先ほどフィードした通り、昨日日曜日にエルサレムで行われたイスラエルのナショナリスト過激派が「アラブ人に死を」と叫んで旗をぶん回す毎年恒例のパレードに関連し、このパレードがどういうものであるかを説明する今年2月のエントリ4つを、5分差で再掲している。これはその2つ目である。
-----------------
今回は、前回の続きで、(すごくわかりやすく単純化して書くと)パレスチナなのにイスラエルの実効支配を受けていて、イスラエル当局と入植者のいろんな形の暴力にさらされている東エルサレムから、日々何が起きているか/何が行われているかを英語で伝えてくれているモハメド・エル・カード(クルド)さんの連ツイを一緒に読んでいこう。
前置き的なものは、前回のエントリをご参照のほど。
hoarding-examples.hatenablog.jp
また、東エルサレムについては昨年6月に書いたものもご参照いただきたい。
hoarding-examples.hatenablog.jp
hoarding-examples.hatenablog.jp
前回のエントリ同様、かなりショッキングで刺激の強い事柄を扱うので、動揺したくない受験生は、今日のところはここでおかえりいただいたほうがいいと思う。受験が終わってからゆっくり読みに来てもらえれば。
エル・カードさんのスレッド(連ツイ)の最初の2つは前回見たので、今回はそのあと、3つ目のツイートから。
American newspapers won’t tell you about the massacres committed by the Israeli army—just last summer they wiped entire families off the public records. But they report on some guy gerting punched in the face for wearing a shirt celebrating the murderous Zionist army.
— Mohammed El-Kurd (@m7mdkurd) 2022年2月13日
このツイートは、特に解説すべき文法ポイントは見つからない。第1文の書き出しにある "newspapers" は、「新聞」を個別具体的にとらえているので「諸新聞」というような意味で複数形になっている。翻訳するなら「新聞はどれもこれも」という感じにもなるだろうが、日本語では単に「新聞」とするよりないかもしれない。 "won't" はwill notの短縮形で、この場合は《未来》のことを言っているというより《意志》のことを言っている。否定形で「~しようとしない」というような《拒絶》の意味だ。"the massacres committed by~" の "committed by ~" は《過去分詞の後置修飾》の句。ダッシュ(―)は補足のために用いられており、こういった助動詞や約物(パンクチュエーション)の使い方が整っていて、非常に端正な印象の文面である。「教育のある人」という感じ。だが内容は、とても悲痛だ。
第1文の文意は、「アメリカの新聞は、イスラエル軍によって遂行されている殺戮について、あなた方に伝えようとしない――イスラエル軍によって、公的記録から一族丸ごと抹消されるケースがいくつもあったのは、つい昨夏のことだ」。この文は、直訳はできなかったので翻訳した。
第2文:
But they report on some guy gerting[sic] punched in the face for wearing a shirt celebrating the murderous Zionist army.
※ "gerting" はgettingのタイプミスと判断される。
一族丸ごとが記録から抹消されるということがあったのに無視しておきながら、「しかし、殺人集団のシオニストの軍隊を称える服を着ていることが原因で、顔面にパンチを食らったという人については、新聞は報道したのだ」。
この辺の言葉遣いのきつさは、ちょっとついていきにくいものがあるかもしれないが、特に中東のような地の当事者の言葉については、何も知らず言葉の表面だけで判断する前に、この言葉の背景を知るようにしなければならない。先日、エルヴィス・コステロが自分の過去のヒット曲に含まれている「Nワード」が批判の標的とされることを憂慮してその曲を封印してしまったが、言葉をとらえてやいのやいの言うという機械じみた糾弾大会をする前に、彼がその「Nワード」をどういう文脈で、どういう意味で使ったかを理解するということが行われていさえしたら、コステロはあの曲を封印するなどということはしなかっただろう。とても残念だ。
中東の当事者の言葉についても同じであるが、実際には「シオニスト」という言葉を使うだけで、執拗な攻撃を受けることになる可能性が高い、というのが現実だ。そこをエル・クルドさんのような人はそこを乗り越えて発言を続けているのだが。
閑話休題。4番目のツイート。これは、中東のことは漠然と知っているが、詳しくはない、という人にはたぶんかなりショッキングな内容なので、心してみていただきたい。そして、ショックを受けたら、そのショックを怒りに結び付けて燃え上がらないようにしてほしい。その怒りは、政治的に利用されうるから。(とか書くと、私がたたかれるんだよな。)
Cowardly TV reporters interview us while our homes get bombed and ask us about what we “think of violence,” whether “teach our kids hate.” Yet the staggering eliminatory nature of Zionism apparent in both the regime’s rhetoric and actions is unquestioned. pic.twitter.com/5MQky2WWu0
— Mohammed El-Kurd (@m7mdkurd) 2022年2月13日
第1文は、「僕らの家が爆弾で破壊されているというのに、どういうつもりなのか知らないが、テレビ記者が僕らにマイクを向けては、『暴力についてのお考え』をお聞かせください、とか、『お子さんたちに憎悪を仕込む』かどうかお尋ねします、とか言ってくる」という意味(直訳している余裕はないので、粗いけど、翻訳した)。
そして第2文:
Yet the staggering eliminatory nature of Zionism apparent in both the regime’s rhetoric and actions is unquestioned.
文頭の "Yet" は前回も出てきたが、《接続詞のyet》で「しかし」の意味。この文は主語が長くて、下線部全体が主語だ。構造をとれるように直訳を心がけると、「(シオニストの)体制の言葉と行動の双方に明白に表れている、シオニズムのstaggering eliminatoryな性質は」が主語。英語のままにしてあるところは、これも意味が分かるように日本語にしようとしたら時間がかかりすぎるから、ここでは日本語にしない。単語の意味がわからなければ辞書を引いてご確認いただきたい。要は、シオニズムというのは他を抹消することを前提としている、という非常に重々しい指摘をエル・クルドさんはしている。
そしてこのツイートについている映像。(画面左下にクレジットされているActivestills.orgはパレスチナからの映像・写真を世界に配信しているところ。)
パレスチナ人の暮らす地域に押しかけて、イスラエルの旗を振り回し、パレスチナ人に向かって悪態の限りを尽くしヘイトスピーチを投げかけているのは、「過激な入植者」と呼ばれている人々である。現地の情勢をあまりフォローしていない人たちは、彼ら「過激派」の年齢の若さに驚くだろう。実際にはこんなに若い人々(子供たちを含む)だけでなく、それこそ1948年の前の時点ですでに対英過激派(当時、このパレスチナの地は英国の統治下にあった)だったような世代の人たちも含まれているし、その人たちが次の世代に受け渡したものを受け取った人々もいる。
開始数秒で現れるこれらの言葉は、日本語にすることはためらわれるのでしない。彼らは、こういった言葉を、そこに住んでいる人たちに投げつけにくるわけである。そして、エル・カードさんの言う「アメリカの新聞」はこれを無視している。
前回見た、エル・カードさんの連ツイの最初のものにあった「もしもパレスチナ人が(イスラエル人の)入植地に行って『ユ*ヤ人に死を』と叫んだら、そのことは国際的なニュースの見出しになるだろう」という言葉は、これらのユダヤ人過激派の実際の発言と行動に対してのものである。
この映像に出てくる3つ目の言葉はこれだ。
これを、つまり「2度目のナクバ」を立場を逆にして誰かが言語化したら、その人はありとあらゆる公的発言の場と機会を失うだろう。そうあって当然だ。
だが、「2度目のナクバ」云々と言うこの男は、喜色満面で、何らおとがめなしだ。
これは、パレスチナをとりまく「非対称」の光景の一端である。
今回、この連ツイの最後まで行きたかったのだけど、到底無理なので、続きはまた次回。
※3900字