今日は土曜日なので、普段なら過去記事の再掲をするのだが、今週は、うっかり帰宅が遅くなったという高校生みたいな理由で1日休載してしまったので、その分を掲載することにしたい。
今週、私の目にするモニタ上の世界での最大の話題は、前回述べた通り、英国のエリザベス2世の棺と、来週月曜日に行われる葬儀のことだった。それさえなければきっと、ウクライナでウクライナ軍がロシア軍から奪還した地域で発見されたロシアによる蛮行の跡のことや、スウェーデン総選挙で僅差で極右(元ネオナチ政党)と右翼の右派連合が政権を取ることになったことがトップに来ていただろう。英国のニュースでは、政府による経済政策上の新たな決定や、警察が車の運転席にいた黒人青年を、明白な理由もなく射殺したことがもっとずっと大きく取り上げられていただろう。
しかし現実は、どこを見ても棺、棺、棺。#CoffinWatch である。今にも中から生き返ったエリザベスが起き上がって、共和国宣言でもするのか、という勢いで棺、棺、棺。
週の後半になって舞台が死没地のスコットランドからロンドンのウエストミンスターに移ってからは、棺に加えて行列、行列、行列、である。エリザベス2世の棺の前を実際に通って最後のお別れを告げるために並んだ人々の列は長大なもので、最初は「3時間待ち」とテーマパークの人気アトラクション程度だったのがどんどん伸びて、金曜日には「12時間待ち」になり、その列の中にベッカム様がいるというのがニュースになり(ベッカムだけでなく、テレビ番組のプレゼンターが高齢のお母さんを伴って何時間も並んでいるというのが、政治家たちやほかのセレブが列をかっとばして先に入っていっているというのと同時に、話題になっていた)、土曜日には「24時間待ち」とか言われるようになって、ついにはチャールズ&ウィリアム父子(国王と王太子)がその行列にお見舞いに訪れるとかいう、心底「なんだそれ」と言いたくなることが起きている。そしてそれをまたメディアが仰々しく伝える。
19世紀末に、「芸術のための芸術 art for the art's sake」というのが流行った。「芸術は、何かありがたい教訓を垂れることを目的としてなら存在してもよいのだ」みたいな禁欲的なヴィクトリアンの価値観を「古臭ぇ」と笑い飛ばすような、「芸術は無目的に、ただ芸術のために存在してよいのだ」という、一種の反抗であった。おお、唯美主義。
そのひそみにならったわけではなかろうが、今のこれは「行列のための行列」と揶揄されている。それは、第一義的にはウエストミンスター・ホールに入るための行列に並ぶための、テムズ河畔での行列、ということだが、それがだんだん意味がずれてきたようで、もはや「行列に並ぶという行為そのものが目的になっている」という状態で、「イギリス人に行列を見せるな、並びたがるから」みたいな、文化ステレオタイプ事案になっている。ほんっとに並ぶの好きだよね。並んでいる間は、正々堂々と日常を離れて、思索したり誰か知らない人と会話したりできるからかもしれない。そういえばエリザベス2世の最後の公務での写真を撮った写真家が、「女王様から話しかけられて、少しお話ししました。お天気の話を」と言っていて、そこまでステレオタイプにこだわらなくていいのよという気になってしまったのだが、そういった小さなことに満足を覚えるというあり方は、嫌いじゃないよ。
で、何の話だっけ。
そうそう、その葬儀だが、月曜日にウエストミンスター・アベイで行われる葬送の儀(宗教行事)には、全世界からエリザベス2世を偲んで人が集まる。
といっても、行きたい人なら誰でも行けるわけではない。葬儀の主催者である英王室が招待状を出しているので、招待状を受け取っていない人は最初っから行けない。
つまり、うちら平民の結婚式とかと同じである。いくらお祝いしたくっても縁もゆかりもないスターの結婚式には参列できないのと同じで、いくら偲びたくても招待状も受け取っていないのにエリザベス2世の葬儀には参列できないのである。
日本語圏にいると、岸田首相とその周囲の官僚と、首相に忖度しているのか何なのかわからないが謎の言葉遣いをする新聞などのせいで、そういった基本的なプロトコルが見えなくなっているかもしれない。
岸田首相、英女王国葬参列を検討 沖縄敗北を外交で挽回?「慎重対応を」政府与党に懸念広がる https://t.co/r8DcS9YZFV この人、外務大臣をやってたとは到底思えない。「参列したい」って言えば席があると? マンデラさんみたいにスタジアムでやるならまだしもウエストミンスター・アベイ(狭い)で?
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月13日
"首相の姿勢を巡っての政府事務方の口は重い。70年にわたり英君主として君臨した女王の国葬へはバイデン米大統領も出席の意向を示している。G7はじめ各国首脳や元首クラスが一堂に会する。……「同じ弔問外交の舞台たる安倍氏の国葬がかすみかねない」(外務省関係者)"。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月13日
「同じ」だと思ってんの?
【方針固める】岸田首相、エリザベス英女王の国葬見送りへ 天皇、皇后両陛下が参列https://t.co/qqiLj343jE
— ライブドアニュース (@livedoornews) 2022年9月13日
英国からの招待状は国家元首ら2人分で、天皇、皇后両陛下が参列される方向となったため。英女王の国葬には、アメリカのバイデン大統領やドイツのシュタインマイヤー大統領らが参列する予定。
これ、共同通信の配信記事だが、ここでの珍妙な「見送り」「見送る」という日本語を日刊ゲンダイまで踏襲しているのはなぜか。どういう構造があるのか。 https://t.co/AtZrZVRp68 pic.twitter.com/olgTznwvUU
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
外交の例ではなく、普通の例で考えよう。芸能界の推しが結婚式を挙げるとして、呼ばれてないファンは出席を「見送る」ことはできない。単に「式に出席できない」だけである。何とかして行こうとしていたのにやっぱり無理だわと観念するのなら「諦める」とか「断念する」である。これはTwitter上で多くの人が指摘している通りである。
https://t.co/Lb0E79KrC1 おかしいのは見出し(ヘッドライン)だけではない。本文もだ。 pic.twitter.com/xFhz6IbF9V
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
https://t.co/UKrOJ7RPK5 共同通信の配信や日刊ゲンダイの記事だけでなく、神奈川新聞も同じ用語。This smells really fishy. pic.twitter.com/Kqdw7iMeux
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
この妙な横並びの用語法、安倍氏殺害事件発生直後の「容疑者は安倍氏とある団体の間に関係があると思い込み、犯行に及んだ」という用語法を思い出させる。警察の記者会見でも容疑者が「思い込んだ」と言われていたが、実際には、安倍氏とその「ある団体」との間にはがっつり関係があったのである。それをそう言わないための「思い込み」という誘導が、2022年の日本では、堂々となされたのだ。
岸田首相の「見送り」も、同じような事情だろう、どうせ。
この「見送る」という用語法は、完璧に失敗したメディア操作だろう。いわばできそこないのフェイクニュースだ。
では、本場英国では、この葬儀と参列の手続きをどのような言葉で語っているか。
「外交」だから「招待する」「受諾する(招待に応じる)」が基本の用語法(社交でも同じ)。現地の言葉遣いはこちらなど参照。 https://t.co/fQiF6veJL0 BBC News - Queen's funeral guests: Who will - and who won't - attend
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
例えばジミー・カーター米元大統領は "has not received an invitation" pic.twitter.com/Q7etG9r7le
Ibid. 他の例。基本的に、英国王を国家元首とするコモンウェルス諸国は首相で、その他各国は国家元首、欧州の王室は血縁があるからみんな招待っていう感じか。その他の国は外交関係の有無や近さにより、北朝鮮は英国と国交はあるが大使に招待されていない。ニカラグアもそう。ロシアは誰も招待してない pic.twitter.com/L510NDWftM
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
https://t.co/fQiF6veJL0
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
BBCのこの記事、中東・アラブのことがほとんどわからないし、南米のこともわからないので、まっとうな記事というよりゴシップ記事程度にしか参照できないが、同じことを言うのに何通りかの表現で変化をつけるという英語表現のサンプルとしては使いがいがありそう。
「中東・アラブのことがほとんどわからない」のは、タイミングが早かった(早すぎた)せいもあるだろう。
というか、ほぼ何も検討しなくても誰が行くかが決まっているのが欧州の各王国で(国家元首同士だし、欧州の王室には血縁関係があるのだし)、フランスやイタリアなど大統領制の国(共和国)は大統領が出席することになっているのだが、ほか、いろいろな事情があって誰が行くかがすぐには決まらない国もあるわけで、この記事が出たときにはまだ決まっていない国も多くあったということだろう。
ここ、わかりやすい。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
send[receive] an invite[invitation]
↓
accept it
その結果、
will attend
make the trip (to England)
という流れ。
(この定冠詞もいいなあ) pic.twitter.com/YsNmoPwjiT
さて、BBC Newsの上記の記事の少しあとに出たのが、ガーディアンの下記記事である。
「弔問外交」やるならこうやれ、っていうビジネス書が書けそう。えげつないくらい。 https://t.co/0pUyyBdbHo "As well as a sad occasion, the Westminster Abbey farewell will be a global spectacle, and a diplomatic opportunity for the UK" このas well as, おもしろい用法だ。#英語 #実例
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
"A quarter of the 2k places have been reserved for heads of state & their partners, w Joe Biden, Emmanuel Macron and Naruhito, the emperor of Japan, the best-known guests confirmed as coming from abroad. Invitations wr sent out by the UK to heads of state of nearly every country"
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
記事の最後、チャタムハウスの人の発言がえげつない。'Bronwen Maddox, the director of the Chatham House thinktank, said she believed the funeral would “bring together world leaders in a more intimate way than the UN general assembly” – and help the UK project an image of unity'
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年9月15日
これぞ英国。
ところでこのガーディアン記事を読んで初めて知ったんだけど、日本人の私が「日本からは当然国家元首の天皇だよね。オックスフォード大留学記を読む限り、故人と仲良かったし」と思っているときに、現地では「日本の天皇はこういう場にはお運びにならないのではないか」と考えられていたようだ。その理由が:
Naruhito and his wife, Empress Masako, will leave their homeland on Saturday and head back on Tuesday, government officials in Tokyo confirmed. It is their first foreign trip abroad as heads of state, and it is rare for Japanese emperors to attend funerals, which are considered impure.
ケガレ思想があるから天皇は葬儀には行かないって、ほんとっすか。神道はそういうものなんだろうけど……。
これだから宗教は……。
で、こういうふうに「招待状を出す」→「招待状を受け取った側が返事をする」という手続きを、英語では "RSVP" という定型表現を用いて表す。
これは、英語圏(英国)の社交がフランスの強い影響下にあったころにできた頭字語で、「アール・エス・ヴィ・ピー」と読む。元は "Répondez s'il vous plaît." というフランス語のフレーズである。これを英語に直訳すればRespond please. で、「ご返信ください」の意味。そこから転じて「招待状への返信」の意味になった。
RSVPはフランス語由来だけど、フランスでは今はもう使われていなくて、英語で残っているという不思議なフレーズでもある。詳細はウィキペディアを参照。