このエントリは、2020年9月にアップしたものの再掲である。
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今回もまた、前々回と前回の続きで、人が亡くなったときの追悼のことば、 "Rest in peace" の代わりに使われる "Rest in power" というフレーズについての解説記事から。(この記事、かなり読むのが難しいという反応をいただいています。解説記事は報道記事より読むのが大変なのがデフォで、さらに掲載媒体が、前々回少し触れたように、がっつり読ませる系の媒体なので、文章も難しいかもしれません。かなり方向性・傾向が違いますが、日本でいうと普段『ニューズウィーク日本版』を読んでいる人が、『現代思想』を読んでいるような感じだとイメージしてから読んでいただけると、多少気分的に楽になるのではないかと思います。)
この記事が解説している内容については、前回の導入部でざっとまとめたので、そちらをご参照いただきたい。
記事はこちら:
今回実例として見るのは、前回見たところの次のパラグラフ。前回見たパラグラフの最初の部分で使われていた構文が繰り返されているが、これは文章術というか一種のレトリックによる《繰り返し》だろう。
これまた大学受験生向けのきれいな構造をしている箇所。
キャプチャ画像の最初の文。やや長い文だが、構造は取りやすいのではないかと思う。まず注目すべきは、書き出しから8語目から9語目で、それに気づけば、それを見て予期すべき語句を頭に置いて先を読めるだろう。そうすることで、全体の構造が見えるようになる。
In this way, rest in power is not only a prayer for the deceased to enjoy eternal rest but also a call to be heeded by those they left behind, a way to signal that the fight is not over, that an unfair death will give rise to change.
黒の太字で示したのが、最初に注目すべき語句。青の太字で示したのが、それを見て予期すべき語句。つまり、「not onlyを見たら、そのあとにbut alsoが出てくることを想定して読め」ということである(ただし実際にはalsoは省略されていることもよくあるのだが)。
ということが見えたら、この文の「"Rest in power" というフレーズは、a prayerであるだけでなく、a callである」という全体像が見えているはずである。これでこの文の読解の半分はできた。あとは細部だ。
まず最初の、"a prayer for the deceased to enjoy eternal rest" は、特に難しくはないだろう。"to enjoy" は《to不定詞の形容詞的用法》で、"for the deceased" はその《to不定詞の意味上の主語》になっている。「故人が永遠の休息を享受してほしいという祈り」といった意味である。
次、後半のbut also以下。ここが長いのは、《同格》の構造が重なっているため*1。順番に見ていこう。
but also a call to be heeded by those they left behind, a way to signal [ that the fight is not over ], [ that an unfair death will give rise to change ].
全体としては、"a call" と "a way" がandを使わずに並べられている。つまり《同格》、《言い換え》と解釈される。
"a call to be heeded by those they left behind" の "those" は「人々」の意味、"they" は先行する複数の名詞を受けており、ここではこの文の前半の "the deceased" だろう。「彼ら(=死んだ者たち)があとに残していった人々によって留意されるべき呼びかけ」といった意味になる。
その後、"a way to signal that the fight is not over, that an unfair death will give rise to change" で、太字にした "that" は "signal" という動詞(to不定詞の一部)の目的語となる名詞節を導くthatだが、これも等位接続詞(andなど)を用いずに2つ並置されていて、《同格》、《言い換え》と解釈される。「戦いはまだ終わっていないこと、公正でない死は変化を引き起こすであろうということを示すための方法」といった意味になる。(つまり「戦いはまだ終わっていない」=「変化はこれから引き起こされる」という同格・言い換えの関係がある。)
つまり、"Rest in power" は単なる "Rest in peace" の言い換えではなく、「あなたの戦いは私たち残された者が引き継いでいく」ということを確認するための言葉である、という解説だ。
このパラグラフのこの先は、この文が述べたことをさらに具体的に述べている。英文の《メインのセンテンス》+《サポート文》という基本構造を思い出しながら読んでみるとよいだろう。なお、具体的である分、固有名詞などなじみがなくて逆に読みづらいということもあるかもしれないが、その場合はウェブ検索で確認してみると理解が深まるだろう。せっかくネットにつながって勉強しているのなら、自分でどんどん地平を広げていくとよい。今の世の中、そういうことをすると、ひょっとしたら学校(や一部の塾)の先生には嫌われるかもしれないが、あなたの人生を生きるのはあなた自身であり、あなたのためであり、学校の先生や学校制度のためではないし、学校の先生はあなたの人生に何ら責任を取らないし負わないし、「責任を痛感」することすらおそらくほとんどない。Be yourself.
※2700字
【追記】なお、このSlate.comの解説記事を書いたレイチェル・ハンプトン氏 (Rachelle Hampton) は、ザ・カーズのリック・オケイセックのような「白人男性のロックスター」という「メインストリーム」の人(それも「不慮の死を遂げた」わけではなくそれなりの高齢で病身だった人)について、 "Rest in power" という、元々ブラック・ミュージック周辺の色合いが濃いフレーズが用いられたことに大きな違和感を抱いているようだが、リック・オケイセックはプロデューサーとして(アメリカではメインストリームでは受け入れられていなかった)パンクの文脈で重要な仕事をしているし(「黒人のパンクバンド」であるBad Brainsのセカンドのプロデューサーでもある)、「既存の価値観に安住してうまいことやってきた無難なタイプ」ではない。彼なりの「闘争」はしてきた人だし、それを共有してきた人々が "Rest in power" と言って追悼することは、単なる「最近流行ってるかっこいい言い方をしてみた」というのとは違うし、批判されるようなことではないだろう。
オケイセックについてはこちらに沢田太陽さんの追悼文があるので、関心をお持ちの方はぜひ。ザ・カーズ自体が「"俺たちの文化" を横取りしやがって」的な文脈に置かれうる存在だということを考えてしまいました。私は、あのヒット曲は今も口ずさめるけど「よくラジオで流れていたバンド」という認識しかなく、ここまで深いことは知らなかったし、考えたこともなかったです。
リック・オケイセックがプロデュースした多くのバンドの中には、Black-47があるんですよね。ニューヨークから出てきたアイリッシュのバンドで、反英ナショナリズムのrebel songを作り続けてきた。何がどうつながってたんだろう……。
参考書:
*1:なので、「書き言葉」というよりも「スピーチ原稿」のような印象を受ける。音声で響かせることが前提の記述であるような印象だ。