Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

英語版ウィキペディアを見る(ブリストルの奴隷商人)

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今回も、前回と同じく、2020年6月7日にブリストルで人々によって引き倒された銅像をめぐり、英語版ウィキペディアを見てみよう。ブリストルという都市についての文脈などは前々回書いてあるので、そちらをご参照のほど。

引き倒されたのは、今からほぼぴったり300年前に没した奴隷商人、エドワード・コルストンの銅像だった。ブリストルの街の中心部にあるちょっとした広場に立っていた。コルストンは存命中に、ブリストルの街に大きな足跡を残していた。確かに商人として扱っていたのは奴隷だけではなかったかもしれないが、人身売買など現代の倫理観では到底受け入れられないようなことをして成した財を、彼はブリストルの学校や救貧院、病院、教会などに寄付した*1。今とは選挙制度も全然違う時代だが、彼は保守党所属の国会議員でもあり、彼の支援活動の先は自分と同じ党派・宗教上の宗派に限られていたという。そのような来歴を持つ学校や機関などが、現在でも存続し、活動を続けている。

そういう人物について、どう「語る」べきかというのは、一筋縄ではいかない。ウィキペディアはいつでもだれでもどこからでも情報の書き換えができるもので、コルストンについてのエントリもどんどん書き換えられているのだが、その記述の変遷は、「語り」のありようを如実に示している。

 

前回、つまり昨日見た段階で、エドワード・コルストンについての英語版ウィキペディアの書き出しはこうだった。ちなみに右上の鍵マークは「半保護」を示す。これはウィキペディアにアカウントを持っている人がログインしないと編集できないということで、編集が激しすぎる、いわゆる「編集合戦」の状態になった場合に導入されることが多い。これをやると、ログインしない「通りすがり」の人が荒らしたり書き捨てをしたりすることができなくなり、少なくとも「荒らし(記事の破壊的な編集) vandalism」は防げる。 

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https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Colston

それが今日は、次のようになっている。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Colston

書き出しの記述を見比べてみよう。個別の版ごとのURLは、前回説明したように、"View history" から個別の編集を参照して取得している。

前回(昨日)はこうだった。

Edward Colston (2 November 1636 – 11 October 1721) was an English merchant and a Tory Member of Parliament. Heavily involved in the slave trade, he later came to be regarded as a philanthropist as a result of donating money to charitable causes which supported those who shared his political and religious views, especially in his native city of Bristol. Since the late twentieth century he has been a controversial figure in Bristol's history, his image tarnished by his membership of the governing body of the Royal African Company, which made its profits from trading in enslaved Africans.

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&oldid=961721301

 

それが今回(今日)はこうだ。

Edward Colston (2 November 1636 – 11 October 1721) was an English merchant and Tory Member of Parliament. In later life he donated money to charitable causes mainly in his native city of Bristol. He has become a controversial figure because of his involvement in the Atlantic slave trade.

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&oldid=961912800

"controversial" の一言を入れることで、ずいぶんとスッキリしてしまった。

controversialは、英和辞典を引くと「論争の」「論争上の」といった語義が筆頭に挙げられていることもあるのだが(例えば小学館のプログレッシブ英和中辞典がそうなっている)、その意味で使われているのを私は見たことがない。日常的に見るのは、同じくプログレッシブの語義を引けば、「異論のある[多い],容易に認められない」の意味。と説明しても「異論」という日本語の意味を知らない人も少なくない。「異論」とは端的に言えば「反対意見、否定的意見」のことだ。「賛否両論」の「否」のほう。そして、ある物事や人物がcontroversialであるという場合、その物事や人物について否定的な意見も多い、ということになる。

注意しなければならないのは、完全に否定的な評価しか受けないようなものは、「賛否両論」の「賛」もないということで、controversialと呼ばれるようなものにはならない、ということだ。例えば、ホテルオークラ東京の本館建て替えは、積極的に賛成するまで行かなくても「必要があって行われるのだ」ということで納得していた人が多くいた中で、「建築物としての価値から取り壊しに反対する」という異論が多く出されたので、建て替え案はcontroversial planと呼ばれた。一方でこれが誰も賛成しないようなもの(例えば「都庁を取り壊して木造建築に建て替えろ」とか)だったならば、単に「荒唐無稽」「奇矯」などと位置付けられ、controversialと扱われることもなかろう。つまりcontroversialとは「(否もあるが)賛もある」ということを言うわけで(ただし「否」のほうに重点が置かれる)、読み方には注意が必要な語である。

さて、では次に、この間、どれだけの編集がなされたのかを、View historyのページで確認してみよう。

 このページを見るとずらりと版が並んでいるが、版ごとのURLの最後の番号は連番になっているので、前回(昨日)参照した版の最後にあった "961721301" という番号が出てくるまで下へ下へと目視で確認すればよい*2

と見ていくと、かな~~り下の方にあった。数えたら(執筆時点で)34件下にある。

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https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&action=history

なお、ウィキペディアの時刻表示はUTCなので、この "961721301" の版が投稿された 01:37, 10 June 2020 は、日本時間では6月10日の10:37ということになる(UTCに+9時間すれば日本時間になる。ちなみに英国で使うGMTUTCと置換可能である)。

そして、現時点で最新の版、"961912800" は02:26, 11 June 2020に投稿されているので、およそ25時間の間に34回も書き換えられているということになる。その書き換えの根拠は、書き換えたウィキペディアンそれぞれが簡単にメモっているので、それを見ていくとたどることができる。

版ごとの違い(どこをどう書き換えたか)の確認も簡単にできる。まず、過去の版と現在の最新の版との比較は、その版の左側にあるカッコ内に入っている "cur" (currentの略) をクリックすればできる。

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https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&diff=961912800&oldid=961721301

 

一方、ある版と任意の版との比較は、各版の左側についているラジオボタン(選択できるようになっているボタン)を選択することでおこなう。ここでは前回(昨日)参照した "961721301" の版と、その次の版を比較してみよう。

まず、これら2つの版のラジオボタンを選択し、ページ下部(または上部)にある "Compare selected revisions" のボタンを押す。

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すると、前回のエントリで文法解説したところが、次の編集でいきなりまるっと書き換えられていることが確認できる。

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https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&type=revision&diff=961752839&oldid=961721301

だが、ここで書き替えられた部分は、 "961721301" の投稿者のDbdbさんによる ’removed "at one time" - unnecessary, vague and unreferenced.’ という編集内容の説明から判断して、Dbdbさんのこの編集の前からあった記述だ。

そこで、Dbdbさんの版のところに表示されている "Previous edit" のリンクをクリックして、さらに前の版を参照する。

f:id:nofrills:20200611161631p:plain

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&type=revision&diff=961752839&oldid=961721301

f:id:nofrills:20200611161745p:plain

https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&diff=prev&oldid=961721301

ここまでさかのぼっても、前回のエントリで文法解説した "Heavily involved in the slave trade, he later came to be regarded as a philanthropist as a result of donating money to charitable causes ..." という記述がいつ出てきたのかは確認できないが、こうやって "Previous edit" のリンクを次々と見ていけば、いつかは行き当たるだろう。

……と、次々と見ていくと、ついにその記述の初出を見つけることができた。

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https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Edward_Colston&diff=prev&oldid=961650988

これはMichael F 1967さんの16:42, 9 June 2020時点の編集であった記述(黄色)が、Debさんによる17:37, 9 June 2020の編集(青)で大きく書き直されたということを示している。Debさんは自身の編集について、"update intro and hopefully improve wording" (導入部をアップデートしました。言葉の選び方も前よりよくなってると思います)と説明している。

 

エドワード・コルストンについてのウィキペディアのエントリの更新は、まだまだ 続くだろう。英国ではブリストルでこの奴隷商人の像が引き倒されて以降、次々と(「人道」などという概念がなかったか、今のそれとはかけ離れていた)過去の非人道行為について「少なくとも公然と顕彰するのをやめよう」という動きがみられるようになっている。オックスフォード大学のコレッジのひとつの建物の上の方に置かれているセシル・ローズの像を撤去せよという学生たちの呼びかけが再燃したり(何年か前にそういう声がまとめられたが、大学側は「撤去の必要なし」と結論していた)、19世紀末の政治家で今も「名宰相」と見なされているウィリアム・グラッドストンの名前を冠したリヴァプール大学の施設が、グラッドストンが若かりし頃(アメリカの南北戦争のころ)に奴隷制を支持していたこと、グラッドストン家がカリブ海に持っていた砂糖プランテーションで奴隷を働かせていたことを理由として、改名されることになったりしている。

www.bbc.com

 

同じタイミングで起きている新型コロナウイルスの蔓延にともなう変化もそうなんだけど(うちのあたりは、コンビニやドラッグストアに買い物に来てる人はマスクなしが増えてきたけど、電車を利用している人たちはこの暑さの中で顔面を半分覆うマスクを着けている。私も外出時は夜中でも早朝でもマスクは欠かさない)、今回のこの変化は世の中のあり方をすっかり変えてしまうようなものだ。もう、元の世界には戻らない。そしてそれは、私には、「明るい未来」を約束するようには見えていない。Twitterで人々の個人的な発言を見る限り、あのグラッドストンまでもが、たぶんかなりあっさりと、このような歴史修正の中に巻き込まれたことで、疑問を感じている人々はかなりいるし、恐怖や脅威さえ感じている人々もいる。そういうときにdriving forceとなりうるのは、北アイルランドでおなじみの「包囲の審理 siege mentality」だ。自分たちは取り囲まれて攻撃されている、自分たちは被害者だ、という認識だ。しかも今は、ウイルス対策のため、人と人が顔を合わせて話をすることではなく、ただでさえ言葉が先鋭化しやすいオンラインでの(多くの場合文字だけの)コミュニケーションで意見を固めてしまうことが常態化している。

2016年のレファレンダム以降、英国の精神風土はそれまでとはかなり違ったものになってきていることが感じられる。「あれかこれか」の二元論をとることは以前はまれだったのに、今は全然まれではなくなっている。政治家もメディアも、人々を「賛成派」と「反対派」に二分して扱うことを、徐々にその分断の度合いを強めながら、率先して行ってきた。ジョンソンの保守党からは、ジョンソンの考え方とは対立する考え方を抱いた政治家たちは追放された(片隅に追いやられて冷や飯を食わされて……といったことではなく、本当に党籍を失うことになった)。

そういう中で、「グラッドストンまで奴隷商人呼ばわりかよ」という単純化された認識と、「(私たちの)歴史に手を出すな」という怒りが広がっていることに、とても重苦しいものを感じている。

(そういうときはTwitterを見ずにしばらく過ごしてみることが必要だ。自分で自分を先鋭化させないためにも。)

*1:ブリストルのほかにも彼の資金が学校などの支援に使われた都市はあるが、主にブリストルだった。

*2:データの量が大量ならview sourceでCtrl + Fが早いのだが、この程度のことなら目視の方が早い。

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