昨日に引き続き、ウィキペディアでの翻訳作業中のため、ブログはお休みします。
翻訳作業が完了しているのは途中までですが、すでにページは公開してあります。
現在、「この記事はただいま大幅な改稿を行っています」という表示が出ています。これが取れたら、翻訳の不備などのチェックをみなさまよろしくお願いします。
ウィキペディアの文章というのは独特で、翻訳という作業をするには、リンクや出典、注釈のことをしょっちゅう気にしていないといけないので、普通の訳文作成のようには進まないのですが、そういった形式的なことと同時に、テクストそのものの性質が特殊なので、けっこう難しいです。
どう特殊かというと、普通のテクストは新聞記事であれ書籍のようなものであれ、ひとつのまとまった文章として(多くの場合ひとりの人間によって)書かれているので、「流れ」というものがあります。その「流れ」を読み取り、それに乗ることで、元の言語とは別の言語でのアウトプットという作業が促される。
一方でウィキペディアは、特に今やっているようなジャンルの項目は、「ある学者がこう評している。別の評論家はこのように批判している」といった、誰かの発言・著作からの引用が、大した脈絡もなく大量に詰め込まれているのが基本で、そこには「流れ」というものはなく、あるのはぶつぎれの断片である。このようなウィキペディアの文面を「読む」とき、実は「読む」という作業はしていなくて「情報を取る」という作業しかしていないのだな、ということが、英語を日本語にするという作業をしてみると実感される。
そして、そこにある断片のひとつひとつが、新聞記事のようなあっさりした記述ばかりならまだ楽なのだが、ウィキペディアの場合、思想家・哲学者や著述家など、個性的な書き手の個性的な文章から、一節だけを引用してきたようなものが入っていて、そういうのが、英語を読めば内容はわかるんだけど、じゃあそれを日本語で表せるか(リライトできるか)というと非常に難しい、というものがある。今回すでに作業した中にもスラヴォイ・ジジェクの引用があったのだが、この具体例で「あ、そういうことか」とお分かりいただけるのではないかと思う。
いや、ジジェクはまだよくて、何か所かで引用されているイエール大ロー・スクールの教授の文面は、短い引用なのだが、クセの強い独特の、所謂「読みづらい」文体で、前後も読んでみないと日本語になりゃしない、というのを無理やり作業している。
というのが途中報告。またこの後、作業を進めます。