今回は、同じ事柄を扱う報道記事を読み比べてみよう。
今から半年ほど前の2021年10月15日、自身の選挙区で有権者と1対1で直接対話する「サージェリー」の仕事をしていたデイヴィッド・エイメス英下院議員が、その「有権者」に刺し殺されるという事件が起きた。英国での国会議員の殺害・暗殺は、現代では3人目である*1。当時のツイート(スレッド):
"Sir David Amess, a MP in southeast England, died after being stabbed multiple times on Friday while meeting constituents..." https://t.co/1gZkbnMV69
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2021年10月15日
イングランド南東部の選挙区で有権者に会って話を聞いていた国会議員が刺殺(2016年6月のジョー・コックス議員の殺害とよく似たパターン)
当ブログでも、このとき、各議員たちが「テロには屈さない」として「私のサージェリーはこれまで通り」と告知しているという記事を扱っている。
hoarding-examples.hatenablog.jp
エイメス議員殺害事件では、殺害者が現場にそのまま留まっており、連絡を受けて現場に出向いた警察官にすぐに逮捕された。そして、勾留期限が切れる前に起訴されたのだが、非常にショッキングな事件であるにもかかわらず、事件や、逮捕された容疑者(起訴されたあとは「被告」)について詳しいことが報道されることもなかったので、日本では「あの事件、報道なくなっちゃってるけど、どうなってるの?」という違和感を覚えた人が多かったかもしれない。だが、これは英国では当然のことだ。
この事件に限らずどの事件でも、逮捕された容疑者(起訴された被告)の人物像を含め、日本では当たり前のようになされている事件報道というものは、英国では行われない。裁判が陪審制で、被告が有罪か無罪かを判断するのは(裁判官)ではなく陪審員であるため、その判断を左右してしまうような情報が法廷の外で与えられることは、「法廷侮辱罪」になりうるためである。「何という名前の人物がどこで逮捕され、警察の取り調べを受けている」とか「逮捕された人物が起訴された」といったことは記事になるが(それでも、逮捕の段階では名前は伏せられることも多い。エイメス議員殺害のように現場で逮捕されたときは名前も出るが)、そういった「いつどこで」的な明々白々たる事実関係を超える報道記事は、裁判が行われそうな事件についてはまず出ない*2。
この点、ある逮捕事例に関連してのベン・メイブリーさんの下記の説明が簡明であるが、Twitterのような個人の発言の場でも公衆送信する限りは、「やばいことやっちゃったねえ」とか「対に怪しいと思ってた」みたいな個人の感想や世間話程度であっても、法廷侮辱罪に問われうる。そういう話がどうしてもしたければ、ネットに書き込むようなことはせず*3、個人的な知り合いの間だけで済ませたほうがよいだろう。
正式な情報を伝えることはできるが、終了していない犯罪捜査や裁判に関して、一般人のSNSも含めてメディアなどを通じて意見などを公に発信することは英国では法廷侮辱罪になり得る。日本はその管轄下にならないし日本では法廷侮辱罪が存在しないが、情報以外の意見は憶測になり無責任なので控えます。 https://t.co/1pEZI9HYCN
— Ben Mabley(ベン・メイブリー) (@BenMabley) 2022年2月3日
イングランドというか英国でのこの法廷侮辱罪の要件、日本語圏では知られていないのですが、英国での事件(テロ事件を含む)に関心を持っている人は、前提知識として知っておくといいです。容疑者が逮捕されたあと、その事件についての報道がなくなるのも、こういう理由です。 https://t.co/HAV9UcJtaI
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年2月3日
(法廷侮辱罪になるかどうかが問題なので、法廷に行くわけはないケースでは、そういう根掘り葉掘り報道が行われることもある。ただし、そういうのはタブロイドの独壇場ではないかと。デイリーメイルとかデイリーミラーとか)
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年2月3日
というわけで、英国では、裁判になった何かの事件について、またその事件の加害者(容疑者、被告)については、裁判中に法廷で語られたことは「法廷でこのようなことが主張された」といった形で記事になることもあるが、事件の背景などを含めた詳しい報道が出るのは、裁判が終わった後になる。
エイメス議員殺害事件についても、2022年4月11日に陪審団が「有罪」という結論を出すまでは、詳しい報道はほとんどなかった。容疑者逮捕時にどのような報道があったかは私のTwitterのスレッドに少し記録してあるが、それを超えるようなもの(例えば「事件とはまるで関係のない、容疑者/被告のかつての同級生の証言」など)は、普通の報道媒体には出てこなかった。事実として伝えられたのは、名前と年齢と、「ソマリ系の英国人 a Briton with Somali heritage」といったことくらいで*4、犯行動機については「~と思われる」の文体でしか伝えられていなかった。
というわけで、長い前置きになったが、今回は被告について「有罪」という評決が出たあとの報道記事を2つ、読み比べてみよう。
ウィキペディアでのまとめによると、容疑者のアリ・アルビ・アリは2021年10月15日に事件現場で逮捕され、21日に殺人罪とテロ行為準備罪で起訴。その後、保釈されることなくベルマーシュ刑務所に拘置され、12月21日に罪状認否で「無罪」を主張し、再度拘置されて、2022年3月21日に裁判が開始された。そして4月11日に「有罪」の評決が出た。量刑は13日に言い渡されることになっている。
という事実関係を踏まえたうえで、BBCの報道:
記事の書き出し部分はこうである:
書き出しでまず、加害者について "An Islamic State fanatic" (「イスイス団を信じる狂信者」) という位置づけをし、被害者が「20回以上刺されていた」と、犯行の執拗さを強調するようにして確認し、陪審団は「わずか18分で」評決に達した(意見が割れれば延々と時間がかかるのだが、この裁判では一瞬で決まった、ということ)という事実をはっきり書いて、そして犯行動機が「シリアでの空爆に賛成票を投じた国会議員を狙った」という理不尽なもので、自身は罪を否定している(つまり「悪いことはしていない」と考えている)というところまで、 一気に読ませるように書かれている。1文ずつ改行されていてパラグラフ・リーディングができないというBBCの報道記事独特の文体だが、記述は平易で、読むのは全然難しくない。が、加害者の行動の理不尽さ、めちゃくちゃさがはっきりと認識されるように書かれている。
次に、ガーディアンの記事を見てみよう:
記事の書き出し部分(下記キャプチャで記者の署名と顔写真、日付の次のセクション)が、BBC記事とはずいぶん違うことに驚かれるのではないか。
キャプチャの一番上にある "Twenty-six-year-old stabbed long-serving Conservative after being fuelled by Islamic State propaganda" はリード文で、これが記事の最も重要な情報を短く表したもの。これだけなら、先ほど見たBBC記事とさほど変わらない。
だが、記事本文の書き出しは、BBC記事にあった情報とはまるで違う。一瞬何のことを言っているのかわからないだろう。
A man cleared of being a terrorist threat by an official anti-radicalisation programme may spend the rest of his life in jail for the assassination of the Conservative MP Sir David Amess.
まずこの文、主述がつかみづらいので、それがはっきりするように太字などを施すと:
A man (who was) cleared of being a terrorist threat by an official anti-radicalisation programme may spend the rest of his life in jail for the assassination of the Conservative MP Sir David Amess.
文の骨格は「ある男が、人生の残りを刑務所で過ごすかもしれない」(直訳)という意味。
読んでる側としては、いきなり不定冠詞を使って漠然と「ある男」と言われても戸惑ってしまうのではないかと思うが(BBCが不定冠詞を使って「イスイス団を信じる狂信者」というピンポイントの表現をしているのとは対照的である)、この「ある男」には "cleared of being a terrorist threat by an official anti-radicalisation programme" という限定(修飾)が加えられており、「公的な対過激化プログラムによって、テロの脅威であるという疑いを晴らされていたある男」。こういうふうに限定の語句・節を入れ込むことで、事実を適示しながら筆者の主張を入れ込むという文体になっている。
これがガーディアンの文体で、だから読むのが難しいと言われる。
だって、「議員の暗殺で被告に有罪」というニュースで、それを言う前に「被告は以前、過激化の疑いで公的な監視更生プログラムの対象となったが、問題なしとされた人物だ」という情報を持ってこられても、情報量多すぎで脳がバグる状態になるでしょ。
まあ、記事の出だしのところは「何を言っているのかよくわからない」と思ってもそのまま読み進めていけば、記事の中のほうで詳しく、話が分かるように書かれているので、くじけずに読んでいってほしい。
ここで当ブログ規定の4000字をとうに超えて5400字を突破しているので、今回はここまでにして、続きは次回に取り扱うこととしたい。
*1:1979年3月に、保守党のエアリー・ニーヴ議員が爆殺された。北アイルランドの過激派組織INLAが国会議事堂の駐車場内に停められていた議員の車に爆弾を仕掛けるという、おまえらどんだけ過激なんだという手口で暗殺した(80年代から90年代の「北アイルランドもの」のサスペンス小説などで、「制御のきかない、途方もない過激派」としてINLAが参照されているのは、この事件による連想に訴えかけるためである)。また、2016年6月、英国のEUからの離脱(Brexit)を決定したレファレンダムの投票日直前に、労働党のジョー・コックス議員が、エイメス議員と同じく「サージェリー」をしているときに、他人に知られることなく、極右思想と、「左翼ガー」「マスゴミガー」系の陰謀論に心酔していた中年のナチス愛好家によって殺害された。コックス議員はEU残留を主張し、殺害者は離脱を強く支持していた。物的証拠より、極右/ホワイト・ナショナリズム信奉者と判断されるが、殺害者は法廷でほぼ無言のままであり、本人がそれを認めたわけではないようだ。きっと「私は普通に祖国を愛しているだけの普通の人間であり、過激派ではない」と思っていることだろう。
*2:一方で、主要容疑者が死亡しているなどして裁判にならなさそうな事件、例えば2017年5月のマンチェスター・アリーナ爆破事件のようなものは、事件直後から詳しい報道があることが多い。
*3:TwitterだってFacebookだって「ネットへの書き込み」である。
*4:heritageなので、「親が移民で、本人は英国で生まれた」ということを示している。これが「本人が外国生まれで幼いときに英国に来た移民」の場合はoriginになると思う。ただoriginが必ず「外国生まれ」を意味するわけではなく、「親が外国人」の意味の場合もあるので難しい。