このエントリは、2021年3月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、インタビューでの発言から。
ティエリ・アンリといえば、1990年代終盤から2000年代にかけてのサッカー界のスーパースターのひとりである。2014年に現役引退したが、フットボーラーとして一番の時期に在籍していたイングランドのアーセナルでは今も「キング」であり、多くの人々の尊敬を集めている。
その彼は、現役時代からサッカー界の人種差別という問題に取り組んできた。2004年に代表戦で相手となったスペインの(よりにもよって)監督から、黒人であることで侮辱的な言われようをしたことがきっかけで、スポンサーのNikeと組んで、Stand Up Speak Upという人種差別反対のキャンペーンを開始した(これは組んだ相手がNikeだったことで批判も受けたのだが)。
アンリが現役だったころのフットボール界での人種差別、特にフランスでのそれについては、陣野俊史さんの下記の本に詳しい。
そのアンリが、先日、人種差別発言の横行を理由として、ソーシャルメディアから離れること (removing himself from social media) を宣言した。TwitterもFacebookもInstagramも全部(一時的に)やめてしまうという。Twitterでも、長文をスクリーンショットで投稿する形でステートメントが出されていたが、アンリのアカウントはそのツイートも含め過去のツイートが全部削除されて「跡地」の状態になっているので、その文面はもう参照することができない*1。ただ「ソーシャルメディアから離れる」という宣言のツイートそのものの文面は、私がはてなブックマークにメモしてあったので、前半だけ見ることができる。人種主義が絡んだ話になると日本語圏ではことが面倒になることがあるのだが、こういうことについては事細かに「エビデンス」を要求する方々には、それをもって、アンリがSNSをやめたという事実確認の根拠としていただきたい*2。
今回の実例は、そういう決断をしたアンリにそれについてインタビューしたBBCがまとめた記事から。記事はこちら。
なお、アンリはフランス出身のフランス人だが、イングランドで長くプレイしていたし、現役引退後はイングランドのTVでサッカー解説の仕事をしていたこともあり、英語は「ネイティヴ話者なみ」である。
実例として見るのは、記事のリード文(一番上の、太字で表示されている部分)のすぐ下のところから。
書き出しの "The 43-year-old" は《年齢》を表す表現で、「その43歳の人物*3」という意味。これはThierry Henryという個人名を繰り返し出すことはしないという英語の書き方の流儀による言い換えだが、普通に私信や日記などを書く場合、また口頭で言う場合にはこんな表現は使わず、単なる人称代名詞の "he" を使えばよい。このようにあれこれ言い換えるのは、書き言葉、特に報道記事などの流儀で、あまりに "he" が繰り返されていると単調になってしまってreadabilityが下がるためである。読む側としては、このようにころころ変わる言い換えについていかなければならないので、特に予備知識のない場合は大変である。アンリであれば、言い換えの表現としては、「そのフランス人」「アーセナルおよびフランス代表のレジェンド」「2度にわたるプレミアのタイトル・ウィナー(のひとり)」といったものが考えられるし、他の人、例えば俳優のジョン・ボイエガだったら「スター・ウォーズのスター」「そのロンドン出身の俳優」といったものが考えられる。
次のパラグラフ(といってもBBC Newsは一文ごとに改行するというスタイルなので「パラグラフ」イコール「センテンス」なのだが):
He said the problem was "too toxic to ignore".
《too ~ to do ...》の構文である。これを、ほぼ同じように使える《so ~ that S+V》で表すと次のようになることに注意。
the problem was too toxic to ignore
→ the problem was so toxic that we couldn't ignore it
"toxic" は、「毒物」の意味のtoxinという語の派生語(形容詞)で「有毒な、有害な」な意味だが*4、そのまま放置しておくと周囲まで汚染されてしまうというようなイメージがある。ここでは「問題はあまりに有害なので、無視できない」という意味になる。
次:
"It was time to make a stand," said Henry, speaking to the BBC's Newsnight programme on Monday.
アンリの発言で "it was" と過去形になっているのは、彼がステートメントを出したとき、あるいはソーシャルメディアから離れるという決断をしたときのこと(つまり過去のこと)を質問され、それについて述べているからである。
この文は、見かけ上はitが主語で後ろにto不定詞があって形式主語itの構文のように見えるかもしれないが、意味を考えて読めばそうではないことがすぐにわかるだろう。このitは天候や時刻・時間などを言うときの漠然としたitで、日本語には無理には訳出しない。
"make a stand" は、take a standと言っても同じ意味。これはイディオムで「抵抗する」といった意味を表す。ここではソーシャルメディアが人種差別発言を許す場になっていることを座視せず、はっきりと「ノー」の姿勢を示すということを、この簡潔な表現で表しているわけだ。
記事は、冒頭、リード文の次のこの3パラグラフ(3文)でアンリの発言の要旨をこのように紹介し、その後、BBCが行ったインタビューでのアンリの発言を、具体的に、引用符を使って(つまり発言した通りの文言を文字化して)紹介していく。
というわけで、この後の部分、引用符内はアンリのことばそのままである。こういうのは、誰かが日本語にしたものでなく、英語のままで読んでもらいたい。伝わってくるものが違うから。
"Things I used to hear in the stadiums and the streets are coming more and more into social media, especially in my community, and the sport I love the most, football.
この文の主語は "Things", 述語動詞は "are coming" である。
太字にした《used to do ~》は「以前~した(ものだった)」の意味で、"Things"と "I" の間には関係代名詞の目的格が省略されていて(接触節)、主部の意味は「かつて私がスタジアムや街路で耳にしていたこと」。
それが "are coming more and more into social media" 「ますます多く、ソーシャルメディアに入ってきている」。
「スタジアムや街路で」、つまり「TVやラジオや新聞・雑誌の記事などではない、非公式な場で」使われていたような言葉、TVなどでは避けられていたような言葉が、ソーシャルメディアではばんばん使われている、ということをアンリは言っている。要は罵詈雑言の類だ。
そのことについての悲しみの感情、無念さが、彼のこの言葉にはあふれている。15年以上も前に、「そういうのはおかしなことだ」と声を上げて、サッカーにおける人種差別に反対するキャンペーンを始めたのがこのアンリという人なのだ。そのときは「これでようやく、これからはこういう差別発言みたいなのは世の中から消えていくのだろう」という希望があったのだが、それから15年以上も経過して、それらの罵詈雑言は消えるどころか、ソーシャルメディアで普通に使われるようになり、15年前はそんな表現を使っていなかった人(そのうちの多くが、そのころはまだとても幼かった人々)もそれにさらされ、そして自分の言葉としてしまうようになっている。
アンリの無念さを思うと、実に胸が痛む。
このまま続けて次のパラグラフに行きたいところだが、ここまでですでに3800字をこえていて、当ブログ既定の4000字以内にまとめることが不可能なことが明らかなので、このあとは次回に譲ることとする。
※3890字
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*1:個人的には手元に保存してあるが、アンリ本人がネットから削除してしまったのだから、これはこのまま手元に置いておくだけにする。
*2:ついでに言うと私はもっと具体的な、ツイートそのものも保存してあるし、実はネット上でもアーカイヴはされているのだが、アンリ本人が既にネットから削除してしまったものについてここで取り上げることは差し控える。
*3:もう43歳なのか……TOKIOやV6が40代、50代なんだからそうなるよね。。。
*4:ただし日本語圏のネットでは、文脈次第で、toxic substanceを「有毒物質」としても「有害物質」としても公然と「誤訳だ」と文句がつけられることがある。何だろうね、あれ。