このエントリは、2021年7月にアップしたものの再掲である。
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今回は実例ではなく、「英語で報道記事を読む」以前の基本的な用語解説みたいなものを。「用語解説」っていうか「常識」かも。
日本時間で昨日5日、月曜日の晩に、英国から「ボリス・ジョンソン首相が『COVIDとの共生』に舵を切るべきときだと宣言へ」というニュース速報が流れてきた。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2021年7月5日
これは先日、マット・ハンコック保健大臣(当時)が「(不倫相手と抱擁しあうことによって)ソーシャル・ディスタンシングのルールを破っていた」という理由で辞任した(というか、その辞任につながった決定的瞬間の証拠映像の出方*1からして、ジョンソンに切られたわけだが)ときには既に予想されていたことだ。ジョンソンはBrexitでも過激派になびいたのだが、COVIDでも行動制限解除過激派になびくのである。自分は感染して重症化しても手厚い医療を受けて生還できたしね。
ともあれ、上記速報がto不定詞を使って「~へ」という未来のこととして伝えていたことは、日本時間の今朝がたには現実となり、それが日本語圏でも配信された。キャプチャ等は取っていないのだが(あとでキャッシュを見返してみる)、Yahoo! Japanのトップページに配信されていたAFP BB(AFPの日本語翻訳)では「イングランドで規制撤廃」というふうに正確な見出しになっていた。一方で、Twitterで見かけた共同通信の見出しが、ダメだった。
「英」じゃない。「イングランド」だけです。 https://t.co/hSqTlggVcN
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2021年7月5日
これは、新型コロナウイルスが流行り始めたころ(WHOが「パンデミック」を宣言する前)にわりとよく見られたような「誤報」にもならない程度のミスで、英国の政治制度への無理解が原因の用語法の間違いである。
というか、その「英国の政治制度」がとんでもなくややこしいのだが。
今回はその話を書く。これはもうちょっと真面目に書いて電子書籍にでもまとめようと思っているのだが、真面目に書くには「なぜこういうふうになっていて、ああいうふうになっていないのか」ということも検討しなければならないと思い、それが実はものすごく大変で、 全然進めない。
この「こういうふう」を現実の英国(つまりイングランドとウェールズとスコットランドと北アイルランド)、「ああいうふう」を、日本語でもそこそこ広く語られている米国やオーストラリアのような「連邦制」と読んでいただけると、言いたいことは伝わるかなと思う。つまり「そんなんなら連邦制にすりゃいいのに、なぜ連邦制にしないのか」という問題で、これ考え出すと、詰むんだよ。
ともあれ、本題。今回のジョンソンの宣言のことを、ガーディアンは非常にわかりやすく見出しで「イングランドの」と書いている。
とはいえ、この見出しの "England's" はあとから書き加えられたものである。はてなブログに内蔵されている記事埋め込み機能を使って表示される見出しでも、「イングランドの」は出てこない。
英国の全国紙での報道がこうなのだし、そもそもジョンソンは「英国の」首相なのだから、日本の報道機関がこの点について「英国」と書いてしまっても、しょうがないのかもしれない。少なくともIRAのやっていたことについて「北アイルランドの独立闘争」と書くよりは軽度の間違いだ。だが、実際のところ、この場合、報道機関のやらかしたことについて「これは、しょうがないよね」と言ってしまうのはかなり甘い。英国でのあのややこしい制度については、ウィキペディア英語版だけでもかなりの部分知ることができるのだ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Devolution_in_the_United_Kingdom
以下、参照用ソースを貼り付けるため以外には何も見ないでだーっと書くから、細部が間違っているかもしれない。何か気づいた方ははてブなりTwitterなりでご指摘いただければと思う。
目次:
というわけで、ウィキペディア英語版を見ていただくのが一番手っ取り早いと思うのだが、ざっくり簡単に言うと、1990年代末、労働党トニー・ブレア政権下で行われた「権限移譲 devolution」によって、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド (England, Wales, Scotland, and Northern Ireland) によって構成される連合王国 (the United Kingdom) すなわち、日本語で一般的に言う英国(イギリス)の行政は、中央政府が担う部分と、各地域(日本語ではこれを「地方」とも言うが、あれをすっきり言い表せる日本語はないと思う)の自治議会が担う部分とに分かれた。
「英国」とは何か
こっから話を始めようと思ってたのだけどそうすると書き終わらないので、上で「もうみんなそこは説明不要だよね」のスタイルで、固有名詞を羅列する形で書いた。わからん人は各自調べものをしてください。
ちなみに「英国」であれ「イギリス」であれ、日本語圏で一般的に「連合王国」を指すものとして使われている固有名詞は、どちらも「イングランド」に由来する表現なので、これを文字通りに文字通り(←トートロジーではない。文字通りに読んでw)受け取るともろもろ整合性が取れなくなってしまうのだが、呼び名というのはそういうものなので(「下駄」じゃなくても「下駄箱」ですし)、そこはわりきって次行ってみよう。
中央政府と各地域の自治政府
中央政府はロンドンのウエストミンスターに議会を持ち、その議会の議員から内閣の構成員が選ばれている。これが、うちらが認識している「英国政府」(the British Government, the UK Government; Governmentは小文字で書き始められることもある) だ。その議会(立法府)は日本語では「国会」と呼ばれているが、英語ではthe Parliamentである(二院制なので厳密にはthe Houses of Parliamentとすべきかもしれない)。
一方、各地域はそれぞれに、日本語で「自治議会」と呼ばれるものを持ち、その構成員が「自治政府」をつくっている。
ウェールズの場合
ウェールズはカーディフに「ウェールズ自治議会」つまりthe Senedd, or the Welsh Parliament*2 を持ち、「ウェールズ自治政府」つまりthe Welsh Governmentが行政を執り行っている。
スコットランドの場合
スコットランドはエディンバラのホーリールード地区に議事堂を構える「スコットランド自治議会」つまりthe Scottish Parliamentを持ち、「スコットランド自治政府」the Scottish Governmentが行政を担う。このScottish Governmentという名称は2012年の法改正で正式な名称となったもので、ブレアの地方分権が始まったときにはScottish Exectiveと呼ばれていた。Governmentの名称は2007年には非公式に使われ始めていたそうだ*3。
北アイルランドの場合
ここまででもうすでに十分にめんどくさくて私は投げ出したくなっているのだが、最後、北アイルランド。以下、早口でしゃべるが、あそこは今から100年前の1921年に今の形で北部6州が英国に帰属したまま、南部26州が「アイルランド自由国」となったときからずっと、「自治」を続けている(のちに1970年代から、北アイルランド紛争のためその自治が中断され、ウエストミンスターの直轄統治となったが)。ウェールズとスコットランドの「自治」が、少なくとも現代においては、1990年代終わりの「ブレアの地方分権」で実現したものである一方で、北アイルランドの「自治」はブレアの功績ではなく、最初っからそうだったものである。日本語で出版されている英国政治についての新書などではここが間違っていることが非常に多い(というか間違っているのがデフォ)なので注意されたい。北アイルランドについてのブレアの功績は、和平合意を実現させ、自治を復活させたことにある。自治の創設・導入ではない。
ただしその自治の復活も、元の形での復活ではなかった。元の自治ではカトリックが二級市民と位置付けられ差別待遇を受けていて、それが原因で血なまぐさい武力紛争になったわけで、それをそのまま復活させたのでは紛争が終わらない。だから、1998年の和平合意(グッドフライデー合意、またはベルファスト合意)のあとの「北アイルランド自治議会」は、昔のParliamentとは違うAssemblyと位置付けられ(日本語版ウィキペディアではこれら2つの性質の違う議会がどちらも「北アイルランド自治議会」として記載されているので、日本語版ではまともな調べものをすることができない状態になっている。北アイルランドやりたければ英語は必須ですよ。ガンダムがきっかけの方も、「軍オタ」を自認する方も)、「北アイルランド自治政府」もGovernmentではなくExectiveである。
そして、ウェールズとスコットランドでは議会で過半数を持つ党が「与党」(単独で過半数に至った党がない場合は複数政党による連立で「連立与党」を結成)となり、そうでない党が「野党」となり、「与党」の議員が内閣を構成する大臣職につくというおなじみのシステムが使われているが、北アイルランドは、「数が多いものが勝ち」になれば「ゲリマンダリングなどで数を多くして、少数派はいつまで経っても少数派で、社会の中で虐げられる」という北アイルランド紛争の根本原因 (root cause) がまた再来してしまうことになるから、伝統的「与党・野党」のシステムではなく、議会に議席を持つ党がそれぞれ、獲得議席数に応じて大臣のポストを配分するというシステム(「d'Hondt制」と呼ばれる)が導入されている。この「パワー・シェアリング」の自治政府では、「首相」にあたるトップのポスト(北アイルランドでは "First Minister" と呼ばれる)もそれぞれ別の政党から正副2人を選ぶことになっていて、例えばFirst Ministerが何らかの理由で辞任すると自動的に、Deputy First Ministerも大臣ポストを失うことになり、そうなるとトップがいなくなるから政府の閣僚全員がポストを失う、というか自治政府の大臣が全員いなくなる。今現在もそのギリギリのところで政治が動いているのだが、それは別の話で、っていうかもう4600字超えてるし。
イングランドの場合
で、ウェールズとスコットランドと北アイルランドはそういうふうに自治政府を持っているのだが、ではイングランドはというと、これが自治政府がない。だから、各地域で「自治」として行っている分野の行政は、イングランドでは中央政府が担う。つまり、ボリス・ジョンソン首相は英国の首相であるが、イングランドの首相も兼ねている。サジド・ジャヴィド保健大臣は英国の保健大臣というポストにあるが、保健行政は各地域の自治にまかされているので、ジャヴィド大臣の権限はイングランドにしか及ばない(影響力は各地域に及ぶかもしれないが)。
イングランドにも自治政府を導入すべきだという考えは、ないわけではない。だがこれは20世紀後半(各地域の「自治」導入前)においてはイングランドの極右の思想だった。ウエストミンスターの議会に任せてたら、イングランドにしか関係のないことについてまで、スコットランドなどの議員が口を出すばかりか決定権まで握ってしまっているじゃないか、ということだ。これは「イングランドのナショナリズム」なのだが、イングランドに自治議会・自治政府をと主張していたのはなぜか極右しかいなかった。極右でない人がそういう考えを抱かなかったのかどうか、そうだとしたらそれはなぜかは私は知らない。この点、あまりにも雑に扱うべきではないと思うので、一応ソースみたいな記述を貼り付けておく。ウィキペディアだけど。
On the political level, some English nationalists have advocated self-government for England such as the English Democrats. This could take the form either of a devolved English parliament within the United Kingdom or the re-establishment of an independent sovereign state of England outside of the United Kingdom.
現在、この問題はEVELという形で一応決着というか落ち着いている(特に反対論などが出ていない状態)だと思うが、これはこれで、例えばBrexitというめちゃくちゃ強引な問題に際しての「スコットランドはBrexitを支持しませんでしたよ」というまっとうな指摘とは論理的に両立しえないわけで、まあ、英国的である。
なぜ連邦制にしないのか
知らん。
各地域の自治政府に任されている分野
というわけで、ウエストミンスターの中央政府と、各地域の自治政府とでは、担当行政の分野が異なる。というか、各地域がやってることは中央政府は(無関係ではないにせよ)基本的に口を出さない。
そのように、各地域の自治政府に任されている分野はどのようなものかというと、人々の生活にダイレクトにかかわるようなものである。例えば、教育、社会福祉、防災などである。どういうものがそれに該当するかはここに一覧になっている。
保健もそういった各地域に権限が移譲されている分野で、今回の新型コロナウイルスの感染拡大に対する対応も、イングランドとウェールズとスコットランドと北アイルランドはそれぞれ別に専門家チームを持ち、別々に方針・対策を決定している。いわゆる「ロックダウン」の判断も、4つの地域で別々、ばらばらになされる。
だから、今回ジョンソン首相が「感染防止のためのいろいろな制限は全部、7月19日で解除」と言っているのはイングランドだけのことで、ウェールズやスコットランドや北アイルランドではそれぞれ別個に判断をする。
とはいえ、それぞれの地域の間に壁があるわけではないから、仮にイングランド以外でマスクなどの制限が継続されようとも、制限完全撤廃されてひゃっはーになってるイングランドから人はどんどん来るだろうし、なんかもうニュース読んでるだけで勘弁してくださいよ……と思っている。
いかがでしたか? コーナー
というわけで、そろそろ6600字を超えていて「いかがでしたか?」の頃合いだが、上の方で例示したガーディアンの記事内で、Wales, Scotland, Northern Irelandそれぞれのワードで検索しても何もヒットしない、つまりこの記事は「イングランド」のことしか書いていないということを示して終わりにしよう。(画像は全部加工済み)
※7100字。原稿用紙にすると35枚半だよ、たったこれだけのことで。
補足
ああそうそう、アメリカ人は今でも普通にUKやBritainのつもりでEnglandという用語を使うことがあるから(政治思想抜きでエリザベス女王のことを "The Queen of England" と言うのは、英語圏ではアメリカ人くらいだろう*4)、アメリカでの用語法でイギリスのことを考えようとするのは無理ですよ。
Rupert Murdoch got his vaccine before the Queen of England, then sends his winged monkeys to lie to da gullibles. pic.twitter.com/QxaaoZxboB
— John Fugelsang (@JohnFugelsang) 2021年7月5日
*1:「ホテルで密会しているのをパパラッチされた」とかそういうことではなく、職場に隠しカメラが仕掛けられていて、その映像がジョンソン政権とのつながりが極めて強いメディアで大々的にばらまかれたのである。ドラマHouse of Cards以上にドラマのようだ。
*2:2020年5月まではParliamentではなくAssemblyの位置づけだった。今もUK Parliamentのサイトにある用語集ではAssemblyのままになっている。仕事が雑だというより、記述をアップデートする部署がないか、人がいないのだろう。
*3:Source: https://en.wikipedia.org/wiki/Scottish_Government#History
*4:Twitterけんさくするとけっこうごろごろ見つかるので、米語で世界を認識している人は米国人じゃなくてもそう言っているみたいだけど。