Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

【再掲】"on her way into the abbey" を「アベイへ赴く途中の路上で」と解釈してしまう程度の英語力で、翻訳などしないでほしい。たとえウィキペディアであろうとも。

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このエントリは、2021年4月にアップしたものの再掲である。

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今回は、少し変則的に、英語で書かれていることを書いてある通りに読み取ること、余計なものを付け足して解釈しないことについて。「たかが前置詞、されど前置詞」という話でもある。

前々回の当ブログ記事で、英国のエリザベス女王の配偶者(王配)であるエディンバラ公の死去について扱った際、エリザベス女王のお母さん(エリザベス王太后)について、日本語版のウィキペディアをリンクした。そのときに開いてあったタブを(ようやく)閉じようとしたときに、ついでに生没年など基本情報以外のところも読んでみるかと、ごはん食べながら読んでいたときに、とても奇妙な記述に気づいた。下記、ウィキペディア独特の脚注の数字の部分を除去して、私の見た版(その時点での最新版)から引用する。

アルバートとエリザベスは1923年4月26日にウェストミンスター寺院で結婚式を挙げた。ウェストミンスター寺院へ赴く途中でエリザベスは、第一次大戦で戦没した兄ファーガスを偲んで、路上にあった第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓 (en:the Unknown Warrior) に、手に持っていたブーケを突然捧げた。これ以来、王族の結婚式では、結婚式後に花嫁がブーケを無名戦士の墓に捧げることが伝統となっている。

エリザベス・ボーズ=ライアン - Wikipedia

「ブーケを突然捧げた」という日本語が相当不自然だったりすることに意識が向いてしまうかもしれないが、ここで見るのはその点ではない。「ウェストミンスター寺院へ赴く途中で……路上にあった第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓に」の部分である。

英国について少し詳しい方や、何となくであってもウエストミンスター修道院ウィキペディアでは「寺院」の表記を採用しているが、Abbeyなので文字通りには「修道院」である*1)についてご存じの方、また、前回ウエストミンスター修道院で行われた王族の結婚式(ウィリアム王子とケイトさん)をじっくり見ていた方ならお気づきかもしれないが、「第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓」は「路上」になどない。

ウエストミンスター修道院の建物の中にある。

そんなことは、上に引用した日本語版ウィキペディアにご丁寧に記載されている "en:the Unknown Warrior", つまり「無名戦士の墓」についての英語版ウィキペディアの項を見れば、わかることである。

He was buried in Westminster Abbey, London on 11 November 1920

The Unknown Warrior - Wikipedia

太字で示した前置詞の "in" は「~の中に」だ。「1920年11月11日、彼(無名戦士)はウエストミンスター修道院中に埋葬された」のである。

 

修道院の中に埋葬された(つまり墓がある)ということは、知らないと理解しがたいかもしれない。

この建物の中には、大変に多くの人々が埋葬されている。世界史の教科書に出てくるようなイギリス(orイングランド)の国王やその配偶者の多くの墓はこの建物内にあるし、「詩人のコーナー」と呼ばれる一角には、詩人や文人など言葉を使って文化史上大きな功績を残した人々が埋葬されている(埋葬はされておらずメモリアルの銘板だけここにある人々もいる)。チョーサーやミルトン、サミュエル・ジョンソン博士やドライデン、ディケンズキプリングといった詩人・文人に加え、俳優のサー・ローレンス・オリヴィエの墓もここにある。

そして、万有引力の法則のニュートンや、進化論のダーウィン蒸気機関のスティーヴンソンといった科学者や技術者も、ここに埋葬されている。記憶に新しいところでは、スティーヴン・ホーキング博士の遺灰がニュートンの墓の側に収められている

例えばダーウィンの墓の写真(下記)を見るとわかるが、これらの墓は修道院の建物の床に埋め込まれており、人はその上を歩いて通ることができる(私は他人様のお墓を「踏んづける」ということができず、全部避けて歩いたが、気にせずに歩いている人もいた)。

Herschel&darwin

英語版ウィキペディアに、埋葬者や記念の銘板が掲げられている人々の一覧のページがあるので参考にされたい。

en.wikipedia.org

さて、ニュートンらの墓があるのは、教会建築の用語で "nave" と呼ばれる場所である。これは、英和辞典を参照すると「身廊」などという語義が挙げられているが、それ自体が「それって何?」と思ってしまうような専門用語だから、これはまたこれで調べなければならないだろう。

幸いにも、ちょっと検索しただけで図解入りの解説が日本語版ウィキペディアにあるのが見つかる。キリスト教の宗教建築は十字架をかたどっており、十字架の頭の部分を奥に置いて、足の先の部分が入り口になるようになっている。「身廊」とはその入り口から十字架の横木の部分に至るまでの空間のことで、聖堂の入り口を入った人が一番奥に行くまでの通路にあたる(だから「廊」という字があてられている)。建物の中心部分だから「身廊」で、脇の方は「側廊」という。

ja.wikipedia.org

英和辞典ではこれに加えて「本堂」という語義も与えられているものがあるのだが、これがまた紛らわしくていけない。おそらく、この身廊というスペースに一般会衆の席があることによるのだろうが、お寺の「本堂」とキリスト教の教会の「身廊」は、建築様式の違いもあり、全然別のものである。

この「身廊」がどういう場所かというと: 

内陣とクワイヤが聖職者のための場とされるのに対し、身廊は非聖職者、つまり一般参拝者のための場とされ、内陣障壁(英語版)(cancellus) によって聖域から区分されていた。

身廊 - Wikipedia

というわけで、短くまとめると、「身廊」とは建物の入り口から奥に向かう部分で、礼拝の際は一般人が席を与えられるところである。

ウエストミンスター修道院においては、この部分にニュートンダーウィンといった人々の墓があり、「無名戦士の墓」もここにあるのである。写真などは下記ページにある。墓を取り囲んでいる赤い花は、戦没者の象徴であるレッドポピーで、第一次大戦の戦場となった欧州大陸の野原に咲く花である。

www.westminster-abbey.org

……と、"He was buried in Westminster Abbey" の "in" の意味について長々と説明してきたわけだが*2、要は、エリザベス王太后についての日本語版エントリを、英語版に基づいて書いた*3人が、ウエストミンスター修道院の中、床面に埋め込まれるようにして無名戦士の墓があるということを知っていれば、あるいはあらかじめ知らなくても調べさえすれば、「ウェストミンスター寺院へ赴く途中で……路上にあった第一次世界大戦戦没者を悼む無名戦士の墓に」などということを書くはずがないわけわけで、どうしてこうも怠惰でいい加減なことをして平気でいられるのだろうと思わずにはいられない。日本語ウィキペディアってのはどうしてこうデタラメなんだろうねという話を当ブログで書くのは何度目かになるのだが、できればこんなくだらないことでブログのエントリを書きたくなどないのである。

 

さて、このひどくお粗末な誤訳(にもならないレベルのデタラメかもしれないが)、ここまで述べてきたような「常識」「調べもの」の範囲の話とは別に、単純な英文解釈としてもあまりにひどい問題を含んでいる。

エリザベス王太后についての英語版エントリを参照して、当該の箇所の原文を確認してみよう。

They married on 26 April 1923, at Westminster Abbey. Unexpectedly, Elizabeth laid her bouquet at the Tomb of the Unknown Warrior on her way into the abbey, in memory of her brother Fergus.

Queen Elizabeth The Queen Mother - Wikipedia

太字にした "on her way into the abbey" を、 日本語版エントリを書いた人は、。「ウェストミンスター寺院へ赴く途中で」と解釈してしまったのである。つまり、原文に "into" と書かれているものを、勝手に、何の根拠もなく、"to" に置き換えて解釈してしまっている。

これが翻訳なら、言語道断の低品質っぷりである。大学受験の「下線部和訳」でも大きな減点になるだろう。

そして、そうやって勝手に "into" を "to" に置き換えた上に、"on her way" を「路上」と考えたのである。そういう付け足しをしないとつじつまが合わないから。というか、そう考えればつじつまが合うから。

言語的な事実としては、"on her way" は「路」云々関係なく「途上」であり、"on her way into ~" は「~の中に入っていく途上(途中)で」である。平たく言えば「通りすがりに」だ。この場合、建物の中に入ってから奥へと向かうときに、ということで、これは上記のように無名戦士の墓の位置について調べものをしないと、現地を知らない人にはわからないかもしれないが。

私自身、高校生のときは通信添削の答案でこの手の勝手で的外れな解釈をずいぶんやらかして、そのたびに減点を食らっていたのだが、これは、原文に書かれていないことを(こちらの知識不足・言語運用力不足から)勝手に考えて書いてしまっているということで、単なる単語の解釈ミスだとか時制の扱いのミスだとかいったものとは深刻度が違う。通信添削で厳しく採点してもらえていてよかったと心から思っている。

 

この項ではもう1か所、致命的な誤訳があることに気づいたのだが、この時点で本エントリは4100字を超えているので、その話は次回に回そう。

いずれにせよ、日本語版ウィキペディアの英語からの「翻訳」を自称するエントリは、このレベルのあまりに低品質な誤訳が満載されているので、残念ながら、参照することを推奨できない。推奨できればよかったと心から思っているが、「ウィキペディアの日本語版の英語からの翻訳記事は、翻訳の質が低すぎるから、英語版を見ましょう」としか言えない。

「誤訳に気づいたら直せよ」と思われるかもしれないが、正直、このレベルで誤訳されているような文書を、仕事でもないのに(報酬も発生しないのに)チェックしたいとは思わない。この調子でどこにでも地雷が埋まっている状態なので、英語圏のことがらについての日本語版エントリには、私はめったに立ち入らないことにしている。

しかも「ブーケを突然捧げた」って、日本語として崩壊してるでしょ……なぜこんな文面を書くことができるのか。原文見たら「突然」はUnexpectedlyだし、このunexpectedlyを「突然」と訳してしまうレベルの力しかない人は、正直、記事の翻訳には手を出さないでいてほしいと思う。公開されているウィキペディアのエントリは、あなたの翻訳(というか英文和訳)の練習場ではない。練習したければ自分の手元のノートのような場でどうぞ。

 

以下、ビフォー・アフター(なお、王太后のエントリでは英語版にリンクされていた「無名戦士の墓」についても、エントリが日本語化されていることに気づいたので、ついでにそこも修正しておいた。この「無名戦士の墓」のエントリの翻訳品質がまたね……orz): 

WAS: 

f:id:nofrills:20210414172728p:plain

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%9D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3&oldid=82378050

Source: 

f:id:nofrills:20210414172802p:plain

https://en.wikipedia.org/wiki/Queen_Elizabeth_The_Queen_Mother

NOW: 

f:id:nofrills:20210414173142p:plain

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%BA%EF%BC%9D%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3&oldid=82984142

 

 

 

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*1:この表記論争は泥沼なのでうっかり踏み込まないほうがよい。ちなみにWestminster Abbeyはイングランド国教会の施設だが、同じ通りを少し西に行ったところにあるWestminster Cathedralはカトリック教会の施設で、これが日本語では「ウエストミンスター大聖堂」と呼ばれている。

*2:昨今、Twitterを使っている実務翻訳者の皆さんの間で注意喚起が盛んにおこなわれている高額講座の詐欺的な勧誘文句に、(大雑把な意味としては)「翻訳をやるには英語力は必要ない。検索力が必要だ」というものがあるそうだが、それを文字通しに受け取ってみると、その「検索力」はここで示してきた「無名戦士の墓はどこにどのような状態で存在しているのか、どのような形状のものか」を調べるといった作業で、それを調べるために英語力が必要であるということは言うまでもない。つまり、どのみち、英語力は必要なので、「英語力がなくても翻訳はできる」というのは嘘八百となる。

*3:あのクオリティのものを「翻訳した」と呼んではいけないような気がする。

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