今回は、イランの抗議行動のことや北アイルランドのセンサスのことや、イーロン・マスクという個人がTwitterを所有することに関する懸念を表明する人権団体の記事についてなど、頭の中と手元で準備していたものを後回しにして、ばかみたいだけど、中学レベルの「辞書とはどのようなものか」について。
なぜそれを書くことにしたのかというと、飯間浩明先生のこちら:
「座り込み」の意味について、ツイッターでどういう議論になっているのか、もはや全体像がつかめないのですが、少なくとも辞書に関わる部分については、すでに述べたところでほぼ必要十分だと思っています。辞書はことばを定義するのではなく、観察結果を説明するというのが原則です。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2022年10月6日
ここで飯間先生がおっしゃっている「『座り込み』の意味について」の議論の発端は、下記で布施祐仁さんが言及しておられるツイートである:
このツイに「いいね」をした26万超の人たちには、辺野古での抗議行動は3011日どころか1997年から25年間続けられていることをぜひ知ってほしい。沖縄の人々がこれだけ長く抗議行動を続けなければならないのは、本土に住む日本国民の無関心や傍観者的な姿勢が原因になっていることも。 https://t.co/TQAxhILGV8
— 布施祐仁/FuseYujin (@yujinfuse) 2022年10月5日
ひろゆき氏が軽薄に「辺野古の看板を座り込み0日と書き直すべき」とTweetした行為は、沖縄県民の民意や抗議行動を一顧だにせず辺野古新基地建設を進めてきた日本政府の姿勢と合わせ鏡のようだ。ひろゆき氏の言動を面白がって「いいね」している人も。どこまで侮辱すれば気が済むのか。
— 布施祐仁/FuseYujin (@yujinfuse) 2022年10月5日
布施さんが言及している破廉恥なツイートについては、現地をよく知る共同通信の原田浩司カメラマンが投稿直後に次のようなファクトチェック(ツッコミ)を入れているのだが:
西(上)に太陽が沈もうとしているから、
— 原田浩司/ Koji Harada (@KOJIHARADA) 2022年10月3日
この画像が撮影されたのは夕刻近くのはずなんだけど、
ひろゆきさんは、 座り込み終了が16時 ってことぐらいは承知の上でやってるんだろうから憎いねえ。
ひろゆきさんが、素敵な笑顔で立っているのは「329」表示辺り。
— 原田浩司/ Koji Harada (@KOJIHARADA) 2022年10月3日
そのカッコいい姿を、東から西の坂の上に向かって撮影してますから、太陽が正に西に沈もうとする時間帯であることは、良いコの皆も分かってくれるよね。 pic.twitter.com/H8B0WI68XP
こういうファクトチェックを経て持ち出されたのが、国語辞典を(おそらくすごく適当に)参照して持ち出された「『座り込み』の意味」であり、飯間先生がおっしゃっているのは、「だって辞書にはこう書いてある!」と勝ち誇る幼稚なドヤ顔集団*1に対する「辞書」を作る側からの冷静で冷徹な指摘である。しかしながら、残念なことに:
「辞書はことばを定義するのではなく、観察結果を説明する」という「原則」は、残念ながら、あまり知られていないと思います。OEDにせよ何にせよ、そういうふうにして作られているのですが……(関心のある方は、サイモン・ウィンチェスター『博士と狂人』など辞書作りに関する数多くの本を参照) https://t.co/LFfsSnyeWk
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年10月6日
というわけで、
辞書がどういうものかについては、こちらの最新のニュースもわかりやすい: https://t.co/YeIlVssM4h サー・アレックス・ファーガソンは辞書に載っているからsqueaky bum timeという表現を使ったのではありません。彼が使ったのがメディアを通じて一般に広まり、定着したので、辞書に載せられたのです。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年10月6日
↑↑こちらの↑↑記事。今日はこれを英語の実例として読んでみよう。
記事はこちら。毎年この時期に報じられる「OED(オックスフォード英語辞典)に新たに追加された語」の中で、特に来月開幕するサッカーW杯に絡んで収録されたというサッカー絡みの単語や表現について報じるサッカー専門メディアの記事である:
実例として見るのは、記事の書き出しの部分から。
The Oxford English Dictionary has added 15 football-related terms in its quarterly update ahead of the World Cup next month, with Sir Alex Ferguson's infamous "squeaky bum time" phrase among the newly recognised terms.
太字にした部分は《付帯状況のwith》。これを、普通に文の形で書けば:
and Sir Alex Ferguson's infamous "squeaky bum time" phrase is among the newly recognised terms
となる。
文意は、「オックスフォード英語辞典が、来月のワールドカップを前に、4半期ごとのアップデートにおいて、15件のサッカー関連の言葉を追加した。新たに認められた語句の中には、サー・アレックス・ファーガソンの悪名高い "squeaky bum time" というフレーズも入っている」
ここで "recognise" という語が用いられているのはOEDに権威性があるからだろう。そうでなく、そこらへんの用語集の類ならば、includedとかいった平たい感触の単語が使われているはずだ。
さらにその先:
The former Manchester United manager first uttered the phrase back in 2003 in a press conference when discussing Arsenal's end to the season, suggesting that the Gunners would face lots of pressured situations to the conclusion of their campaign that they would have to cope with.
文頭の "The former Manchester United manager" は、前文の "Sir Alex Ferguson" の言い換え。報道記事でよくあるパターンで、heなどのただの代名詞ではなく、その人の経歴やバックグラウンドを説明するような語句が用いられるので、イングランドおよびブリテンのサッカーに一切関心のない人には読みづらいだろう。
下線で示した部分は、whenという接続詞に導かれる副詞節の中で《主語とbe動詞が省略》されていると考えられる。そこを補うと、 "when he was discussing ..." となる。
ここまで、文意は「この元マンチェスター・ユナイテッド監督(=ファーガソン)は、2003年、記者会見において、アーセナルのシーズンの終わりについて話をしているときに、最初にこのフレーズを口にした」。
utterは多義語で、大学受験レベル。ちゃんと調べておくこと。
その後ろ:
suggesting that the Gunners would face lots of pressured situations to the conclusion of their campaign that they would have to cope with.
太字にしたのは《現在分詞》で、ここは《分詞構文》。これまた報道記事らしい文体だ。"the Gunners" はArsenalの愛称で、イングランドのサッカーに関する記事を読むにはこういうのを知っておく必要がある(あとホームスタジアムの名称。アーセナルならEmirates, マンチェスター・ユナイテッドならOld Trafford)。
文意は「ガナーズ(アーセナル)は、シーズンの終わりに向けて、対応していかねばならない厳しい状況に何度も直面することになるだろうということを述べて」と直訳される。
なお、"squeaky bum time" とは、スポーツの試合終盤などで手に汗を握り、息をのむ展開になっているときのことを言う表現で、そのまま直訳すれば「お尻が落ち着かない時間」となる。
そう聞いて私が思い浮かべるのは、2002年のワールドカップでのアイルランド対スペインの試合で、試合終了間際にロビー・キーンが同点ゴールを決めたときのことなのだが、この表現が一般的に用いられるようになったのは2003年の記者会見でのサー・アレックスの発言がきっかけとのことで、ロビー・キーンのあの魂のゴールのときにはまだこの表現は一般的には存在していなかったということになる。
ちなみに私個人は:
私は、"squeaky bum time" という表現は、それを知ったとき(2010年より前)には既に多くの人が使うスラング(口語)になっていたので自然発生的なネット用語かなと思っていて、実はサー・アレックス発祥というのは今回初めて知りました。"Park the bus" はサッカー用語としてリアルタイムで覚えた。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2022年10月6日
で、"squeaky bum time" という表現にうちが絡んでいるとは知りませんでしたよ。2002年や2003年というと、今ほど大量に、ただネットに接続しているだけで流れ込んでくる(大半は芸能やスポーツに関連する)ニュースはなかったし、サー・アレックス(意地でも「ファーギー」とは呼ばない)の記者会見での発言まではフォローしてなかった。
なお、辞書がどういうものかについては、手元にあるor積読山既読が原の中にある辞書に関する本でもいろいろ説明がなされているのだが、引用しようと思って読み始めてしまい、ひどい目にあった。そこはあとで書き足すことにする。
※ここまで、引用が多いので5400字くらいになっている。規定の分量を1400字超過。
*1:私もそういう手合いにからまれたことはあります。ネットでボランティアで翻訳をしていたので、「自分は英語はよくわからないが、おまえのtheの解釈はおかしい。なぜなら辞書の15番目の項目にこういうのがあるので、こう解釈すべき」みたいなのはいろいろありました……。誤訳の指摘はありがたいものですが、書かれていることが自分の考えと違うからといって「誤訳」と決めつけてなされる言いがかりは迷惑です。