このエントリは、2020年12月にアップしたものの再掲である。
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今回も、前々回および前回と同じく、ジョン・ル・カレを追悼する様々な言葉を集めた記事から。
前々回見た部分は作家のジョン・バンヴィル、前回は劇作家・脚本家のトム・ストッパードの文章だったが、そのあとは作家でジャーナリストのシャーロット・フィルビー(かのキム・フィルビーの孫)、作家のマーガレット・アトウッド、法律家のフィリップ・サンズ(『誰よりも狙われた男』などを書く上でル・カレが話を聞いた専門家の1人)、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の映画監督トーマス・アルフレッドソン(邦題は『裏切りのサーカス』)、『われらが背きし者』*1の映画監督スザンナ・ホワイトと続き、その次に、今回実例として参照する同作の脚本家、ホセイン・アミニのことばがある。ル・カレの小説は映像化されることが多かったが、その映像化に際してル・カレ本人がどういう態度で臨んでいたかが語られている。
アミニは1966年にイランのテヘランで外交官の息子として生まれたが、1979年のイスラム革命前に一家は英国に移住し、それ以降英国を拠点としている。過去の作品に『鳩の翼』、『サハラに舞う羽根』や『シャンハイ』、『ドライヴ』、『47 RONIN』などがある。
アミニのジョン・ル・カレ追悼の言葉は5段落からなるが、今回見るのはその2段落目:
第2パラグラフの最初の文:
He was such a film buff that he was incredibly open to changes being made to his novel.
これは《such ~ that ...》の構文。《so ~ that ...》構文の親戚だ。suchのあとは名詞だが、soの後は形容詞・副詞が来るという違いがあるが、意味的にはほぼ同じで「たいへん(な/に)~なので、…」ということを表す。
ここではsuchの直後が "a film buff" となっている。buffはおもしろい単語で、元々はバッファローの革のことを言う語で、またその革の色(オレンジがかった黄色や薄い黄色)を表していたが、20世紀初めにその革の制服を着ていたニューヨークの消防隊がbuffと呼ばれていて、彼らの火事に対する態度から「熱意」を示す語としてbuffが使われるようになったとWorld Wide Wordsは説明している。一方で、Onine Etymology Dictionaryでは、その消防隊にあこがれて火事があると集まってきた少年や男性たちをbuffと呼んだことから、buffが「熱狂的なファン、マニア」の意味になったという(ちなみにこの「マニア」は和製英語なのでそのまま英語にしても通じない)。いずれにせよ、今日よく見るbuffはこの「熱狂的ファン」の意味で、よく "a なんとか buff" という形で使われている。 Corpus of Contemporary American English (COCA) を見てみたところ、次のような用例が見つかった。
Im not really a gym buff but my husband is
(私はジム通いにはそんなに熱心ではないんですが、夫が熱心で)
a U.S. history buff
(米国史オタク)
If you're a Civil War buff, these are the absolute best ways to look at these events
(南北戦争に高い関心があるのなら、こうするのがこれらの出来事を見るのに最善の方法です)
Greg is a movie buff as well as a television junkie.
(グレッグはTV中毒の映画マニアだ)
Ecko is a major Star Wars buff
(エッコはスターウォーズの大ファンである)
というわけで、アミニがル・カレについて書いているこの文:
He was such a film buff that he was incredibly open to changes being made to his novel.
これは、「彼は大変な映画マニアで、自分の小説に対してなされる変更には信じられないほどオープンだった」と直訳できる。
人の態度などについてopenというのは、「態度が開放的である」という意味だが、「何かのアイデアを提案されたときにそれを両手を広げて受け入れる」というイメージを抱くとわかりやすいだろう。この場合前置詞はtoをとり、be open to ~で「~に対して広い心を持つ」といった意味になる。
"changes being made to ~" の "being" は現在分詞で、そのあとのmadeという過去分詞とセットで《現在分詞の受動態》。この分詞が《後置修飾》で用いられていて、「~に対して加えられる変更」という意味になっている。
実際、ジョン・ル・カレの小説が映画化されるときにはかなり大きな変更が加えられるのが通例だ。第一には、小説の通りに映画化すると、長くても2時間という映画の尺にはまらないからだが、それ以上に、本と映画とでは出し方を変えるということにル・カレが魅力を感じていたからで、そういうインタビューも以前どこかで読んだのだが、今はその記事をすっと探し出せない。
いずれにせよ、「スマイリーもの」は別かもしれないが、冷戦終結後、特にイラク戦争後の作品群の映画版は、どこにも救いなどない小説(だいたい英国がいかにひどいかというのが結論に来て、どん詰まりで終わる)に比べて明るく、希望が持てる展開になっている。映画の『われらが背きし者』は、ひどいことが起きた後に救われた人々の姿を映して終わるのだが、小説はひどいことが起きたところで終わるし、状況的には残された人々が救われるような気がしない。それでも現実よりはまだ明るいのだろう。
次の文:
He’d act out all the dialogue with fantastic accents and voices.
文頭 "He'd" はHe wouldの省略形。このwouldは《過去の習慣》を表すと英和辞典などでは説明されているが、「よく~したものだった」の意味で、特にこの文のように故人について回想するときに使うと余韻が深くなる。意味は「彼はすべての(登場人物による)対話を、すばらしい話し方(アクセント)と声音で演じてみせたものだ」ということになる。
これはTwitterでも何人かが書いていたことだが:
I love le Carré's work so much it makes me feel I'll never write anything good. I don't know of a writer better at creating full, nuanced characters. And if you want a treat, listen to one of his audio books he read. He was a great actor, able to do various voices & accents. #RIP
— Karl Richter (@TXKarlRichter) 2020年12月14日
オーディオブック大手が出しているAudibleから何冊かル・カレ本人の朗読によるオーディオブックが出ているので、試してみるとよいだろう。
サンプルとしてわかりやすいのはこのThe Russia Houseで、ロシアなまりの女性も見事に演じている。(The Russia HouseのAmazonにあるオーディオブックはこれではなく、BBCが制作したラジオドラマなので、ル・カレの朗読芸は味わえない。)
※3580字
参考書:
*1:日本語がわかりづらいかもしれないが、原題Our Kind of Traitorの直訳といえる。意味としては「こちら側の利益になる(他国の)裏切者」で、この作品で描かれるのは激動のロシアで蓄財した裏社会の人物が身の危険を感じて西側に逃げようとするというストーリーである。