松井孝志先生のおっしゃる《現実味のcould》の実例が、先週末、今話題の米ニューヨーク市の市長選挙のニュースに乗って流れてきた。火曜日の投票を前にした土曜あたりの*1BBC News記事である。

よく見たら、もうひとつ別の重要構文もこのキャプチャ画面に入っているので、本稿ではその2つを取り上げておこう。
《現実味のcould》の実例
記事見出し:
New Yorkers could pick a political newcomer to run their city - and take on Trump
このcouldが《現実味のcould》だ。「~かもしれない」「~することもありうる」ではなく、「~するのはほぼ確実」くらいの意味合いである。"a political newcomer" つまりゾフラン・マムダニ候補の当選は、ここのところずっと確実視されていた。それ以外の結果が出ることはまずあるまい、というくらいに。
今、個人的に、Twitter/Xを見ていて、ガザ・ジェノサイド以外のニュースは、ガザの人たちが話題にしていること(例えばスーダンのRSFによる虐殺)と、自分が積極的にフォローしている北アイルランド関連しか入ってこないような状態なのだが、米ニューヨーク市の市長選のことは、ガザ・ジェノサイドについて書いているアメリカ人の学者や法律家、ジャーナリスト、独立メディアなども熱心にフォローしてきていたので、この数か月、自然と目に入ってきた。個人的には全然関心がなかったのだが、投票前から「当選確実」と言われている新人のゾフラン・マムダニさんのお父さんが、ガザ・ジェノサイドについて報じたり分析・解説したりしている人々の尊敬を集めるコロンビア大学教授のマフムード・マムダニ(マムダーニ)さんであるということで、私のタイムラインがわーっと盛り上がって以降、毎日何かしらのニュースが流れてくるようになっていた。下記の著書(原題は Good Muslim and Bad Muslim: America, the Cold War, and the Roots of Terror)が特に高く評価されている学者だ。
個人的には、バックグラウンドがないのでマフムード・マムダニ教授のことは名前を聞いてもわからなかったのだが、ゾフランさんのお母さん(教授のパートナー)が映画監督のミーラー・ナーイル(ナイール)だということで、思わず「うひょー」と声が出た。ナーイルは『モンスーン・ウェディング』で初めて知り、ジュンパ・ラヒリの小説を映画化した『その名にちなんで』や、アメリア・イアハートの伝記映画を見ているが、原題 The Reluctant Fundamentalist という映画(邦題は『ミッシング・ポイント』……意味が分からない)がとてもよかった。Fundamentalistというと好き好んで熱狂してわーっとやってる狂信者というイメージがあるが、それを裏切るような原題は、主人公のインテリ青年のことだ。
で、ゾフランさんはかなり前から、ニューヨーク市の有権者を対象とする世論調査で当選確実と見られていた。特に現職の……なんて人だっけ、名前忘れたけど、現職の人が撤退すると表明したあとは、「圧勝」ムードだった。流れてきたときにスルーしてたのを今検索してみているので、私が見たのとは違うが、だいたい次のような数値だった。
Quinnipiac | New York City - Mayor
— BALLOTLINE (@BALLOTLINE) 2025年10月9日
🔵 Zohran Mamdani: 46% (+13)
🔵 Andrew Cuomo: 33%
🔴 Curtis Sliwa: 15%
❓ Unsure: 3%
❓ Other: 3%
Oct 7, 2025 • 1,015 LV • ±3.9%https://t.co/maYUZHaJ11
ゾフラン・マムダニさんはガザ・ジェノサイドについてイスラエルをはっきりと批判する立場で、それゆえイスラエル・ロビー筋などからオンラインで反対キャンペーン(というか「攻撃」に近い)を仕掛けられていたし、Democratic Socialistsの一員ということでレッド・スケアの脅威論をきいきいわめく人々もかなり多かったようだし、現地からは単に汚いデマのビラの報告もあるが(日本でも極めて不真面目な小政党がやってるようなデマ作戦)、対抗が州知事在職中の行為について性犯罪で訴追された政治家と、共和党の人(ガーディアン・エンジェルの創設者)なので、マムダニさんに投票しようと考えている人がそういう選挙キャンペーンで翻意することはまずなかったようだ(投票できる候補がいないなあと考えていた人が、「マムダニだけはダメだ」ということで対抗に投票するきっかけにはなったかもしれないが)。結果は、投票前に言われていたとおり、マムダニさんの当選となった。最終結果はまだ出ていないかもしれないが、BBC Newsのライヴ・ブログにある数値では、91%まで開票が進んだ時点で得票率が50%である。ちなみに今回無所属のクオモ候補が42%で共和党のスリワ候補は7%だ。
mainichi.jp私の場合、Twitter/XよりBlueskyでフォローしてる範囲のアメリカ人界隈(民主党支持で反ジェノサイドの人たち)を見れば盛り上がってるのがわかりそうだが、あいにく風邪気味で頭が痛いのでそういう遊びのエネルギーがない。
《can't do A without doing B》の構文
もうひとつの重要構文はこれである。
写真キャプション:
Zohran Mamdani, the Democratic frontrunner for New York City mayor, can barely walk a few steps without being stopped by supporters
記事の最初の文:
As Zohran Mamdani walked the streets of the Upper East Side for a campaign event to greet early voters, he could barely walk a few steps without being stopped by his supporters.
《can't do A without doing B》の形だ。ただしここでは否定語がnotではなく準否定語のbarelyなので、"can't walk" ではなく "can barely walk" となっている。「歩けない」ではなく、「ろくに歩くこともできない」「まともに歩けない」の意味。
この構文は、「BすることなしにAすることはできない」というのが直訳だが、要するに「Aすれば必ずBする」という意味である。よく参考書に出ている例文では、「祖父が梅の木を大事に育てていたので、梅の花を見ると必ず祖父を思い出すのです」みたいなストーリーが設定されていることが多いが、そういうロマンチックな例だけでなく、「ガストに行くと必ずガトーショコラを注文する」みたいなことにも使える。
というわけで、上記の文意は「支持者に呼び止められることなしには、ほんの数歩くらいしか進めない状態である」「数歩歩くうちに必ず支持者に呼び止められる」といったことだ。
なお、写真キャプションがcanと現在形で、記事本文ではcouldという過去形になっている。これは単純な《時制の一致》で、このcouldは最初に見た《現実味のcould》とは違う用例である。
写真キャプションが現在形なのは、英語報道のお約束である。例えば下記の写真は1996年に撮影されたものだが、キャプションは "they leave", "Standing in the background is..." と現在形である。

※画像はボカシ加工を加えてある。
このネタニヤフが、現在は「パレスチナ」の存在を否定・否認し、その否認を現実にすべく、ガザ・ジェノサイドと西岸地区の強制併合を実行している。というか、あのネタニヤフにこんな時期があったことを、90年代の中東和平プロセスについて無関心だったけど今になってパレスチナに関心を持ったという人や、このころまだ生まれていなかったか物心ついていなかったか、あるいは関心を持つにしても年齢が若すぎた人は、多分知らないだろう。となるとこれは「衝撃写真」かもしれない。今書いたこの「かもしれない」は、私の心情的には《現実味のcould》を使って表したいところだ。This picture could be... って。


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