Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

日本語で書かれたものを英語に翻訳するとき、翻訳者の頭の中でどんな作業が行われているのか (1)

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今回はいつもと趣向を変えて、「日本語を英語に翻訳する」という作業では具体的にどういうことをするのか、ということを書いておきたい。あくまでも私の場合はこうだ、ということであり、誰もがこうしているというわけではない(そもそも翻訳という作業は、プロセスの大半の部分がその人の頭の中だけで進行するという、極めて個人的な作業である)ということを、前もっておことわりしておきたい。

「翻訳」とは、説明するまでもなく、ある言語で書かれたもの*1を別の言語で書くことである。単に単語の置き換えで済む場合もあるが、それは非常にレアなケースである。

例えば、今皆さんがこの文面を読むのに使っている道具は「スマホ」だろうか。それを英語でどう表すだろうか。「スマホ」は英語から取り入れられた言葉(外来語、借用語)で、「スマートフォン」の省略形だから、英語では単にsmartphoneと言えばよいのではないか、と考えた人は、正しい。しかし、正しい答えはそれだけではない。つまり、答えはひとつではない。最終的に使われる語句はひとつかもしれないが、そのひとつにたどり着くために、翻訳者の頭の中では多くの可能性が検討されるし、そのひとつに絞り込むために、その語句(表現、言葉)の置かれた文脈を確認する。 "Context is everything." と言う通りで、文脈なしには何も決められない。

英語圏ではsmartphoneは、iPhoneの登場(2007年)と普及、Androidの登場(2008年)と普及により*2今の形のスマホが日常で使われるようになる前からあった。そもそもsmartphoneは、「コンピューターを搭載した (smartな) 電話 (phone)」という意味で、2000年代には、つい先ごろサポートを終了したブラックベリー(旧型)がsmartphoneと呼ばれていた。いわゆる「ガラケー」が発展していた日本ではあまり普及しなかったが、世界的には、通話機能だけでなくネットも使える端末といえばブラックベリー、という時期があったのだ。

だから――「英語を日本語にする場合」というトピックを自分で設定しておいて少々話が脱線するが――2008年の米大統領選挙のときに書かれた「バラク・オバマ候補はsmartphoneを愛用していることで知られている」という内容の英文を日本語にする場合は、「スマホ」という現代的な訳語を使うと、「誤訳」と判断されうるレベルのまずい訳(少なくとも「誤解を招く訳」)をしてしまうことになる。正確な訳文を作成するためには、「2008年の大統領選挙でオバマ候補が使っていたのはどういう機器(端末)か」を、写真資料などで確認する必要がある。

閑話休題。話を元に戻して、2022年の今、「スマホ」は、英語でどう表したらよいかというと、ひとつにはそのまんまsmartphoneと表す方法があるのだが、smartphoneっていかにも長たらしくて技術用語って感じがして、「スマホ」の語感には合わないように感じられるだろう。実際その通りで、smartphoneという言葉は、日本語で主語も述語も助詞もしっかりさせて「私はスマホを使ってこのブログを読んでいる」というふうに書かれている堅苦しい文面ならなじむかな、という語で、「このブログ、スマホで読んでる」みたいな軽やかな表現にはイマイチしっくりこない。そういう場合は、現代の英語では単にphoneと言う。日本語で「携帯電話」が「ケータイ」と略されていたのとは逆で、いつからか、英語圏ではphoneと言えば携帯電話 (米: cell[cellular] phone; 英: mobile phone) を指すようになっていた*3。その携帯電話がiPhone普及とAndroidの登場以降は日本語で言う「スマホ」に置き換わったので、今では日常生活ではphoneと言えばスマホ、ということになっているようだ。

その具体的な用例をTwitterで探そうとしたら、芸能人がスマホ持ってる写真や動画にファンがきゃぴきゃぴしているようなのがものすごい大量に出てきてしまうのだが(そういうツイートはさすがに例として使うのは控えている。あまりに個人的なものだから)、Twitterで "phone" といえばほぼ常に「スマホ」のことだ。例えば下記は、写真に面白キャプションをつけているツイートだが、"When your phone is on 1%" は「スマホのバッテリーが残り1%になってて」の意味。そういう状況でバッテリーチャージャーあるよと友達が声をかけてくれたときの様子を視覚化するとこうなるよね、というネタである。

それから、例えば次のような記述は、お堅い報道記事でも普通に見られる。

It is the name for perhaps the most powerful piece of spyware ever developed – certainly by a private company. Once it has wormed its way on to your phone, without you noticing, it can turn it into a 24-hour surveillance device.

What is Pegasus spyware and how does it hack phones? | Surveillance | The Guardian

これは、イスラエルNSOグループという企業が作っている「ペガサス」というソフトウエア(スパイウエア)についての解説記事の一部だが、このソフトウエアはスマホにインストールされるので、ここでいうphoneは日本語では「スマホ」または「スマートフォン(ホン)」である(固定電話が生活の中でそう目にするものでなくなってきているし、もうそろそろスマホのことは単に「電話」と言ってもよくなってきているかもしれないが、やっぱり習慣的に、この機械は「電話」っていうより「スマホ」だよね)。

書きながら考えているので、いつまででもだらだら書きそうだが、すでに予定の文字数の半分を使ってしまっているので少し先を急ぐことにしよう。

以上、述べたように、私なら、「私はスマホを使ってこのブログを読んでいる」という重い文面なら「スマホ」はsmartphoneにするし、「このブログ、スマホで読んでる」という軽い文面ならphoneという語を使うだろう。

こういった単語の選択は、翻訳という作業では必須である。

基本的に、日本語と英語が単語もしくはフレーズごとに、1対1で対応していて選択などする必要がないというのは普通ではない。

もちろんそういう事例がないわけではない。例えば物質名や化学元素名は1対1で、「酸素」といえばoxygenだし、「窒素」といえばnitrogenだ。学術用語や専門用語も対応するものが決まっていて検討の余地がないことが多い。「形而上的」といえばmetaphysicalだし、「音声学」はphoneticsだ。

それから、「シャンプー shampoo」とか「スプーン spoon」、「タオル towel」みたいな日用品を言う外来語も基本的に1対1だ。「山 mountain」「谷 valley」なども1対1だし、「樹木 tree」「猫 cat」「犬 dog」などもそうで、これらは、基本的にそれ以外に訳しようがない(学術用語や古語を入れるともっと増えるかもしれないが)という語である。だが、こういった語は、実際に翻訳の作業をしていると、意外と少ない。「エビ」みたいなわかりやすそうな語でも、英語ではprawn, shrimp, lobster, scampi, crayfishと何通りもある。

それから、日本語から英語という方向性に限定して考えると、日本語では複数の表現があるが英語はひとつ、というものもある。「太陽」も「陽」も「おてんとさま」も「お日さま」もthe sunである。「空」も「天空」も、修飾語句で工夫する余地はあるかもしれないが、the skyとしか表しようがない。

こういった語は機械的に処理することができて非常に楽である。学術用語などはより厳密に1対1で対応していて、スパンスパンと訳語が決まっていく感覚がある。

だが、日本語では表現は1つだが、英語ではそうではない、というものがかなり――というか非常に―――多い。これらは英語に移し替えるに際して、日本語で書かれているものの内容を正確に、つまり日本語の文面の筆者が意図したものになるべく近くなるように、頭を悩ませることになる。

ここで必要になってくるのが日本語の読み取り・読み解きの能力と集中力と気力である。あと辞書とかそういう道具類は当然。

例えば日本語文に「扉」と書いてある場合、これをどう英語にするか。真っ先に思い付くのはdoorだろうし、多くの場合、「扉」イコール "door" と機械的に処理しても問題はないだろう。だが、実はその「扉」はdoorというよりportalと表すべきものかもしれないし、日本語で「扉」と書かれているものの写真を見たら、どう見てもdoorじゃなくてgateだった、ということもある。あるいは文脈次第ではentranceがはまるかもしれない。

たかが「扉」という凡庸極まりない語の訳語を確定することだってこんなに複雑だ。

仮に訳稿に、さくっとdoorと書いてあったとしても、翻訳者はおそらく、「これはportalではないし、gateでもない」といったことを確認したうえでdoorを選んでいる。平凡な、誰でも知ってる単語をさくっと使っているように見えても、原稿でそう書くのはそんなに簡単な作業ではない。多数の選択肢から、その文脈にふさわしいものをひとつだけ選びだし、原文が描いているのと同じ絵を描く(原文の世界観を別の言語で提示する)。原文が「ですます」調なら、できる限り、訳文もそういう調子にする。原文の一人称が「あたくし」なら、英文は一人称を変えることはできないけれどもその「あたくし」性が漂うような文面にする。それが翻訳という作業だ。

さて、「扉」がdoorと決まったとして、さらにその上に、それが単数なのか複数なのかを判断するという作業が待っている。一般家庭の玄関扉なら単数でa doorでいいだろう。一方でキッチンの棚は何枚も扉がついているから複数のdoorsが普通だ。つまり日本語の「扉」はa doorでもありうるし、doorsでもありえて、そのどちらなのかを考えるのも、翻訳という作業の、とても重要な、なおかつ基本の一部分である。

さらにまた、文脈というものもある。

例えば「さっきお借りした雪かきスコップ、扉の横に立てかけておきますね」「はい、そうしておいてください」という隣人同士の電話での会話を英語にする場合、「扉」はyour doorとするのがいいかもしれない。いや、ひょっとしたらそこは普通にthe doorでもいいのかな……ということを、翻訳者は、いちいち考えるのである。

っていうかここまで飛ばしてきたが、「『扉』っつったらdoorだろ」と思っている人には申し訳ないんだけど、「扉」はdoorではない。a doorだったりthe doorだったり、doorsだったりthe doorsだったり、your doorだったりmy doorだったりmy granpa's doorだったりする。英語ではdoorという可算名詞の単数形は、1語だけで使うことはない。必ず、冠詞か所有格がなければならない。だから翻訳者は、doorにつくのがaなのかtheなのかyourなのかを、冠詞というもののない日本語の文面から読み取って、確定させなければならない(複数形のdoorsだったら、文法的には無冠詞でも使えるのだが、それはそれでまた、the doorsと表すのとは別の意味が生じてしまう)。さくっとa doorと書いているように見えても、その背後に、冠詞はどうしたらいいのかという検討の時間が費やされている。

この冠詞というやつが、日本語にはないし文字数も少ないし、どう見てもあってもなくてもよさそうなので軽視されがち、無視されがち、落とされがちなのだが、これが、日本語母語話者には(何も習わなければ)想像もつかないくらいのポテンシャルを秘めている。

The Rolling Stonesは、Paint It Blackという曲において、最初の部分で "I see a red door and I want it painted black" と歌い、歌の中でストーリーが進行して後半になると "I look inside myself and see my heart is black. I see my red door, I must have it painted black" と歌っている。これに気づいたときは「それか!」とびっくりしたものだ。最初は、どっかその辺で赤い扉を見かけた、という話。それが進行していくと自分の赤い扉になっている。語り手は街を歩いていて赤い扉を見て黒く塗りたくなり、やがて家に帰ったら、そういえばうちの扉も赤いじゃないか、黒く塗ってしまわないと、と思ったのだろうか……など、いろいろと解釈ができるが*4、aとかmyとかそういう、日本語母語話者からしてみればあってもなくてもどうでもよさそうな短くて小さな、聞き逃してしまいそうな単語が、状況描写&心理描写をして流れを作ってるわけだ。余計な説明なしで、そして/しかも解釈の幅を残しながら。

これが英語であり、英語の可能性である。


www.youtube.com

なお、この曲は、aとmyのほかにも、1箇所だけ出てくるyouが物語の決め手になっているのも注目点である。「えっ、何、どういうこと?」となるのだが。英語のこのyouは、すごいよね。この語があるから、何かが具体的になる*5

と、そろそろお気づきかと思うが、今回もまた、当ブログの上限字数4000字を大きく超過している。説明はまだ途中なのだが、続きはまた次回に。なお、しつこく強調しますが、ここで書いているのは「あくまでも私の場合は」という話に過ぎないので、お茶でも飲んで適当に聞き流してください。

 

※5400字

※投稿翌日に推敲と加筆をした結果、6450字

 

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*1:話をすっきりさせるためにここでは「書かれた」としてあるが、「言われた」場合も含む。つまり、ここは「ある言語で表現された」と文字にした方が厳密でよいかもしれない。

*2:正確にはiOSAndroid以外のスマホもこの時期あったのだが、本稿ではスマホの歴史について書いているわけではないので、そこは捨象する。

*3:もちろん表現はphoneだけではなく、 cell phone/mobile phoneも使われていたし、UK式ではmobileでmobile phoneを表すという、日本語の「ケータイ」と同じ現象も発生していた。

*4:もちろん、この歌詞を普通に読めば、実際に自宅の扉が赤かったので黒く塗りたくなったと解釈するよりも自然な解釈がある。

*5:グレゴリー・ケズナジャットの『鴨川ランナー』はそれを日本語でやるという取り組みをしているのだと思う。

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