今回の実例は、前々回と同じ、亡命したロシア人元外交官の手記から。コンテクストの説明などは前々回のエントリをご参照のほど。
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今回は、前々回のエントリで見た部分の少し先を見ていこう。少々手ごわい文である。
あくまでも私の場合はだが、英文を読むときにこちらが何もしようとしなくても自然と頭の中で同時通訳みたいに日本語化されて読めていることがよくある。報道記事などは英語のままで読んでいるのだが、物語文だと初見で同時通訳されていることが珍しくない。このボンダレフ氏の手記もそうで、目では英語を追いながら、頭の中では日本語が流れている。
しかし、今回のキャプチャ画像内の最初の文は、いったん日本語で聞こえてきたものが1秒後には修正されるという感じになった。最初は文構造を取りそこなっていたのだ。
The war is a stark demonstration of how decisions made in echo chambers can backfire.
書き出しから、 "The war is a stark demonstration of ..." は問題ない。「この戦争は…を如実に示している」だ。
その後ろ、"how decisions made" を、いったん「決断がいかにして~を作るか」と読んでしまったのだが、それが間違いだということが文を最後まで読み切る前にわかった。この節(疑問詞節)は次のような構造をしている。
how decisions ( made in echo chambers ) / can backfire
つまり、節内の主語は "decisions" で、動詞は "made" ではなく "can backfire" だ。
では "made" は何かというと、《過去分詞》で直前の "decisions" を後ろから修飾している(《後置修飾》)。ここまで、「エコー・チェンバーでなされた決定」という意味で、それが主語。
それが「思っていたのと反対の結果になることがある」というのが主述の部分で、それをhowの節に入れると、「エコー・チェンバーでなされた決定が、いかにして、予期していたのと反対の結果になりうるかを」。
"echo chamber" は、同じ言葉が共鳴するかのように何度も繰り返されてぐるぐる回っているさまを表す比喩表現(隠喩)で、ネット上での自分の行動履歴やサイト側のアルゴリズムのせいで、同じような意見ばかりに繰り返し接してしまう環境のことを言うのによく用いられるが、ボンダレフ氏の手記で言っているのは、リアル世界でそういうふうになっている場のことだ。具体的には、ここでキャプチャした部分の上を読めばわかるのだが、周囲をイエスマンだけで固めているロシア大統領の環境のことだ。自分が「アンパンはこしあんに限る」と言ったら、「そうですね、こしあんに限ります」と言う人ばかりを周りに集めていると、「いやいや、つぶあんもよいものだ」という意見は出なくなる。そればかりか、「こしあん最高。つぶあんなど勧めてくる奴は外国の工作員」といった極端に過激な意見が出てくる可能性もある。
そういう環境でなされた決定は、現実に照らした冷静でまともな検証を経ていないことが多く、その場合は、想定されていた結果につながらないどころか、まるで反対の結果に終わることすらある。
そういうことを如実に示しているのが、ロシアによるウクライナ侵略の一連の経緯である、というのが、筆者の主張だ。
キャプチャ画像内の2番目の文。これが手ごわいのではないかと思う。
Putin has failed in his bid to conquer Ukraine, an initiative that he might have understood would be impossible if his government had been designed to give honest assessments.
最初のコンマまでは簡単だ。直訳はしづらいのだが、「プーチンは、ウクライナを征服しようと勝負に出て失敗した」という意味。
コンマから後ろの部分は、"his bid to conquer Ukraine" と《同格》の関係で、それをより詳しく説明している――というより、筆者がそれをどう見ているかを述べている。太字にした "that" は《関係代名詞》で、その後ろを読んでいくと、これは "he might have understood" の目的語かなと一瞬思うのだが、そう解釈すると意味不明だ。「イニシアティヴを理解する」では意味が通らない。と、次の瞬間に "would be" が目に入る。そこで気付くわけだ。「ああ、これは《連鎖》だ」と。
《連鎖関係代名詞》は、以前はそういう言葉・そういう概念では語られていなかった。定番中の定番の文法書である江川『英文法解説』や、旺文社の『ロイヤル英文法』の索引には「連鎖」という用語はないし、最近ブームになっている「往年の名著を復刻」という形で出ている英文法書にも、つぶさに調べたわけではないが、なかなか見当たらないのではないかと思う。
安藤貞雄『現代英文法講義』には次のようにある(192ページ)。
“連鎖関係詞節“ (concatenated relative clause) は、Jespersen (MEG III: 196) の用語で、関係詞節が他の節の中に埋め込まれている場合を言う。この構文は、特に〈略式体〉において、say, know, fear, feel, hear, suppose, think, wishなどの動詞の目的語になっている場合が多い……
今回見ている実例では、下記のようにカッコを補って読むことで、主語(関係詞)とそれに対する動詞が浮き上がって見えるだろう:
an initiative that ( he might have understood ) would be impossible
「不可能であろうイニシアティブ」と「彼は理解していたかもしれない」で、「彼は、不可能であろうと理解していたかもしれない(ような)イニシアティブ」という意味。
その後ろに続く部分:
if his government had been designed to give honest assessments.
さっき見たところでwouldが出てきたことから予想できていたかもしれないが、このif節は仮定法だ。もっと言えば《仮定法過去完了》。
一方で主節は "would be" であると考えれば《仮定法過去》で、つまりif節が仮定法過去完了、主節が仮定法過去という形の文だ。これはさほど珍しい形ではなく、「もしも過去において~であったならば、今…であるだろうに」という意味だ。「もしも昨晩、もっと早くに就寝していたら、今頃こんなに眠くなっていないだろうに」など、日常的な場面でも使われる形である。
考え方はもうひとつある。主節の時制はさっきカッコに入れた "he might have understood" の部分で判断すべきという考え方で、この場合はif節も主節もどちらも《仮定法過去完了》ということになろう。
どちらであるかを断定しなくても、文意はとれるだろう。
fif節の意味は「もし彼の政府が、正直な判断を述べるよう、設計されていたならば」。
その次の文:
For those of us who worked on military issues, it was plain that the Russian armed forces were not as mighty as the West feared—in part thanks to economic restrictions the West implemented after Russia’s 2014 seizure of Crimea that were more effective than policymakers seemed to realize.
ダッシュ(―)で補足されている部分が長いので、そこは切り離してみると:
For those of us who worked on military issues, it was plain that the Russian armed forces were not as mighty as the West feared
《it was ~ that ...》という形になっているが、これはいわゆる《強調構文》だろうか、それとも《形式主語itの構文》だろうか。
答えは後者で、ここは「ロシアの軍隊は、西側が恐れていたほどには強くないということは、明白だった」の意味。
thatの後に《as ~ as ...》の構文が入っていることにも要注意である。
ダッシュの後の部分:
—in part thanks to economic restrictions the West implemented after Russia’s 2014 seizure of Crimea that were more effective than policymakers seemed to realize.
だらだらと長い記述だが、文法的には太字にした "that" くらいしか見どころがない。これは《関係代名詞》で主格だ。意味は「部分的には、2014年のロシアによるクリミア掌握のあとに西側が科した経済制裁(それは政策決定者が気づいていたと思われる以上に効果的だったのだが)のおかげで」。やや反則めいているが、日本語文はカッコを使って表してみた。
と、ここで4000字を超えてしまったのでここまで。
この手記は、全体的にこんな感じの英文なので、大学受験生でもちょっと頑張れば読めるという人はかなりいるだろう。私たち一般人が、亡命者の手記をリアルタイムで読むという機会は、昔の「冷戦」時代にはまずなかった。そういう機会を誰でも得ることができる時代になったのだから、その豊かさをぜひ享受していただきたいと思う。
※4300字