるひどい英語」は、民間人が勝手にやってることでしかなかった。

2020年の「GoToキャンペーン」は、それと同じようなことが、官製で行われている。ここに私は絶望を覚える。怒りではない。絶望だ。

しかもその政府はこれと同時に「英語のできる日本人」云々を掲げ、「英語4技能」云々で試験をめちゃくちゃにしている。

 

その中でできることをやっていくしかない。これは極めて「新自由主義」的な態度ではあるだろうが、現実として、個人にはそうすることしかできないのだ。当ブログはそのための場と考えている。

 

今回はものすごく変則的なエントリだった。次回から通常運転に戻りたい(が、何かあったらどうなるかわからない)。

 

※3720字

 

参考書:  

 

*1:この話をすると、ほぼ確実に「それは経産省ですよね。GoToトラベルは国交省ですよ?」などとしたり顔で絡んでくるのが出てくると思うが、私は管轄省庁の話がしたいわけではない。日本国政府が何をしているか、それをどう呼んでいて、それがいかに奇妙で愚昧に見えるかという話をしている。わかったらすっこんでろ。

*2:一般人が自分の好きなようにネットを使うようになったのは、1998年のWindows 98発売以後。Tech業界はどうか知らないが、一般的には、それまではせいぜい「会社にあるのを業務で使う」程度だった。