Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

エリザベス女王の葬儀との安易な比較もいいけれど、参列者についての記事を読んでみるのもいいのではないか・序(「弔問外交」が連呼される安倍氏国葬の日に)

今回は、英文法の実例というより英語記事の探し方について。

今日2022年9月27日は、7月に殺害され、その数日後には東京タワーの足元にある増上寺という立派なお寺でお葬式が行われた安倍元首相の「国葬」と称する行事が、九段下の日本武道館で行われた。私は丸一日、音声を伴うメディアをシャットアウトして、開いている時間はほぼずっと読書して過ごしたので、それが日本国内外のテレビやラジオのようなメディアでどのように報じられたのかはさっぱりわからないが、Twitterではやはりその話ががんがん流れてくる。中にはいろんなレベルで何かとついていけない話もある。

こういった指摘のほかに多かったのが、英国のエリザベス女王の葬儀との比較の発言である。それも見た目の壮麗さなどの比較ではなく(その点では、日本が日本式の、それこそ天皇の即位の儀のようなものをやるのでない限り、かなうわけがない)、予算の比較だ。BBCが記事にしていたことも大きく作用しているだろう。

私自身は、費用の比較はあまり意味がないと思っている。第一に、こういう比較は日本では日本円に換算して行われるが、為替相場によってどうとでもなってしまうから。それと、英国の王室は自分たちの財産を持っているし、自分たちの不動産物件を会場に葬儀を行っているわけで、安倍氏の所謂「国葬」とは条件が違いすぎている。

それでもなお、この「国葬」とやらにこんなにカネかけてどうするんだろう、というのは、ある。

その点について、「国葬」とやらの支持者からは「弔問外交」という疑似的な四字熟語が、呪文のように唱えられる。この疑似的四字熟語が呪文化したのは、中曽根元総理が死去して1年近くたってから行われた壮麗な「国葬」もどきのときだったと思うが、そのときも、「そんなん、国費使ってやるなよ」という批判に対して「弔問外交というものがあるのを知らないのですか」という、謎の上から目線の反論が起きたものだった。

死去したときに90代で、同時代の国外の政治家たちの多く(ロナルド・レーガンマーガレット・サッチャーなど)はすでに亡いような昔の政治家の、死去から1年も経過してから行われる「葬儀」にくる人々の間で、どんな「外交」が行われうるというのだろう。

そもそも「葬儀」と呼ぶのが変だ。初七日どころか四十九日も過ぎてから行われるものは仏教ならガチの「法要」、宗教色を取り除くのなら「追悼式典」である。ワシントン・ポストTwitterフィードはそこを正確に伝えていた。

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日記・手紙文のスタイル, 感情の原因・理由を表すto不定詞, 感覚動詞+O+動詞の原形, the last person ~ is ..., など(カラオケ状態だったイアン・ブラウンの公演)

今回の実例は、Twitterから。深刻な話題もたくさんあるのだが、もういっぱいいっぱいなので軽めの話題で。

夕方、音楽ニュースサイトの記事のフィードが流れてきた。

amass.jp

イアン・ブラウンって誰それ」という人も多いかと思う。今から30年くらい前に英国マンチェスターから出てきて大物になったバンド、The Stone Rosesのヴォーカリストだ。このバンドの曲が持っていた意味については、ブレイディみかこさんが書いたたくさんの文章の中にとても優れたものがあるのだが、どの本だったかを覚えていないので、その点、わかったら追記したい。個人的には、The Stone Rosesといえばベースとドラムとギターがかっこいいバンド、という印象で、ヴォーカルはカリスマ性はあるんだろうがなあ……という感じだった。ライヴを見たことがある人は口々に "He can't sing" (歌唱力はない)と言っていたが、当時のあの辺のシーンではどのバンドであれ歌唱力が特に大きな問題になっていたことはなかったと思う。


www.youtube.com

そのイアン・ブラウン、バンドが終わったあとはソロ・アーティストになっているのだが、これがまた微妙な評判で、個人的には特に関心を払ったこともない。

だから、Ian Brownという名前が私の見ているTwitterのTrendsのところに出てきたときも、特に関心を向けなかった。強いて言えば、最近彼の名前を見るのは、新型コロナウイルスに関するワクチン反対論・陰謀論の文脈なので(現在のイアン・ブラウンはその界隈のインフルエンサーみたいな存在であるらしい)、名前を見たらそっ閉じするようになっている。

だが、今回のTrendsはなかなか笑える文脈だった。上記のAmass記事にあるように、「10年ぶりのソロ・ツアー」とファンの期待をあおるだけあおっておいて、実際にはバックバンドなしで、録音されたバックの演奏に合わせて、イアンのすばらしい歌唱が披露される、というものだったという。彼のようなアーティストの場合、公演チケットを買う人の多くの目当ては本人の歌というよりむしろバックバンドのメンツと演奏だったりもするので(「ギターは誰かな……」というワクワク感もセットで)、ステージにはバンドがいなくてイアンのひとりカラオケ・オン・ステージだったということで話題が沸騰してしまったわけだ。

そのあたり、いろいろと遠慮なく辛辣になるのがかの地の常なので、Twitterではどうなってるのかなあと思って、遅まきながらチェックしてみたところ、意外にも英文法的な掘り出し物を見つけて帰ってきたわけだ。

ありがとう、イアン。

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【再掲】倒置, of + 抽象名詞, 接触節, 過去分詞の後置修飾 (スーパーリーグに対する日本のファンの反応を伝える英語ツイート)

このエントリは、2021年4月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例は、Twitterから。

いきなり「12クラブが署名しましたよ。ファンのみなさん、楽しみが増えてよかったですね」って話になってて、実際の現場の責任者であるチームの監督たちが「いや、そんな話、全然聞いてなかったっすね」「報道で知りました」と反応し、一般のサポーターから往年の名選手たち、さらにサッカーになど関心がないやんごとなき階級のボリス・ジョンソン首相までが一丸となって明確に反対の意思を示したことで、例の「欧州スーパーリーグ」は秒殺されたようだが(イングランドの6クラブが全部抜けてしまったし、ドイツのブンデスリーガの某強豪をはじめとする未参加のクラブがいくつも参加しないと言明しているので、リーグとして成立しない)、レアル・マドリのペレス氏は「なあにまだまだ終わらんよ」と意気軒高なようだし、実際、オーナーたちにああいう発想を持つに至らせた原因というか環境は何も「解決」されていないので(UEFAUEFAである)、いずれまたゾンビのようによみがえってくるのかもしれない。

というわけで、各クラブも声明を出したし、いくつかは解釈の余地のないほど率直に「ごめんなさい」しているし、ひとまずは一件落着の感じだが、「これで終わった」と考えるのも楽観的過ぎるかな、というところだろう。

さて、この騒動がピークにあったころ、「スーパーリーグ」の12クラブのうち半数の6クラブを出してしまったイングランドでは、「パンデミックによる収入減をカバーしなければならないビッグクラブは、自分たちのポテンシャルを最大限に引き出して挽回する必要があり、そのために、世界中に名の知れたビッグクラブ同士の対決が頻繁に楽しめるスーパーリーグならば、世界各国に放映権が売れて、何もかもうまくいく」的な絵に描いた餅が喧伝され、ほとんど誰も聞く耳など持っていなかったかもしれないが、「欧州の外のサッカーファンは、とにかくレアルとユーベとシティを見たがっている」的な雑な話になっていたようだ。

そういう雑な話が「常識」みたいになってしまうのを防ぐためには、SNSという、個人の発言で構成される場はとても有効で、何か意見があればとにかく書いておくだけでも少しは違ってくるだろう。

今回の実例は、日本でのそういった個人の声に直接、言語障壁なしに接することができるスポーツライターベン・メイブリーさんのツイートから。ベンさんは英国出身で、大学で日本文化を研究し、大阪府に住んでスポーツ番組でコメンテーター・解説者として活躍している。Twitterは必要に応じて日本語と英語の2言語で書かれているが、今回みるのは英語での文面(そりゃそうだ、このブログで日本語の文面を取り上げることはブログのコンセプトから外れてしまうのだし)。

このツイートの宛先(メンション先)は、英(イングランド)のガーディアンの記者である(ベンさんはガーディアンにも寄稿している)。 文法の実例として見るのは、最初の呼びかけのあとの第一文。

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【再掲】同格のthat, 未来完了 (米軍が撤退したら、アフガニスタンは)

このエントリは、2021年4月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例も、前回見たのと同じ解説記事から。

2001年9月11日の「同時多発テロ」を受けて、「ネオ・コンサーヴァティヴ(ネオコン neo-con)」と位置付けられる政治家たちが中心的存在だった米国のブッシュ政権が開始した「テロとの戦い war on terror」を、米国最大の同盟国である英国の公共放送BBCの安全保障(つまり軍事)担当記者として、非常に近いところから、またそのただ中から取材して伝えてきた元英軍人のフランク・ガードナー記者が、20年目の米軍撤退という発表を受けて書いた記事である。
記事はこちら: 

www.bbc.com

前回は記事の中ほどのところを見たが、今回はさらにその先の箇所から。

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英語の文章の論理構造と日本語の抄訳の問題, 故人について書くときの過去形(エリザベス女王の死去とロイヤル・ワラント: 御用達マーク)

今日は休日なので、本来過去記事を再掲するのだが、今週は前半で再掲のストックが切れてしまっているのもあって、軽く書くことにした。

というかTwitterで連ツイしようと思って書き始めたのだが、連ツイよりブログの方が書きやすいと気づいた。

さて、今日、次のような記事を見かけた。フランスのAFPの記事を日本語化(多くは抄訳)して紹介しているAFP BBの記事である。

www.afpbb.com

この記事に次のような一節がある。

 ……世間の目から見て英女王との結びつきがそれほど強くないブランドにとって、王室御用達は「何よりもノウハウと伝統が認められること」を意味するとAFPに語った。

ここが、ぱっと見て十分に意味が取れなかった。そういうときの定石で原文を探して参照した。

原文記事の検索は、まず "Dubonnet" で検索してみたがそれでは当然役立たずで、次に "Dubonnet Queen" で検索するも、これも「女王お気に入りのカクテルのレシピ」などがずらずらと表示されてしまう。

その後、さらに1つ足して "Dubonnet Queen AFP" とすることで今回は探しものが見つかった(が、これでも検索結果が多すぎたら日本語記事内にある固有名詞などを併用して検索することになる)。

見つかった原文は下記: 

www.france24.com

この英文をぱっとと見てわかったのだが、上で見たAFP BBの日本語記事はこの英語記事の抄訳で、原文にある《A. However, B. But C》の論理構造のうち《However, B》の部分を省いて訳出されているようだ(これ自体は抄訳の平凡なやり方かもしれない)。だから、元々文脈という点でわかりにくくなっている。

この場合、《A》が故人がいつも持ち歩いていたハンドバッグのメーカー、《However, B》は故人の御用達でもあったがチャールズ皇太子(当時)の御用達でもあるレインウエアのメーカーで、《But C》が故人が愛好したアルコール飲料のメーカー、という構造。

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現在分詞を使った表現, パンクチュエーション, 時制の一致, あえて時制の一致を無視した記述(アイルランド島の政治家たちと英女王の葬儀)

今回は、前回の続きで、英国のエリザベス女王の葬儀にアイルランド島から参列した人々についてのベルファストテレグラフの記事から。前置きは前回のエントリを参照。

記事はこちら: 

www.belfasttelegraph.co.uk

前回は書き出しのパラグラフを読んだので、今回はその後を読んでいこう。

この後の部分は、実務的な文章にありがちなパターンで、長く見えるけれど実は単なる羅列であって構造を取るのは難しくない、という形である。

https://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/queens-funeral-the-guests-from-northern-ireland-who-will-attend-41998243.html

US President Joe Biden, New Zealand Prime Minister Jacinda Ardern and her Canadian and Australian counterparts, Justin Trudeau and Anthony Albanese, will attend. So too the leaders of most Commonwealth countries.  

High-profile guests from Northern Ireland will also be present, ranging from political and religious leaders to local recipients of the Queen’s Birthday Honours.

ここで注目しておきたいのは、「出席する」を意味する2つの表現だ。太字で示した "attend" と "be present" である。これら2つの表現は相互に置き換え可能である。ここでは自動詞の用法で、他動詞的に「~に出席する」と言いたい場合、attendは他動詞でも使えるのでそのままでよいが、be presentの方は前置詞が必要となる。次のように。

  I attended the meeting. 

  I was present at the meeting. 

  (そのミーティングには出席しましたよ)

ときどき混同されるのだが、これに似た意味のtake part in ~という表現は、これらの表現とは少しニュアンスが異なる。take part in ~は、文字通り、自分のpart (役割) がある場合にしか使えないので、葬儀に参列するようなときには使わない。ミーティングへの出席なら使う。こういったことを考えずにやみくもに「意味(に見えるもの)」だけを暗記しても、「使える英語」にはならない。

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《比較》の表現, 分詞の後置修飾, 文頭のAnd, など(エリザベス女王の葬儀にアイルランドから誰が参列したか)

今回の実例は、報道記事から。

日本でも大きな、というかものすごく大きなニュースと扱われた英国のエリザベス2世の葬儀が、19日の月曜日に行われた。私はBBCのウェブストリームで、ウエストミンスター・アベイでのfuneral serviceから、軍人たちが棺を曳いてウエストミンスター・パレス前(国会議事堂)からホワイトホール、ザ・マルを経てバッキンガム宮殿へという、観光客にもお馴染みのルートを通ってグリーン・パークの中を進み、同パークの西の端にあるウエリントン・アーチ(ナポレオン戦争後の凱旋門で、バッキンガム宮殿の入り口でもある)で、故人自らデザインの考案に参加したという特製の霊柩車(中に載っている棺が沿道からよく見えるよう工夫されている)に乗り換えて、ウィンザー城に向かうところまでは見ていた。そのあとは見ていない。儀式としてはウィンザー城内の礼拝堂での、故人のこの世との別れの儀式のほうが、ウエストミンスター・アベイでの儀式よりもさらに重要だったかもしれないが、もうあれこれと限界という気分だった。ちなみに私個人は君主制維持を主張する側よりも共和主義者の方に共感を抱いている。それでも同じ時間を共有したくてわざわざウェブストリームで何時間も見ていたのは、ひとつには惰性であり(こう見えても「イギリス好き」なので)、もうひとつには、これが「帝国」の終わり、落日の最も美しい瞬間になるかもしれないという気が強くしていたからである。

日本の報道やコメンタリーの類はほとんど見ていないのだが、それでも目にしたものの中には、ウエストミンスター・アベイでの葬儀の参列者の席次をめぐって書かれたゴシップ風味の記事に「米国は英国とは『特別な関係』にあるというが、米大統領の席は後ろの方だった」みたいな記述があった。

英米のいわゆる「特別な関係」は政治や軍事同盟的な点について言うことであり、国家元首の葬儀での席次のような場合には当てはまらない。

ていうか、その記事、「英連邦が重視されたので、米国よりもカナダが前だった」みたいなことを書いてあったのだが、書いた人や編集が「英連邦とは何か」をよく知らないのだろう。あるいは知っててあえて「アメリカ中心主義」を取っているのかもしれないが。

カナダもオーストラリアもニュージーランドも、バハマやジャマイカのようなカリブ海諸国も、ナイジェリアや南アのようなアフリカ諸国も、英連邦(コモンウェルス)加盟国にとって、今回の葬儀は、自国の国家元首の葬儀である。コモンウェルスは「同君連合」だからだ。これらの国々の葬儀での席次が高いのはあたり前だ。

一方で、他の国々が基本的に1人(とそのパートナー)しか招待されなかったときに、2人が招待されるという形で「特別な関係」がはっきり出た国がある。もはや英連邦加盟国ではないが、元英連邦加盟国だったから、というよりは、エリザベス2世個人とのかかわりの深さと、それが持つ歴史的な意味合いの大きさゆえではないかと思う。

Among those attending on behalf of Ireland will be President Michael D Higgins and Taoiseach Micheal Martin. 

This is highly unusual as both the President and the Taoiseach will be out of the country at the same time for an event.

www.irishmirror.ie

ヒギンズ大統領は、大統領に就任してからは所属政党なしだが(選挙で選ばれた者は党派の区別なく、全国民の大統領となる、というのが大原則である)、1968年以降労働党に所属し、長年国会議員を務めてきた政治家である。

そのヒギンズ大統領が、大学時代に数年間所属したのがフィアナ・フォイルアイルランド語の党名を直訳すればアイルランド特有の愛国ロマン主義ばりばりの名称*1だが、英語では「共和党 the Republican Party」である(ただし党名としてこの英語名が使われているのを見たことは私はない)。フィアナ・フォイル(以下「FF」)は、元々ガチガチの共和派である。

*1:「運命の戦士たち」という意味。

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【再掲】《年号+see》の構文, 感覚動詞+O+過去分詞, 比較級 + than + any other ~ (米軍とアフガニスタンでの20年間)

このエントリは、2021年4月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例は、時事的な解説記事から。

先週、米国のバイデン大統領が、今年の9月11日までにアフガニスタンから米軍を撤退させる方針を示した。米国が前政権でタリバンとの「和平」とやらを結んだときには、2021年の5月が撤退期限とされていたのだが、それが少し遅れていて、それでも、2001年9月11日の、日本語圏では「米(アメリカ)同時多発テロ」と呼ばれているあのテロ攻撃から20年となる今年の9月の11日までには撤退させる、ということである。

現在20代前半か、それより若い方にとっては、「2001年9月11日」と言われてもピンとこないだろうが、あの日、いつものように仕事していつものように帰宅していつものようにテレビをつけて、日本でのBSE発生やら(前日に千葉県で疑い例が出ていた)何やらといったトピックを追うために夜のニュースを見ようとしていた私を含む大勢の大人にとっては、一生忘れられない日付となった。

だが、テロ攻撃を受けた米国が、「テロの首謀者をかくまっている」と糾弾し、国際社会(つまり国連、特に安保理)を動かし、その圧倒的軍事力をもって攻撃した国、アフガニスタンでは、おそらく、遠く離れたアメリカで何が起きていたかを、それが起きたその日のうちに知っていた人はごくごくわずかだっただろう。むしろ、アメリカがどこにあるかを知っていた人だってそんなに多くなかったかもしれない。

そして10月8日(日本時間)には、アメリカ(を中心とする連合軍)によるアフガニスタンへの攻撃がニュースになり、それまでだってけっして平穏ではなかったアフガニスタンは、ますます暴力にさらされることになっていた。

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生した。12日、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領はテロとの戦いを宣言した。またこの中で、ターリバーン政権の関与が示唆され、ドナルド・ラムズフェルド国防長官はウサーマ・ビン=ラーディンが容疑者であり、また単独の容疑者ではないと発言した。また同日、第56回国連総会でも米国政府と市民に哀悼と連帯を表して国連も本部を置くニューヨークなどへのテロ攻撃に対して速やかに国際協力すべきとする決議56/1を当時の全加盟国189カ国が全会一致で採択し、国際連合安全保障理事会でも国際連合安全保障理事会決議1368が採択された。

この決議1368は9月11日のテロ攻撃を「国際の平和及び安全に対する脅威」と認め、「テロリズムに対してあらゆる手段を用いて闘う」というものであった。また前段には「個別的又は集団的自衛の固有の権利を認識」という言葉があり、これは同日にNATOが創設以来初めての北大西洋条約第5条の集団防衛条項による集団的自衛権の発動を決定する根拠となった。

……

10月2日、NATOは集団自衛権を発動し、アメリカ合衆国とイギリスを始めとした有志連合諸国は10月7日から空爆を開始した。アメリカ軍は米国本土やクウェート、インド洋のディエゴガルシア島航空母艦から発着する航空機やミサイル巡洋艦を動員して、アフガニスタンに1万2000発の爆弾を投下した。アメリカは軍事目標だけを攻撃していると発表していたが、実際には投下した爆弾の4割は非誘導型爆弾であり民間人に多くの犠牲が出たと言われている。

アフガニスタン紛争 (2001年-2021年) - Wikipedia

それから20年。気が遠くなるようだが、20年。アメリカの「テロとの戦い war on terror」はその間ずっと続いてきた。

その経緯をずっと見てきた人々のひとりが、 BBC Newsで安全保障分野を担当するフランク・ガードナー記者である。1961年生まれで、若いころからアラビア語に親しみ、大学を出たあとは軍人となり、その後金融界に一時身を置いてジャーナリストとなった(いかにも英国のミドルクラスらしい経歴、ウィキペディアを読んでみてほしい)。2001年9月11日以降は「テロとの戦い」を取材し、アフガニスタンでも何度も現地からの報道を行っている。2004年6月にサウジアラビアで銃撃テロにあって下半身が不随となり、以降は車いすを使うようになったのでロンドンのスタジオでの仕事が増えたが、その前は軍隊にエンベッドして最前線を取材してもいた。

そのガードナー記者が、米軍の2021年9月11日までの撤退決定を受けてまとめたのが下記記事である。最後の一文まで読んでほしい。この20年間が何であったのか。

www.bbc.com

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【再掲】定冠詞と不定冠詞, 付帯状況のwithと過去分詞(「欧州スーパーリーグ」)

このエントリは、2021年4月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例は、報道記事から。

英国時間での日曜日、サッカーの「欧州スーパーリーグ」に12のクラブが参加を確定したというニュースが降ってわいて出て、私の見る画面上の英語圏はその話でもちきりという状態である(日本語圏はガースー訪米でもちきり)。それも、見渡す限り、だれも歓迎していない。

下記のガリー・ネヴィル(元マンチェスター・ユナイテッド)の「情けない」という激怒の発言は、クラブの垣根をこえて広くファンの間で肯定的にシェアされているし、報道記事でも多く引用されている。聞き取りは大変かもしれないが(マンチェスター弁なので母音が違う。大まかに言うと「ア」が「オ」になっている。"Enough is enough." は「イノフ・イズ・イノッフ」というように聞こえるはずだ)、聞いてみてほしい。

今回の「欧州スーパーリーグ」とは、上位層のクラブだけで入れ替わりを許さない形で組んで(政治の世界の「G7」みたいなものだ)、その中で観客も放映権も集めてうはうはやっていこうというもの。いわば「選ばれた人しか入れない会員制のクラブ」みたいなものだが、笑ってしまうのはその「上位層のクラブ」が、現在、(残念ながら)全然上位層でなかったりするところだ(上の映像でガリー・ネヴィルが言っている通り)。これらのクラブの共通点は「上位層である」というよりも「オーナーが外国の資本家」だったりということだ。つまり、欧州のいわゆる「フットボールという文化(フットボール・カルチャー)」と離れてきた「ビジネスとしてのフットボール」の運営者たちが、利益の最大化を画策している、と言ってよい。きっと「ビジネスとしては最適解」云々と擁護する人は、うんざりするほどたくさんいるだろう。

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【再掲】《トピック文》と《サポート文》の構造, 倒置 (映画『ノマドランド』と西部劇)

このエントリは、2021年4月にアップしたものの再掲である。

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今回の実例は、映画評の文章から。

現在、日本でも劇場公開(ロードショー)中の映画『ノマドランド』。「ノマド」は定住しない遊牧民を指す言葉で、この映画は家に暮らすということをせず、車に寝泊まりして、収入源を求めてあちらからこちらへと移動して暮らす人々の中に入り込んで、その在り方を描き出すものだ。映画としての評価も極めて高い。先日、ゴールデングローブ賞の作品賞と監督賞もとったし、英アカデミー賞(BAFTA)でも何部門も受賞した。4月の終わりに授賞式が予定される米アカデミー賞(オスカー)でも主要部門でいくつもノミネートされている。監督はクロエ・ジャオ。中国出身で、高校以降は英米で過ごし、現在は米国で活動する女性の映画作家で、長編映画を撮り始めてまだ5年かそこらという、あらゆる点でアメリカのエスタブリッシュメントから離れた人である。原作は、こちらも女性のジャーナリストであるジェシカ・ブルーダーの著作『ノマド: 漂流する高齢労働者たち』(原題はNomadland: Surviving America in the Twenty-First Century)で、原著は2017年、春秋社からの日本語訳は2018年に出ている。 

ノマド 漂流する高齢労働者たち
 

www.youtube.com

私自身は、不要不急の外出を取りやめていたりするので、まだ見ることができていない。移動を自転車にして、他人との接触を最小限に抑えられる形で見に行くことは可能ではあるのだが、そうやって予定していると雨で自転車が使えなかったりしている。

さて、日本でも「場所と時間に縛られないノマドワーカー」なる概念がここ数年で定着しているし、「ノマド」という言葉には何か特別にポジティヴなイメージがあるかもしれないが、以前からある日本語を使えば「放浪者」「根無し草」だ。「どこの馬の骨とも知れない奴」である/になることだ。

たとえ表現が「根無し草」であっても、「放浪」はメインストリームでは、何かこう「男のロマン」的なものとして受け取られてきたわけで、『ノマドランド』も「男たちの物語」であったならば、たぶん今の私は「わざわざ映画館まで行くのもたるいし、配信レンタル待ちでいいや」と思っていただろう。だが、この映画は、原作も女性ジャーナリストなら監督も女性映画作家、主演もフランシス・マクドーマンドという女性の俳優(それもとびきりかっこいい女性の俳優)だ。だから「ああ、これは見に行かないと」と思っているのだが、先日ガーディアンに掲載されていた映画評を読んで、ますますその感を強めている。

というわけで、今回の実例はこちらの記事から。映画評、つまり文芸評論なので、読むのは結構大変かもしれないが(「西部劇」のイメージを知らないと、読んでもさっぱりわからないだろう)、一般紙に掲載されているレベルだから、評論としてはさほど難しくはない。

www.theguardian.com

まず記事の表題からしてハードルが高めだ。

”myth" という語については、当ブログでは何度か取り上げているが、「ギリシャ神話」とか「建国神話」で使う文字通りの「神話」という意味の他に、「事実ではないが、体系的な物語みたいになっているもの」という意味があり*1、日常で "It's a myth." などと言われるのは後者の意味である。この記事の表題にある "It's an utter myth" は「それは完全な神話である」と直訳できるが、つまりは「完全な作り事で、事実とはまったくかけ離れている(が多くの人が信じている)」という意味である。

"the western" は、大文字を使って the Western と書くことも多いのだが、「西部劇」の意味。ここで「西部劇」という言葉すら通じないという現実もあるのだが(もう10年以上前に高校生から「セイブゲキって何ですか?」と聞かれたことがあるのだが、だいたい私の世代でも「西部劇」は何となくぼやっと知ってる程度だろうし、詳しい人はよほどの好事家だろう)、「1860年代後半・南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された」という日本語版ウィキペディアの解説を読んでおくだけでも、何となくのイメージはできるだろう。

今回読むこの映画評は、この映画は「西部劇」という「アメリカの神話」の批判的な変奏である、という主旨のものだ。

*1:日本語でも「安全神話」などという形で使われている「神話」はこの意味である。

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inviteされてacceptされてはじめて出席・参列が可能になる、という当たり前のことを、英語で確認する(エリザベス2世の葬儀に招待すらされていない者は、参列を「見送る」ことはできない)

今日は土曜日なので、普段なら過去記事の再掲をするのだが、今週は、うっかり帰宅が遅くなったという高校生みたいな理由で1日休載してしまったので、その分を掲載することにしたい。

今週、私の目にするモニタ上の世界での最大の話題は、前回述べた通り、英国のエリザベス2世の棺と、来週月曜日に行われる葬儀のことだった。それさえなければきっと、ウクライナウクライナ軍がロシア軍から奪還した地域で発見されたロシアによる蛮行の跡のことや、スウェーデン総選挙で僅差で極右(元ネオナチ政党)と右翼の右派連合が政権を取ることになったことがトップに来ていただろう。英国のニュースでは、政府による経済政策上の新たな決定や、警察が車の運転席にいた黒人青年を、明白な理由もなく射殺したことがもっとずっと大きく取り上げられていただろう。

しかし現実は、どこを見ても棺、棺、棺。#CoffinWatch である。今にも中から生き返ったエリザベスが起き上がって、共和国宣言でもするのか、という勢いで棺、棺、棺。

週の後半になって舞台が死没地のスコットランドからロンドンのウエストミンスターに移ってからは、棺に加えて行列、行列、行列、である。エリザベス2世の棺の前を実際に通って最後のお別れを告げるために並んだ人々の列は長大なもので、最初は「3時間待ち」とテーマパークの人気アトラクション程度だったのがどんどん伸びて、金曜日には「12時間待ち」になり、その列の中にベッカム様がいるというのがニュースになりベッカムだけでなく、テレビ番組のプレゼンターが高齢のお母さんを伴って何時間も並んでいるというのが、政治家たちやほかのセレブが列をかっとばして先に入っていっているというのと同時に、話題になっていた)、土曜日には「24時間待ち」とか言われるようになって、ついにはチャールズ&ウィリアム父子(国王と王太子)がその行列にお見舞いに訪れるとかいう、心底「なんだそれ」と言いたくなることが起きている。そしてそれをまたメディアが仰々しく伝える。

19世紀末に、「芸術のための芸術 art for the art's sake」というのが流行った。「芸術は、何かありがたい教訓を垂れることを目的としてなら存在してもよいのだ」みたいな禁欲的なヴィクトリアンの価値観を「古臭ぇ」と笑い飛ばすような、「芸術は無目的に、ただ芸術のために存在してよいのだ」という、一種の反抗であった。おお、唯美主義。

そのひそみにならったわけではなかろうが、今のこれは「行列のための行列」と揶揄されている。それは、第一義的にはウエストミンスター・ホールに入るための行列に並ぶための、テムズ河畔での行列、ということだが、それがだんだん意味がずれてきたようで、もはや「行列に並ぶという行為そのものが目的になっている」という状態で、「イギリス人に行列を見せるな、並びたがるから」みたいな、文化ステレオタイプ事案になっている。ほんっとに並ぶの好きだよね。並んでいる間は、正々堂々と日常を離れて、思索したり誰か知らない人と会話したりできるからかもしれない。そういえばエリザベス2世の最後の公務での写真を撮った写真家が、「女王様から話しかけられて、少しお話ししました。お天気の話を」と言っていて、そこまでステレオタイプにこだわらなくていいのよという気になってしまったのだが、そういった小さなことに満足を覚えるというあり方は、嫌いじゃないよ。

で、何の話だっけ。

そうそう、その葬儀だが、月曜日にウエストミンスター・アベイで行われる葬送の儀(宗教行事)には、全世界からエリザベス2世を偲んで人が集まる。

といっても、行きたい人なら誰でも行けるわけではない。葬儀の主催者である英王室が招待状を出しているので、招待状を受け取っていない人は最初っから行けない。

つまり、うちら平民の結婚式とかと同じである。いくらお祝いしたくっても縁もゆかりもないスターの結婚式には参列できないのと同じで、いくら偲びたくても招待状も受け取っていないのにエリザベス2世の葬儀には参列できないのである。

日本語圏にいると、岸田首相とその周囲の官僚と、首相に忖度しているのか何なのかわからないが謎の言葉遣いをする新聞などのせいで、そういった基本的なプロトコルが見えなくなっているかもしれない。

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省略, 接触節, など(安置された棺を延々中継し続けるテレビニュースが、 #MournHub と揶揄されている)

今回の実例は、Twitterから。

エリザベス2世の棺は、スコットランドからイングランドに送られ、バッキンガム宮殿で遺族(王族)が私的な別れを告げたのち、バッキンガム宮殿から徒歩で15分程度のところにあるウエストミンスター宮殿 (Westminster Palace: 通常の文脈ではthe Houses of Parliamentとして知られるあの壮麗な建物) に運ばれて、一般国民に開かれた場に安置されている。

そして、安置された棺と、それを守る護衛の兵士たちと、最後の別れを告げるためにものすごく長い時間、ものすごく長い距離の列に並んでここまでたどり着いた一般国民の姿を、BBCなどの報道機関が、延々と流している、という。

正直、エリザベス2世が亡くなってニュースはそれ一色になるだろうと言われていたときにも「そうはいっても西洋の先進国で民主主義がいかに根付いているかを自慢してみせるような国とその報道機関だし、日本での昭和天皇崩御のときほどの熱狂はないでしょ」と思っていたのだが、たぶん昭和天皇のときの日本より今の英国はすさまじい。

といっても「大喪の礼」があった当時私はテレビを見ていなくて、バイト先のレンタルビデオ屋が忙しくなって店長がホクホクしてたことと、めぼしい作品はあらかた出払ってしまったこと*1くらいしか直接の体験としては覚えていないのだが、それでも、ただ並んでいる人々を延々と中継し続け、それら並んでいる人々についての記事が何本も書かれる、ということにはなっていなかったと思う。

Twitterでは#CoffinWatchというハッシュタグがあって、Twitter利用者が、BBCなどが貼りついて中継しているエリザベス2世の棺とその護衛と弔問に訪れた(というか「弔問」でもないかもしれない……pay the respectと英語で表されるもの)人々を見ながら何か気づいたことなどをツイートしたり、「こんなのバカげている」と怒りを表明したりしている。それについての「自虐」(英国の伝統芸だ)パロディもある(via @yoookd)。

#Mournathonというハッシュタグもある。「死を悼む」の意味のmournと、「マラソン」marathonを掛け合わせた造語で、初めて見る語だが、見れば一発で意味がわかる(文脈があるから)。

これは、延々とただ映像を流しておけば、人はそこで起きていることを何か探してしまうという現代美術的なアレが美術館の外で起きているという例で、シチュアショニズム的ですらあるが、ぶっちゃけ、怖い。

実際にどういう様子かはこのエントリの下の方に貼りつけておくが、こういう中でできた「自虐」(と呼ばれるだろうが、実は「同じ英国民でも私たちはあの人たちとは違う」という目線での)ハッシュタグのもう一つの例が、#MournHubである。

18禁の話になるが、今英語で何か読んだり書いたり調べたりしようとしたら常識として欠かせないウェブサイトに、PornHubというのがある。ポルノ専門サイトで、hubは「ハブ空港」などというときの「ハブ」。PornHubとはつまり「そこに行けば何かしらポルノが見られるサイト」という意味だ。

そして#MournHubとは、「そこに行けば何かしら(エリザベス2世の)死を嘆いている人々が見られるサイト」という意味で、BBCをはじめとするニュースのチャンネルがそうなっちゃっていることを揶揄する人々が集まっているハッシュタグである。揶揄だから、取り上げられるものの多くは単なる「女王様がお亡くなりになってしまって、私たちはこれから知らない世界に放り込まれる」的なよくある感傷ではなく、激烈なものだ。

*1:とても多くの人々が、どのチャンネルも同じことをやってるようなテレビを消してレンタルビデオで映画を見ていた……今ならネット配信があるからそういうのが目に見えることはないが。

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接続詞のas, whenever, so ~ that ...構文, など(英国は本当にメディアが提示しているほど一様に「全国民が喪に服している」のか)

今回の実例は、論説記事から。

英語圏の一般紙には「論説記事」(Opinion) のためのスペースがある。ここには、新聞のメインである「報道」とは目的を異にする「論説」のための文章が掲載される。今回、エリザベス2世が亡くなったあと、新国王の動向だけでなく、棺に付き添う王族の一挙手一投足までも見出しにせずにはいられないかのような王室ニュースに埋めつくされた感のある報道機関のサイトで、Opinionのスペースは貴重な言論のためのスペースとなっている。

前回、少し触れたのだが、人々が「自国の歴史」として意識する範囲においてはほとんどずっと王政(君主制)をとってきた英国(というべきか、イングランドとするべきか、非常に悩ましいが)にも、王政廃止を主張する共和主義の伝統*1はある。現実世界では、共和主義者は、エリザベス2世の棺が通る道で意見を公にすれば、警察によって強引に排除されたり、逮捕されて起訴されたりしていると伝えられているが(その実例は、あとでこのエントリの下の方に埋め込んでおくことにする)、新聞紙面では声を挙げている。もちろん、それを掲載する新聞があってのことだが、旧芸名「ジョニー・ロットン」ことジョン・ライドンまでが「若いころに歌ったあの歌の歌詞、あれは本気じゃなかった。敵意などなかった」的なことを言い出している中で、貴重な声である。

私はどうしても、香港が急速にああなってしまったことを考えずにはいられないのだが、ジョージ・オーウェルが『1984』に/で描いたのは、イングランドである。現在のこの異様な状況をネット越しに眺めるとき、そのことを忘れずにいなければと思っている。イングランドは一色に染まっているかのように伝えられているが、実はそうではない、と。

さて、今回の記事はこちら: 

www.theguardian.com

落ち着いたトーンで具体的に書かれた文章で、英語は易しいので、少々分量は多く思われるかもしれないが、ぜひとも全文を読んでみていただきたい。

*1:イングランドの歴史からすれば短くて「伝統」と呼びにくいかもしれないが。

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自分の知ってるステレオタイプに合った話だけ拾い集めてきゃっきゃ喜んでないで、本物の情報を得ようとしてみてはどうか(エリザベス2世の死去と、シン・フェイン)

今日は火曜日で、前回記事を書いたのは先週木曜日、その間、ただもう怒涛のような情報の流れとそれに乗ってくる感情の渦に圧倒されていた感じで、今日はもう、これから書くこととは全然別の問題に関心が移っているのだが、書かないと始まらない。

先週金曜日の「休載」のエントリで少し触れたが、英国のエリザベス2世が亡くなり、現在英国は10日間の服喪期間のさなかである。その期間のあいだに、エリザベス2世が亡くなってすぐに即位したチャールズ国王(チャールズ3世)のための儀式が英国の各地域で行われているが、今日火曜日は国王夫妻が北アイルランドに行って、北アイルランドでの居城であるヒルズバラ城(ベルファスト郊外)と、ベルファスト市街にあるイングランド国教会の大聖堂での行事が行われる。またラジオにくぎ付けになる。聞きたい方はこちらからどうぞ(BBC Radio Ulster)

さて、少し時間をさかのぼる。

エリザベス2世が亡くなってしばらくの間、Twitter上の日本語圏は、普段英国になどほとんど関心を持っていないであろう人々も含めて、英国への関心が急激に高まり(そりゃ当然だが)、その結果、数々のトンデモが飛び交った。それらの「トンデモ」の中には完全な誤情報(チャールズ新国王が口にした「ウェールズ語」のことを「ゲール語」だと言い張っている人がいたりする*1)もあったが、誤情報ではなくて個人の見ている狭い窓から見えている現象を大きな《物語》に結び付けて「英国では~だ」というふうに語ったり、あるいは個人がすでに知っていることに合致する情報だけを拾っては「やはり~なのだ」と悦に入ってみたりといった、「いや、これはちょっと違う」と言いたくなるような性質のものもあった。

後者に入るものの一例が、「独立を志向するスコットランドでは王室は歓迎されない」という思い込みに合致するようなものである。しかるに、これは強調しておく必要があるのだが、英国において王室を歓迎するかどうかは地域によるものではない。スコットランドにもイングランドにもウェールズにも、王室を歓迎する人々と、歓迎しない人々がいる。後者は単に今の王室が嫌いだというわけではなく、制度としての君主制を廃すべきと考えている人がほとんどだ。つまり「共和主義者 republican」だ。

意外と日本の学校では習わないのだが(私は学校では習わなかった)、国王をトップとする「王国」(貴族がいる)と、大統領をトップとする「共和国」とは対立する概念である。日本はそこがぐだぐだで、例えば「ねこちゃん共和国」というお店の看板猫が「三毛猫侯爵」とか「茶トラ男爵」ということになってることすらあるくらいだが*2

ざっくり言って、「共和国 republic」は、君主制を打倒したところに成立する。「リパブリカン」を名乗る人々は、君主制の打倒を志向する。

と、ようやく単語がこちら方面にシフトしてきた。そう、republicanを日本語にすれば「共和主義(者)」であり「リパブリカン」でもある。

北アイルランドリパブリカン」と書くとき、それは「北アイルランドの共和主義者」の意味であるが、単に共和主義思想を抱いているだけでなく、武装闘争という手段を正当なものと位置付けている人々のことを言う。The Irish Republican Army (IRA) のrepublicanである。

そのIRAとこれ以上密接にはなれないくらいに密接な関係を有している政党シン・フェインも当然、リパブリカンである。北アイルランドの文脈だけで見ると「武装闘争を正当化する」という特徴になるが、そもそも基本的に「王政廃止」という主張の持主である。

その背景には、本当にいろいろなことがある。歴史がある。例えば19世紀中葉の「ジャガイモ飢饉」のとき、ジャガイモを食べて命をつないでいたアイルランド人が飢えて死んでいく中で、ジャガイモ以外の穀物は普通に収穫され、普通にブリテンに輸出されていた。日本の「年貢」みたいなものだ。年貢としてお殿様におさめる米はあっても小作人が食う米がない、という状態だ。餓死していった人々は、ジャガイモ以外のものを食べることが許されれば、死ななくて済んだだろう。これを「ジェノサイドであった」と考える人々は少なくない。もちろん、「ジェノサイド」の概念ができたのは20世紀の第二次大戦後のことであり、19世紀の出来事をそう断ずることはできないにせよ、「もしそのころにジェノサイドという概念があれば」という仮定は成立する。

その恨みのようなものを超えるには、強い意志と行動が必要だった。今のシン・フェインの指導者たちは、その意思を持ち、実際に行動した人々である。彼ら・彼女らがそうできたのは、彼らだけでなく北アイルランドのほかの政党の人々が行動したからであり(とりわけSDLPジョン・ヒューム、UUPデイヴィッド・トリンブル)、アイルランド共和国ブリテンの人々の行動もあったからであり、そしてその中でも重要な役割を果たしたのがエリザベス2世だった。北アイルランドというのは、不思議なほどに「シンボル」や「シンボリックな行動」が意味を持つ。エリザベス2世はそれを熟知していた。いとこのマウントバッテン卿を爆殺され、crown forcesと呼ばれた軍人や警官らを多く殺傷された英国女王にとって、決断も行動も、簡単なことではなかったに違いない。でも彼女はやった。

だから敬意を払われている。

ネットで「反英」というステレオタイプで騒ぐことに価値を見出す人々は、その事実すら否定しようとする。そこまでいかなくてもその事実を見ようとしない。「アイルランドは反英」ということをうかがわせる情報があればそれに飛びつき、それしか見ない。実際に26州(アイルランド共和国)のサッカー場で観客から「くたばりやがった」的なチャントが起きたという情報ばかりが日本語圏に入ってきて、本当に紛争と和平の中にいるシン・フェインが何を言っているかは入ってきていない。

だから、小さな場ではあるけれど、ここでそれを記録しておかねばならないと思うのだ。

まず訃報が流れる前、「医学的にこれまでにない状態にある」といった言葉で容態の悪化が伝えられていたころのもの。

*1:ケルト諸語」のことを「ゲール語」と習ったのかもしれないが、「ウェールズ語」は「ゲール語」とは別の言語である。

*2:例は架空。

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