このエントリは、2020年10月にアップしたものの再掲である。
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というわけで前回の続き。
前回は、日本語から英語にするときに、そのまま文法規則に従って英文和訳すれば通じるものと、それでは通じないもの「決まり文句」があるということについて述べた。また、米国のトランプ大統領の新型コロナウイルス感染と入院について、および感染の事実がすぐには公にされず、ホワイトハウス内ではどんどん感染が広がっていたことについての英語でのニュース系ツイートをいくつか列挙しただけで、本題には入れなかった。
本題は、そのトランプ大統領の感染に際して、日本国の首相が世界に開かれたTwitterに英語で投稿した文面についてである。
Dear President Trump,
— 菅 義偉 (@sugawitter) 2020年10月2日
I was very worried about you when I read your tweet saying that you and Madam First Lady tested positive for COVID-19. I sincerely pray for your early recovery and hope that you and Madam First Lady will return to normal life soon. https://t.co/KcZHxqzhNg
見ただけで「はぁ?」と、口あんぐりで呆れてしまった。どう見ても、ド素人の英作文だ。「ド素人の英作文」であっても何が悪いかと怒る人もいるかもしれないが、それでは通じない(自分の言いたいことを相手にわかってもらうことができない)。「がんばって書いているのに」と思われるかもしれないが、互いのことをよく知る友達同士でもない場合に「がんぱって書きました」が通用するということはめったにない。ましてや一国の首相である。世界に向けて大公開されている場で「がんばって書いたの、ほめてほめて」みたいなことをやられたら、一億総facepalmである。
大学受験生の英作文だ。 https://t.co/5w06R53IsI
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
(大学受験生の英作文だったら、10点中2~4点くらいはもらえるかもしれないし、採点基準によってはもっともらえるかもしれない。だが、実務の英語としては珍妙すぎて通用しない。)
この珍妙な英文が「珍妙である」と述べると「出羽守」だ「マウント」だなんだと罵詈雑言が寄ってくるのが現在の残念極まりない日本語圏Twitterだが、ダメなものはダメである。これは外交の言葉ではない。もっと言えば、国を代表した「外交」レベルどころか、一般企業でのビジネス上のやり取りの言葉としても到底通用するレベルではない。ホームステイでお世話になった家の人への手紙・メールであっても、おそらく通じない。日本語と英語は文法や単語が違うばかりでなく、いわば「お作法」のようなものも違うのだが、そこが全然わかってなくて、ただ直訳している。これではコミュニケーションは成立しない。 なぜこんな文面が発信されているのか。
大前提として、英語が公用語でもなく実務で英語をちらりとでも使うことのない国の首相が世界に向けて英語で発信する(こともある)アカウントで、英語の担当者(専門家)がいないのはなぜなのか、マジでわけがわからない。故宮澤喜一元首相のように英語を使えた人でも、公的な発言をするときは専門の担当者(通訳者)を使っていた。一国の代表者の公的な発言・外交上の発言というものは、そういうものだったはずだ。いつから「本人が拙い英語で一生懸命頑張ってるんだからけなすな」とかって擁護されるべき性質のものになったのか。来日したミュージシャンがステージで「コンッチハ、トーキョー! キョーワドーモアリガトー、タクサンキテクレテ、ウレッシデス」と片言であいさつするような調子で外交をやってもらっては困る。まともな英文を書くことができる専門の担当者を雇ってくれ、頼むから。
さて、この珍妙な英文には日本語の原文があるらしい。ご本人が問題の英文にぶら下げる形で下記の日本語文を投稿している。
親愛なるトランプ大統領へ、
— 菅 義偉 (@sugawitter) 2020年10月2日
貴大統領とメラニア夫人がコロナに感染したとのツイートを見て心配しましたが、お二人が速やかにコロナを克服し、日常を取り戻すことを祈っています。
この日本語も、どっから突っ込んだらいいのかわからないくらいの品質だが、それはここでは措いておこう。あくまでもこれが《原文》ということで話を進める(翻訳において《原文》は絶対的な存在である)。
これを見て、最初、私は、この日本語の文面を渡された担当者が「本人がチェックできるように逐語訳せよ」という業務指示を受けて英語化したのかと思ったが:
これ、「話者本人がわかるように直訳してください」案件で、なおかつ話者が英語で読み書きできない人である場合にありがちな英作文みたいな訳文だよね。「英語として整っているかどうかはどうでもいいんです。話者本人が、翻訳者が誤訳していないかどうかをチェックできるようにしてください」案件。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
この英作文をした人も、身を切られるような思いで打鍵したのではないかと思うと泣けてくる。話者が言いたいことを伝える場合、英語ではこんな言い方はしないって知ってても、「直訳」の指示が来たら直訳するしかない、という。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
ちょちょっと調べてみたところ、どうやらウェブ翻訳(機械翻訳)の文面のようだ。
みらい翻訳、やってみました。並べてあるのはTwitter埋め込みGoogle翻訳。(これらを見るにつけ、機械翻訳利用訳文で、人を表す語句だけ投稿者が自分で手を入れたとということで確定してよいのではないかと) pic.twitter.com/UZGE9jZTY4
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
ここで前回の内容を思い出していただきたいのだが、日本語を英語にする場合、そのまま直訳してよい場合(例: 「おなかすいた」= "I'm hungry.")と、成句・熟語・決まり文句を使わなければ通じない場合(例: 「はじめまして」 = "Nice to meet you.")がある。実際にはこの2つのパターンははっきり分かれているわけではなく、間にグラデーションみたいなのがある。
そしてこのケースは、語句はそのまま直訳してもよいかもしれないが、そのまま直訳したら通じなくなる部分もある、ということになっている。具体的には《時制》だ。
これは日本の学校教育ではまず習わないと思うのだが、英語の過去時制(過去形)は日本語のそれと完璧に対応するわけではない。というか日本語の過去時制は過去時制のように見えてそうではないことが多い。
英語の過去時制は、《(時間的に)過ぎ去ったこと》を言う。もう目の前にない、という距離感だ。
一方で日本語では、形の上で「~した」という過去形のように見えても、まだ目の前にあることを言うことがかなりよくある。例えば「タクシー来たよ」と言う場合、目の前にタクシーがいる。
勘のいい人はおわかりだろう。日本語の「~した」は、英語では《過去時制》または《現在完了時制》になる。そして、《現在完了時制》は実は《現在時制》である。英語の時制は、単にそれが起きたのはいつのことなのかを描写するための形であるばかりでなく、話者が意識をどこに置くかという問題でもあるのだ。
簡単に言えば、"I was worried" と過去形で述べることができるのは、「今はもう心配していない」という文脈があるときだけである。今も心配が続いているなら、"I am worried" または "I have been worried" である。
英語を使える人、使ってる人はあのI was worriedを見て頭がバグってるみたいですね。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
"I was worried about you." と発話するとしたら、何日も姿を見せなかったねこがひょっこり現れてごはん催促しに来たときに言うとか、そんな感じですかね。「もー、心配してたんだよ、どこ行ってたの」みたいな。
「過去において(=さっきまで、ねこの姿を見るまで)、心配していたが、今は(=ねこの姿を見たあとは)心配していない」というときに、"I was worried about you." というように過去形を使うんです。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
というわけで、菅氏のあの英文ツイートは、意味(言いたいこと、メッセージ)は伝わりません。トランプ夫妻の感染についた何か言ってるということは通じるかもしれませんし、英文とは関係のない(テクストの外にある)コンテクストにより「お見舞いの言葉だろう」と人々が察することはできますが。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
言いたいことを正確に伝えるどころか、「I was worriedと過去形で言ってるということは、日本の首相は大統領夫妻の病気が治ったと聞かされているのだろうか」といった言語に起因する混乱すらもたらしかねない。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
こういう《誤訳》というか雑な訳は、とんでもない結果につながりかねない。
今回首相官邸のツイートが全世界に示したのは、日本国首相はそういう基本的な姿勢、常識も備わっていないということです。トピック次第では、国益に関わる問題になりかねないんだから、外務省は気の毒だと思うし、右翼は怒るべきだとおもいますけどね。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
私は右翼じゃないしそういうことはわりとどうでもよくて、とにかく直接的に言語野がつらいからああいう変な英文を垂れ流さないでほしいと思っているだけ。あと、専門の担当者雇え、とか。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
誤訳や雑な訳がどんなことにつながりうるかについては、20年以上前の本だけど、鳥飼先生のこちら:
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
歴史をかえた誤訳 (新潮文庫) 鳥飼 玖美子 https://t.co/gywIGtT7o6 via @amazonJP
https://t.co/PtGuuEYUmc 19年前ですが、2001年10月にこの本について自サイトに書いた文。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
さて、ではこういう場合、英語では何と表すのか。
その話を続けたいところだが、あいにく、この時点でもう5000字で、当ブログ規定の4000字はとっくに通り過ぎてしまっているため、その話は次回としたい。
ティーザーだけ:
ちなみに、ものすごくあっさりした定型文でのお見舞いの言葉がこちら: https://t.co/gwYf6wTRe9 (アイルランド首相)
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
これ、丸暗記しておくと、使えますよ。暗記例文なら目的語はyouにして、余計な要素を取り除いて骨格だけにして、"Wishing you a full and speedy recovery." で覚えるといい。これで病気やケガで入院した人へのお見舞いの言葉になります。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
これだけだと特に何の感情もこもってない、形式的な印象になっちゃうのですが、少なくとも、通じない(気持ちが伝わらない、社会的な儀礼を尽くさない奴だと思われる)ということはないでしょう。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
ちなみに「早期の回復」はearly recoveryではなくspeedy[quick] recoveryといいます。この場合の「早期」は「回復までのスピードが速い」ということであり、何らかの時間的区切りの中でのはじめの方という意味ではないので。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年10月3日
これが「言葉の《意味》を考える」ということです。
参考書: