Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

【2023年6月中の署名のお願い】シリアで強制失踪させられている10万人について、調査を専門的に行う国際機関設置を求める請願文を日本語化しました。署名をお願いします。

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今回は日本語化した請願文のご紹介と署名の要請です。広く拡散してください。期間は「6月中」とのことです(詳細は書かれていないので私にはわかりませんが、「なるべく早く」の案件です)。

6月8日、立法の根拠すらぐだぐだだったことが露見しているにもかかわらず、強引に委員会採決に持ち込まれた入管法の件*1で、私が見る画面が埋め尽くされているときに: 

The Syria Campaignからの署名SuehiroKaさんから回ってきているのが目に留まりました。TwitterのFor Youタブのおかげで見落とさずに済んだようです(For Youタブは評判が悪いが、私の場合はかなり重宝)。

正確に言えば、目に留まったのは写真でした。日本ではなさそうなどこかの*2建物の前で、髪の毛を隠した服装の女性が、2人の男性の写真が入ったフレームをしっかりと抱きしめて、「決意」とか「怒り」のうかがえる表情で立っているのを、下からあおぐような角度でとらえた一枚。

文面を見る前にまず写真を見て、根拠もなく「シリア関連だ」と思いました。2011年より前にはぼやーっとしか知らなかったシリアですが(一応、翻訳仕事の関係で、かなり頑張って、日本語になっていない基本情報などを調べたことはあるが、それ以上のかかわりはなかった)、民主化要求デモが武力弾圧され、内戦化し、苛烈な弾圧が人々の上に加えられ、一方でイスイス団が跋扈するようになり……という流れの中で、「シリア関連の写真は、見れば何となくわかる」ようになっています。そのことが自分の中でどういう意味を持っているのか、今の私は知らないんですけども。

ともあれ。

「強制失踪」の事実究明を働きかけるThe Syria Campaignの請願書・署名

この署名の主、The Syria Campaignは、2011年にシリアの人々が立ち上がってから3年後、イスイス団が本格的にのしてくる少し前にあたる2014年3月に立ち上げられた国際的な組織で、米国や英国、ドイツなどを拠点として、シリアにおける人権のために活動しています(詳細はAboutのページTwitterアカウントなどを参照)。これまでも重要なキャンペーンを行ってきましたが、今回の署名運動はその最新のものです。

あて先は国連加盟国

今回の署名は、今月中に行われる国連総会における投票で、シリアの強制失踪者についての調査等を専門に行う国際機関の設置を決定するよう、国連加盟国各国に呼び掛けるもので、ウェブ署名をThe Syria Campaignで取りまとめたあと、各国別に署名者がどのくらいいるのかを分かりやすくして、各国政府に届けるものであるとのことです。

「強制失踪」とは

「強制失踪」は一種の専門用語で、英語ではenforced[forced] disappearanceといい、政府当局やその地域を支配する武装勢力などによって拉致・誘拐され、そのままどこかに拘束・監禁してしまったり、ひどい場合には殺害してどこかに埋めてしまったり、といったことを指します。1970年代のアルゼンチンやチリの事例が特によく知られています。北アイルランドでも、"the Disappeared" として、紛争中もしくは紛争の文脈で武装勢力に連行されたまま行方知れずになった18人が特定されています(いまだ遺体が見つかっていない人々がいる)。シリアでは、2011年春の反政府運動のうねりが始まったときから2015年の夏までという4年余りの間に、65,000人が強制失踪させられたと報告されています。私がオンラインでフォローしていた人もその中に含まれます。2023年の現時点では、強制失踪者は100,000人を超えているそうです。

人権について、少しでも重要だと考えていて、国連を少しでも重要だとみなしているならば、今回の署名には、名前を連ねない理由はないでしょう。

というわけで、何はともあれ署名はしたのですが、私一人が署名して「署名しました」とリンクをツイートするだけでは、この閉じた言語圏、英語圏として立ち現れている国際コミュニティからほぼ完全に切り離されている日本語圏では、全然広まっていかない。

そう判断したので、ざっくりとですが、文面を日本語化しました。

この翻訳は、1時間くらいでざっと作業したもので、人前に出す翻訳物としてクオリティは十分ではないかもしれませんが(「一晩寝かせる」という必須のプロセスを踏んでいないし、推敲すらもしていない)、文意は伝わるだろうと思います。

事前に許可を得るなどせす勝手に日本語化したのですが*3、The Syria Campaignにはメンションを飛ばしてあり、肯定的な反応をもらっています。

というわけで日本語化したものの文面。まずはTwitterに投稿した英日対訳形式の画像を掲示し、その下にテクストで日本語訳を単独で入れておくことにします。

◆目次◆

 

請願文と説明の文の日本語化(画像)

 

請願文と説明の文の日本語化(テキスト)

請願文のメインの部分(背景が黒いところ)

国際連合加盟国193か国宛ての請願

シリアで失踪させられている人々の運命に関する真実と、何があったのかの開示をご支援ください

 

 シリアにおいて行方知れずとなっている人々がどうなったか、どこにいるのかをはっきりさせ、発見されている人間の遺体の身元を特定し、失踪者の家族への支援を提供するための、新たな国際機関の設立に、賛成の一票を投じていただきたく、私たちから強くお願い申し上げます。

 これは、シリアの失踪者(強制失踪者)のための真実と正義に至る長い道のりの、最初の実際的な一歩となるものです。

 シリアでは数万人単位の失踪者がおり、その家族は何年にもわたって、家族の一員がどうなったか、ほとんど、あるいはまったく知らされることもなく過ごすことを余儀なくされてきました。

 この危機については、ほぼ何の進展もないまま12年が過ぎました。これら失踪者の家族に、大切な家族の一員がどうなったのか、どこにいるのかということの回答を開示するため、国際的な協働による解決策が必須となっていることは、今や、明白なことです。

 

【入力欄】

フルネーム(半角英字で、名前 名字)
Eメールアドレス

 

via 

Support truth and answers about the fate of Syria’s disappeared | The Syria Campaign

 

補足的説明の部分(背景が白いところ)

 シリアでは、強制的に失踪させられている(訳注: 政府機関などによって密かに拉致され拘禁されるなどしている)人々が、10万人を上回っていると推定されています。その大多数がアサド政権によるものです。また、イスイス団などの武装過激派集団もまた、強制失踪を戦争の兵器として利用しており、それは人道に反する罪に該当する行為です。

 拉致・拘束され、生還した人々や、家族の一員が行方知れずになっている人々は、何年にもわたって協力しあい、答えを求めてありとあらゆるドアをノックしてきましたが、結果は得られていません。これほどの度合いの危機には、独自の解決策が必要であるということが、明白になっています。

 そしてこんにち、またとない好機が目の前に迫ってきています。国連総会で、シリアの失踪者がどうなったか、どこにいるのかを明らかにすることを活動目的とする国際機関を設立するかどうかの投票が行われるのです。

 シリアの失踪者に何が起きたのか、その真実を知ることは、正義に向けての必要不可欠な一歩です。あなたをはじめ、世界中で何千人という単位の人々にこの請願に署名をしてもらえれば、わたしたちはみなさんの声を、国連に加盟する193か国すべてに届けます。各国別に、その国の国民の賛同署名数をわかりやすくマーカーをつけて送ります。投票は6月中に行われる見込みですので、署名はお早めにお願いします。そして、広く拡散もしていただけますよう。

 強制失踪させられている人々の中には、アサド政権に批判的な政治家・政治活動家や、人権を守るために活動してきた人々、医師、人道活動者などが含まれます。たまたま、アサド政権の支配に反対した地域の人間だったからという理由で失踪させられている人もいます。その大多数が、非公式の(記録にない)、地下に設けられた拘束施設に、まさに詰め込まれるようにして収容されており、そこに入れられた人々は、外界との接触手段もない状態で、おぞましい悪条件にさらされています。

 失踪者の家族は、何年にもわたり、大切な家族の一員がどうなったか、どこにいるのか、生きているのか死んでいるのかを一切知らされることもなく放置されるという目にあわされています。軍で事態にかかわっていたが耐え切れずに離脱した「シーザー(カエサル)」と名乗る人がひそかに持ち出した拷問の実相を記録した写真に、自分の家族・親族の一員の姿をみとめた人々もいますが、多くは家族・親族が死んだことを確定もしてもらえず、埋葬場所についても何も教えてもらえずにいます。

 今回国連で投票が呼びかけられているこの機関の設立は、家族・拉致拘束からの生還者の主導するグループが、倦むことなく、呼びかけてきたものです。昨年8月に、国連総会は、これらの要求を支持し、この機関の作業において家族・親族にかかわっていただくことの重要性を強調する、画期的な報告書を出しました。多くの国々が、この機関に対する支持・支援を明言しています。そして現時点では、国連加盟国の一部がまとまって、この機関を創立する国連決議案の草案を取りまとめています。決議案は、単純過半数を取れば国連総会を通過することになっています。国連加盟国193か国すべてが平等な発言権を有し、拒否権をもつ国はありません。

 大切な人について、どんな情報でもいいからもたらしてほしい、と待ち続けている何万という家族にとって、国連でのこの投票は、一条の希望の光です。そこでまず、これをお読みのみなさんのような世界中の人々が、国連加盟国それぞれに、この機関の設立に賛成して票を投じるよう、要求しなければなりません。このような好機が得られることはそう頻繁にはないことであり、これを逃すわけにはいきません。どうかあなたもこのキャンペーンに加わって、署名をしていただけますよう。

 

この新しい国際機関の設立を呼びかけ、「真実と公正憲章グループ」を構成する10の家族・生還者団体を代表して: セドナヤ刑務所拘束者・失踪者連合、シーザー家族連合、ISIS拉致被害者家族連絡会、自由を求める家族の会、タアフィ・イニシアティヴ、真実と公正を求める家族の会、アドラア非拘束者連合、ヘヴデスティ-シナジー、リリース・ミー、非拘束者総連(※各組織名は仮訳)

 

via 

Support truth and answers about the fate of Syria’s disappeared | The Syria Campaign

 

「シーザー(カエサル)」のファイル

文中にある "「シーザー(カエサル)」と名乗る人がひそかに持ち出した拷問の実相を記録した写真" については、下記などをご参照ください。

globe.asahi.com

政府が秘密にしているため、拘禁中に何人が死亡したかは誰にも分からないが、数千人の死者についてはメモや写真の形で記録がある。元軍警察幹部のCaesar(安全のため、本名は明かしていない)は少なくとも6700人の遺体の写真をシリアから持ち出した。骨がやせ細り、殴打の痕が残る遺体の写真が2014年に明るみに出て世界に衝撃を与えた。

via 

シリアの「秘密刑務所」で続く拷問、レイプ、そして死:朝日新聞GLOBE+

 

「国民」が「難民」になるということ

ある日、政府に連行されていき、それっきり家族にも消息が伝えられず、生きているのか死んでいるのか、死んでいる場合はどこに埋められているのかすらわからない――そういうことが普通に起きる場所から、人々は脱出してきて、そして「難民」になるわけです。シリアに限らず一般論として、いったん国を脱出した人は、脱出していない人以上の疑いをかけられます。その人が送還されたらどうなるか…………例えば日本でも大騒ぎされた19年から20年にかけての香港民主化運動の活動家たちが今どこにいるかといった事実を根拠として、想像力を働かせてみてください。

そして、その人がたまたま脱出できた先の国が、実は脱出元の国と友好関係を構築しようとしていた場合、その人の難民申請は受け入れられるでしょうか。受け入れなければならないというルールはあります(難民条約)。でも、そのルールを破る国もあるわけです。

www.asahi.com

 

話が長くなったので、The Syria Campaignの呼びかけを再掲

いつの間にか難民の話になっちゃいましたが、本題の強制失踪者についての調査機関設置への国際的支持を求めるThe Syria Campaignによる呼びかけのツイートを再掲しておきます。

日本国政府への協力要請に関する声明は、SSJ (Stand with Syria Japan) さんと上記署名の10団体の連名で、次のように出ています。

 

それから、来週土曜日の6月17日、SSJさんによるオンラインイベントがあるそうです。私は残念ながら家の用事でリアルタイムでの視聴はできませんが……。


【2023年6月20日~23日: 追記】

ふと思いついたこと

本稿で扱った署名・請願文の文面を日本語化したのが、6月8日の午後だった。

その2日後、10日(土)には、練馬区豊島園駅近くで「移民・難民フェス」さん「夜のパン屋さん」のコラボイベントが予定されている。

その前日、9日(金)の夕方遅くになって、ふと、「もうひとつ、できることがあるじゃん」と気づいた。

「紙」に落としこんで、ネットの外に持っていく

そっから、まさに「突貫工事」としか言いようのない状態で、請願文の文面を「紙」に落とし込んだ(下記画像参照)。

署名するにはQRコードを使ってThe Syria Campaignのウェブページにアクセスしていただくことが前提となる。なので、アクセス先のどこにどんなことが書いてあり、どこに署名欄があるかといったインストラクション的なことが一番重要な情報で、文面の対訳は二番目、というデザイン方針を決め、アクセス先ページのキャプチャ画像を作ったり、全体のデザインとレイアウトを考えたりし、QRコードも生成して*4、実質1時間で作業した。

あと、ちゃんとした推敲などしている余裕はもちろんなかったのだが、訳稿も流し込むときに目で追いながらどうしても気になったところは触ったので、少し文面が変わっているところもある。

※このPDFファイルは、こちらにアップしてあるので、ご利用になりたい方はご自由にどうぞ。リンクの有効期間は6月20日から7日間です(たぶん26日午後5時くらいまで)。ご利用にあたり、ファイルの改変はしないでください。

QRコードがあるので、裏写りで読み取れなくなることを懸念し、両面印刷ではなく2枚で印刷してホチキス留めするという形にしたが、これが結果的にある意味、仰々しさのある資料っぽい見た目につながった。これは、プラスに作用したと感じている。

イベント主催者さんに配布をご快諾いただいて、会場で来場者に手渡しする

取り急ぎ、これを200部印刷して、半分くらいホチキス留めしたところで、6月10日の「移民・難民フェス」の会場へと赴いた。現地に着いて、お買い物をする前にいきなり、「フェス」のスタッフさんに「かくかくしかじかでこういうものを作ってきたのだが、来場者に配ってもよいか」とお伺いし、そこで「夜のパン屋さんに聞いて許可を得てほしい」とのことだったのでパン屋さんにお伺いし、そして快諾していただけて、来場者のみなさんや、ブースのスタッフのみなさんにも手渡しした。途中で、会場に置かれていたベンチをお借りしてさらにホチキス留めの作業をして、最終的には全部で140部ほどを人々に受け取ってもらうことができた。

その次の週末、18日(日)にも、「移民・難民フェス」さんが、今度は高円寺の北中通商店街の「夜市」に出張されるというので、60部ほどを持っていった。

18日の高円寺では、午後5時半から7時の予定で、北口駅前で「ヘイトスピーチと闘う国際デー」のイベント(「杉並から差別をなくす会」主催)が行われており、北中通りで印刷物を受け取ってくださった方のおひとりが「駅前でも配りますよ」とおっしゃってくださったので、お言葉に甘えていくらか託して、少ししてから私も駅前に赴いて(駅前に着いたと同時にミョーさんのスピーチが始まったくらいのタイミング)、印刷物配りは私が引き継いだ(ご協力ありがとうございました!)。

2度の週末を経て、印刷したものはすべて手元を離れた

そして、思いつきで印刷物を作ってから2度の週末を過ごし、印刷してホチキス留めした200部は、全部私の手元から去っていった(ちょっといろいろあって頭がボケているので、自分の分を取っておくのを忘れた)。試し印刷の分も全部ホチキス留めしたので正確には203部か204部はあったかもしれない。

※書きかけ。ちょっと用があるので数時間後に書き足します。→以下、いろいろと疲れが出てしまい、すごく時間がかかってしまって、20日のうちに書き足すつもりが、23日になりました。ごめんなさい。

気づいたこと

上記のような次第で、2度にわたり、およそ200部の簡易的印刷物を自分の手で「シリアの強制失踪被害者のための署名のお願いです」と言いながら人々に手渡すということをやって、気づいたことや考えたことがある。

「紙」という実体のある物体について

まず、紙という手に取れる物体について。これは書き出すときりがないし、特に結論がある話でもないので、ここでは割愛しようと思う。自分はネットが世の中で使われるようになる前は、紙を使って、ネット時代の個人サイトやブログのようなことをやっていたし、ゲリラ的にフリーペーパーも作っていたので(その一部はBorisの30周年記念展示にも出ていた)、紙のそういった特性についてはまるで知らないわけではない。

受け取ってくれた人たちについて

その紙を受け取ってくれた人たちは、年齢も性別も、いわゆる「人種」も(難民フェスの会場にいた人々に、私はだれかれ構わずという原則で配って歩いた)、国籍もさまざまで、そしてだれひとりとして、受け取ってちらりと見ただけでそのまま地面に落としていくようなことはしなかった(そういう目にあうことは、紙を介したことをやっていれば、慣れっこになるくらいよくあることである)。

一番多かった反応は、最も目立つように配置した文字をゆっくりとしたペースで追って、続いて下の方に目を走らせて、「あとでゆっくり読みます」という態度で、あるいはそう言葉にして、受け取った紙を手にして、あるいは手に持っているバッグに入れて歩いていく、というものだった。

ネットでの署名だということがわかると「必ずやりますね」「周りにも広めます」と言ってくださる方もいらして、勇気づけられた。

「あなたは何かシリアと関係があるんですか」という、いわば疑り深いような質問もいただいたが、私が個人で勝手に訳したものを、The Syria Campaignから肯定的な反応を得たあとで印刷している、という経緯を説明すると、単に感心してもらえた。配っていたのがいかにもDIYなしろもので、資金源を詮索されるような印刷物でなかったことはプラスに作用しただろう(一般的なコピー用紙に白黒印刷にホチキス留め)。

手渡ししながらいただいたご質問について: 「強制失踪」という言葉は、あまり知られていない

また、紙に印刷してあることについて質問をくださった方も少なくない(大半は日本人と思われる方から、数件は在日外国人……というか白人の方から)。答えられる範囲でしか答えられなかったのだが、最も多かったのが「強制失踪とは何か」という質問。これが10件くらい。それと、配った場所が、ミャンマースリランカをはじめとするアジアや、アフリカ諸国とつながりのある人々が多い場所だったことも影響していると思うが、「シリアとは」という質問も数件あった(これはちょっと辛かったんですが、2011年からもう12年も経過していることを思えば仕方がないかと)。

国際ニュースは、日本のニュースでやっていないと、日本では知られない

「強制失踪」と呼ばれるのはどんなことかを説明すると、「そりゃ、逃げ出して難民にもなりますよね、生きていけないじゃないですか、そんなところでは」と憤った反応をくださる人もいた。ちょうど、練馬・早宮のイベントから杉並・高円寺のイベントまでの間に、ギリシャ沖での移民船の転覆という痛ましい悲劇が発生していたのだが、この移民船にはシリアを脱出した難民も大勢乗っていたことを説明すると、「それは知りませんでした。日本のニュースでやっていないので」と、目を丸くして言ってくださる方もいらした。私がこういうことを考えているのは、その文脈があってのことでもある(それ以前に、「日本語の報道だけ見てても日本のことしかわからない」という状態は、もうずっと前から何とかすべきと思ってて、それでこのブログなどもやってきたのだが)。

シリアの民主化要求運動が政権による武力弾圧を経て内戦になってから、12年が経った、という現実

「強制失踪」についての質問のあとで、こちらから説明する前に、「誰がやっているのか」という質問を発してくれるくらいに関心を持ってくださった方もいらしたし、「武装集団ですか」という確認がなされることもあった(シリアの武装集団といえばイスイス団だが、「イスラム国」という組織名は、「言われてみれば、そういう集団がいましたね」くらいの反応を引き起こすに過ぎなくなっていた。それも無理のないことで、あの連中がイラクのモスルを制圧して「建国」を宣言し、シリアのラッカを制圧して一方的に首都としたのは2014年夏、もう9年も前のことである)。一方で、「強制失踪」の加害者が政府であると考えられるケースが大半であるという説明は、どうもピンと来づらいようで、私は説明できるほどはっきりとは事態を把握していないミャンマーを引き合いに出さざるを得なかった(ミャンマーならここにいる人たちも話は聞いているだろうと思える場だったので)。

シリアについては、シリアの人々の書いた本や作った映画がかなり多く日本語でも紹介されているし、日本人ジャーナリストの本もいくつか出たし、英語圏のジャーナリストによるルポルタージュやノンフィクションの本もかなり翻訳されているのだが(本稿末尾参照)、それでも、全体的に、シリアが今、どういうふうになっているかを具体的にイメージできているような反応は、印刷物を受け取ってくださった方々からはとても少なく、「国名は聞いたことがある」といった反応から「難民が大勢出ていて大変ですよね」といった反応が多かった。日本語圏のマスコミ用語でいう「(記憶の)風化」が起きているのだろう。シリアで落命した日本人ジャーナリスト、後藤健二さんや山本美香さんの名前は誰からも出なかったし、私も出さなかった。

あと、ネット上の日本語圏で行き渡っているように見える陰謀論思考(アサド政権の正当化)には、2度の週末を過ごした東京の実際の街では、私にわかるような形では出くわさなかった*5

ネットの外、現実の世界に持っていくということについて

いずれにせよ、紙に乗せてネットの外に持ち出すことの意義はあったと思う。私のような凡庸なおばちゃんが単独で「翻訳ゲリラ」活動をし、そういう印刷物を作って配っていることは、ちょうど入管法改悪(立法事実もぐだぐだで、国会が立法府の体をなしていないことを露呈させ、入管がどんだけひどいことをしているかを暴露しためちゃくちゃなプロセス)という大きな動きの中で、日本各地の街角で、プラカードなどを持って人々が自発的に立つことは何も特異なことではないのだと少しずつ理解されてきている中で、実際に接した人々にとって「大河の一滴」くらいの意味はあったのではないかと思っている。「そういう人がいたな」「そういう紙をもらったな」という程度でも。

文章があまりうまく書けない。

ともあれ、こうやって、ネットを離れて街に出る装備を整えて街に出たところで、ただネットに置いておくことで届くのとは異なる範囲にもリーチできたことの意味は、いまだ自分にも見えていないことも含めて、いろいろあったのではないかと思う。

練馬で、また杉並で、難民・移民フェスで買って食べたお菓子や揚げ物の味とともに、また「誰も取り残さない」というスローガンをただの常套句にさせまいと力強い言葉で語る人々が掲げるレインボーフラッグやトランスのピンクと水色のフラッグとともに、「シリアの強制失踪被害者10万人」のことが、だれかの記憶に残ってくれているといいなと思う。

記憶から、始まることがある。

ちなみに、前もどこかで書いたかもしれないが、私とシリアの接点らしい接点は、2003年イラク戦争で荒廃したイラクから脱出を余儀なくされたイラク人の話をネットで読んだときである。多くの人々の脱出先が隣国のヨルダンやシリアだった。そのときに「デリゾール」という地名を覚えた……というか、アルファベットで "Deir ez Zor" などと書く地名をどうカタカナにしたらいいのかを調べた。「ラタキア」など、世界史にも出てくるような地名は、当然、ずっと知っていた。「アレッポ」は、そこらの自然派の店でも売っていた石鹸だ。

それらは存在する。存在するものが見えないとすれば、見ていないからだ。

 

※本稿、6月24日に「目次」を設定しました。

 

【増補版】シリア 戦場からの声

【増補版】シリア 戦場からの声

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*1:私も5日の月曜日には国会議事堂前の集会にひとりでぶらりと出かけていった

*2:壁についているプレートを見ると、フランスかな……。

*3:署名活動などではよくあること。ただし、翻訳されたものの責任の所在を明らかにしておきたいといった事情から、このような「勝手訳」が認められていない組織・団体やケースもあるので、その辺は要注意。

*4:

https://www.the-qrcode-generator.com/ 

*5:ただこれは油断できないことで、例えばLGBTQの権利について歯切れ良い主張をしている人が、2011年~12年当時、民主化運動を弾圧するアサド政権の虚偽の主張をそのままオウム返しにしてネット上で大活躍し、民主化運動への同情・共感と支持が起きそうになると、「でもあれはテロリストですよ」とピンポイントでリプライするなどして阻んでいたことなどもある(英語圏でも、日本語圏でも)。LGBTQの権利を言う人が、シリアの民主化運動は「テロリスト」と断じていたのだ。

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