今回は、前回の続きで、「大量死」を伝える米ニューヨーク・タイムズ (NYT) の取り組みから。
前回は、「大量死」をただの数字で終わらせまいとするその取り組みについての紹介の言葉を見たが、今回はその取り組みそのものを見ていこう。
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前回説明したとおり、NYTのこのページは、10万人に迫らんとする米国の新型コロナウイルスによる死者のごく一部、わずか1パーセントに相当する1000人について、名前・年齢と、その人となりを表す短いフレーズを集めたものである。NYTは全米各地の地方メディアなどにあたり、訃報記事や死亡告知から、亡くなった人についての情報を集めた。それを紙では「一面をみっしりと埋め尽くす人名と短いフレーズ」という形で表現したのだが、ウェブ版ではページをスクロールダウンしていきながら、ひとりひとりについて読ませていき、要所要所で解説となる文章を挟んでいくという形式で表現している。その見せ方もまた、効果的である。
アクセスすると、最初はこのような画面になる。「計算(計数)できない喪失」というタイトルと、このページの主旨を述べたリード文が表示され、そのすぐ下にどういう人だったかを表す短いフレーズと人名と年齢、大まかな住所が記されている。「シリコンバレーで会計監査の仕事をしていた」というサンノゼ在住57歳のパトリシア・ダウドさんが、最初の死者だ。続いてワシントン州在住のマリオン・クルーガーさん(85歳)。「よく笑う女性で、曾孫がいた」。
さらに下にスクロールダウンしていくと、最初の2人についてのテキスト情報の左側に添えられていた人の姿の絵がどんどん増えてくる。大半はグレーで表示されていて、一部が黒く、黒い人にのみテキスト情報が添えられている。この人たちが、今回この企画で焦点を当てられている「10万人の中の1000人」だ。
この形式は、何も表示されていないグレーの人についても既に書かれているのと同様のテキスト情報が可能だということを、読者に即座に思わせる。そして、ここに示されているテキスト情報は、本当にごくごく短いもので、その人について全然言い足りていない。57歳のパトリシアさんに夫や子供はいたのだろうか。あるいは妻がいたかもしれない。会計監査の仕事を何年してきたのだろう。社内での役職は。この年齢の女性でそういう仕事をしてきたということは、女性差別という点で苦労も多かっただろう。85歳のマリオンさんはどうだろう。どういう仕事をしてきたのだろう。あるいはこの年代の女性には珍しくないように専業主婦だったのだろうか。子供は何人いたのだろう。夫はどうしているのだろう。……。
そう思いながらもどんどんスクロールダウンしていく。「ジャズピアニスト、作曲家で後進の指導にもあたった」、「時速200マイルの家畜運搬車の開発者」、「コンピューターについて9冊の本を共同で著した」、「エイズ・ファウンデーションで活動していた」、「どんなものでも育てた」、「女性がウォール街で働くようになったころから働いていて、世銀に勤めた」、「社交ダンスのスター」……そういった記述の上に、地の文が重ねられる。
その地の文を表示させながらも、次々と「人」が現れる。「COVID-19との戦いに従事した看護師」、「ユダヤ人の56家族をゲシュタポの手から守った」、「トニー賞を獲得した劇作家で同性愛者の生活をテーマにしていた」……
こうして、地の文がすべて表示される。
One hundred thousand.
Toward the end of May in the year 2020, the number of people in the United States who have died from the coronavirus neared 100,000 -- almost all of them within a three-month span. An average of more than 1,100 deaths a day.
"One hundred thousand" は「10万」のこと。英語には「万」の単位はなく「千」の単位で「100千」と言う。One hunded = 100 と、thousand = ,000 を組み合わせると 100,000 となることから、読み方についても納得できるだろう。
次はやや長い文だが、下線で示した "the number of people" が文の主語で、"neared" が述語動詞(nearに動詞の用法があることに注意)。間に入っているのは "in the United States" という前置詞句と、《関係代名詞》whoの節である。
このwhoの節の中に《die from ~》が入っている。「~が原因で死亡する」の意味で、前置詞はofが来ることもある。このofとfromによる意味の違いというものを教えられることが多いのだが、今回の新型コロナウイルスに関して英語圏の記述を見ている限り、両者にさほど明確な違いがあるようには感じられない。ただしこれを一般化することはできず、「die of hungerとは言うが、die from hungerは違和感がある」といったことはあるだろう。
なお、die with the coronavirusという表現もよく見る。これは新型コロナウイルスが直接的な死因となったというより、合併症を起こした場合などに用いられているようだ*1。
太字で示した "almost all of ~" は「~のほとんどすべて」。これは自由英作文などでも使いたいときにサクっと使えるようにしておきたい表現である。
Almost all of the surplus food was donated to the food bank.
(余剰の食料のほとんどすべてが、フードバンクに寄付された)
A fire destroyed almost all of the books in the library.
(火災がその図書館の本ほとんどすべてを燃やしてしまった)
青字で示した "a three-month span" は、「数字+単位」がハイフンで結ばれて形容詞になっている例。このとき、数字が2以上でも、「単位」は単数形になること(複数形のsを付けないこと)に注意。
They went on a two-day trip in the mountains.
(彼らは2日の旅程で山岳地帯に行った)
cf) They stayed in the mountains for two days.
(彼らは2日間、山岳地帯に滞在した)
I was a four-year-old boy who knew nothing.
(私は何も知らない4歳児だった)
cf) I was four years old at that time.
(当時私は4歳だった)
その次の文:
An average of more than 1,100 deaths a day.
太字で示した "a" は《不定冠詞》のaだが、「~につき」という意味を表す。
Take this medicine three times a day, after meal.
(この薬を、1日に3回、食事の後に飲んでください)
The app will be updated once a week.
(そのアプリは1週間に1度アップデートされます)
こうしてその地の文の枠を通り過ぎてさらにスクロールダウンしていく。グレーで示される人の姿の密度が増していき、右下に示されている日付と死者数がどんどん増えていく。「尋問にかけては腕利きの刑事」さんは「落としのセド」という異名を取っていたかもしれない。
「(北アイルランドの)ベルファスト生まれで、LGBTの権利、障碍者の権利のためにたたかった」というTarlach MacNiallaisさんは、お名前で検索したら、NYTやアイリッシュ・タイムズのオビチュアリーが見つかった。1962年生まれ(なので、北アイルランド紛争が始まった1968年にはまだ子供だ)。大学時代に北アイルランドのキリスト教原理主義を背景とした同性愛弾圧運動に対抗し、また「英国の帝国主義」に反対して活動した。名前はこのときにアイルランド語の綴りにした。1980年代にニューヨークに移住し、そこでもLGBTの権利、障碍者の権利のために活動した。
「9/11の通報を受けた消防長」のAlbert Petrocelliさんも、お名前でウェブ検索すればオビチュアリーが見つかる。ペトロチェッリさんはベトナム戦争に従軍した後、消防隊で活躍した。9/11、つまり2001年9月11日の「米同時多発テロ」のとき、消防署の要職にあったペトロチェッリさんは、世界貿易センタービルに飛行機が突入したときに現場に急行した。金融業界に就職した息子さんの職場がこのビルにあった。28歳の息子さんは見つからなかった。
ペトロチェッリさんについてはオビチュアリー以外にも地元メディアの記事が見つかる。3月半ばに体調不良(倦怠感)で医者にかかったが、熱が出たり息苦しくなったりしたら救急に電話するようにと言われ、自宅療養していたところ、検査で陽性の結果が出た、ということを報じる3月下旬の記事だ。それから1週間ほどでオビチュアリーが出ている。
「ロック、映画音楽、舞台の分野で曲を書いた」と説明されているのはファウンテンズ・オブ・ウェインのアダム。
Adam Schlesinger, co-founder of Fountains of Wayne and Emmy-winning composer for 'Crazy Ex-Girlfriend,' has died at 52 from complications related to the coronavirus https://t.co/acTqEhmUqV pic.twitter.com/OULDOX3cod
— Rolling Stone (@RollingStone) 2020年4月1日
こんなふうに見ていったら、時間はすぐに経ってしまう。そしてこれは、既に発生した死の1パーセント(100分の1)のうちのごくごくわずかに過ぎず、しかもこれからもまだ、この疫病による死は発生し続ける。
これが「大量死」ということだ。
今回もう少し先まで見るつもりだったがそこまで行かなかった。次回に続けることとしよう。
僕は病気になるのは別に怖くない。じゃあ何が怖いかって? 流行がもたらしうる変化のすべてが怖い。見慣れたこの社会を支える骨組みが実は、吹けば飛んでしまいそうに頼りない、トランプでできた城にすぎなかったと気づかされるのが怖い。そんな風に全部リセットされるのも怖いが、その逆も怖い。恐怖がただ過ぎ去り、なんの変化もあとに残さないのも、怖い。
*1:See: https://www.nytimes.com/2020/05/22/us/politics/coronavirus-trump-death-toll.html 'people who have died with the coronavirus but of other conditions'