このエントリは、2021年3月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、前々回(3月24日投稿)と同じく、カズオ・イシグロの最新作『クララとお日さま』の原著(英語)より。
Klara and the Sun: 'A masterpiece.' Sunday Times (English Edition)
- 作者:Ishiguro, Kazuo
- 発売日: 2021/03/02
- メディア: Kindle版
ちなみに「クララ」は原著では "Klara" で、これはClaraの別綴りであるが、言葉としてはclearという語とつながっている。こういう連想が働くかどうかもカギのひとつとなるフィクションだが、Amazon Kindleで試し読みできる部分だけでもそういったことが感じられると思う(けっこうたっぷり読めるので)。
さて、前々回(3月24日投稿)では、この物語の語り手であるKlaraがとてもかっちりした、いわばお手本のような英語を使っているということを述べ、実例としては《強調》で副詞節が前に出たために、主節でSとVの《倒置》が起きている個所をみた。このなんだかクラシカルな印象を与える構文は、この作品では繰り返し出てくる。Klaraはそのように「学習」しているのだろう。今回は、前に見た個所の少し後に出てくる2つ目の《倒置》の構文を見てみよう。
なお、今回は少しだけ作品の内容に触れている。とはいえ、「ネタバレ」になるようなことではなく、日本での出版社が宣伝のために書いている文で堂々と出している部分にあるのと同じ程度だが、それでも、本当にまっさらな状態で一切の先入観なく、作品そのものを最初に読みたいという方は、今回の当ブログはこの先に進まないほうがよいだろう。(私は今回そういう読み方をして、そしてとても楽しめている。)
Klaraは「ヒト」ではない。一緒にいるRosaもそうだ。「AF」と呼ばれる存在(その略語は、何の略語であるかは示されないまま、いきなり出てきてそのまま普通の単語のように使われている)である彼女たちは、建物1階のショーウィンドウの中に入り、買い手が現れるのを待っている。彼女たちの目の前の通りを行く通行人は、だれもが、ひょっとしたら彼女たちの買い手かもしれない。特に彼女たちのいるショーウィンドウの方にやってくる人は、そうかもしれない。だからといって、まるでペットショップの子犬のように(と、私ならそう書くだろうが、クララやローザのいる世界には、ガラスのケースに入れられた子犬を売っている店はないかもしれない。作者のイシグロ氏の身の回りにも、ペットの生体販売をしている店があるかどうか……*1)、寄ってくる人に対してこちらから興味を示して駆け寄っていくようなことはしない。寄ってくる人と目を合わせることすら、はしたない (vulgar) ことだと指示されている。上記のキャプチャは、クララが読者に対してそういうことを説明している個所である。そして:
Only when a passer-by specifially signaled to us, or spoke to us through the glass, were we to respond, but never before.
太字にした部分がSとVの《倒置》である。この場合はbe動詞なので、単にSVをVSの語順にするだけでよい。一方で、一般動詞の場合は、助動詞のdoを適切な形にしてそれを主語の前に出し、主語の後に動詞の原形を置いたのが《倒置》となる。
Never was I afraid of the unknown.
← I was never afraid of the unknown.
(未知のものを恐れたことなどない)
Never did I dream that I could be here!
← I never dreamt that I could be here!
(またここに来られるなんて、夢にも思っていなかった)
下線で示したのは、《be + to不定詞》 である。この構文については、以前次のように説明した。
《be+to do ~》は、高校の文法の授業で「予定、義務・命令、運命、可能」などと暗唱させられてうんざりしてしまった人も多い項目だろう。要は「まだ起きていないこと」(あるいは「すでに起きているとは限らないこと」)を言う表現で、それぞれ文脈的なことで訳し分ける必要があるので「予定、義務・命令……」という例の呪文のような《用法》が出てくるわけだ。
例えば「予定」は下記のようなもの:
We are to arrive at Shinjuku station in half an hour.
(あと30分で新宿駅に到着します)
「義務・命令」はこんな感じ:
You are to finish your homework before you watch TV.
(テレビを見る前に宿題を終わらせなければいけませんよ)
「運命」は「予定」のバリエーションと考えることもできる:
Tommy was never to return to his hometown.
(トミーは故郷の町に二度と戻ってくることがない運命だった/二度と戻ってくることはなかった)
「可能」は通例否定文で、toのあとは受動態の形になっている:
Not a soul was to be seen on the street.
(街路には人っ子一人見当たらなかった)
これらのうち、「可能」は少し毛色が違うが、残る用法は「まだ起きていないがこれから起きるはずのこと」を言うものだということが共通していて、基本的には「予定」の用法をしっかり把握しておくことが重要だ。
これらに加えて「~するつもりだ」という意味を表すこともある。文法解説では「意図」という用語が使われることが多いようだが、江川の『英文法解説』ではこの用例はif節内で使われる場合のみを扱い、「『目的』の意味が加わる」としている。(p. 321)
この場合は、クララたちはマネージャー(店長)からそのように指示されているわけだから(クララ自身はexplainという語を使っているので、「指示されている」とは受け取っていないのかもしれないが)、 「義務・命令」と解釈される。
最後の青字で示した部分は《省略》で、省略されているものを全部補うと、"but never before" = "but we were never to respond before a passer-by specifially signaled to us, or spoke to us through the glass" となる。
というわけで、今回みた文は、「通行人が私たちにはっきりと何かを合図してきたとき、またはガラス越しに私たちに話しかけてきたときにだけ、私たちは反応してよいのだが、通行人がそうする前に反応してはならない」という意味になる。
もちろん、日本語訳はこんなカクカクした硬い文ではなく、もっとなめらかに読みやすい形でアウトプットされているのだが、その向こうにこういう英語表現があることは見えない。この作品は、テーマ的にも「英語で思考すること」(それは英語を母語とする人たちにとっては「言葉で思考すること」なのだが)が重要な要素なので、英語で読めそうな人は英語で読んでみると、より広く、深く見ることができるのではないかと思う。
なお、前々回(3月24日投稿)も書いたが、この作品でKlaraはアメリカ英語を使っている。そのことは今回見た部分でもわかるのだが、どこのことを言っているか、わかるだろうか。答えはこちらのページのどこかにある。こっちのページでもいいよ。
※3455字
Klara and the Sun: 'A masterpiece.' Sunday Times (English Edition)
- 作者:Ishiguro, Kazuo
- 発売日: 2021/03/02
- メディア: Kindle版
*1:ちなみに、ブリーダー以外のショップでの子犬・子猫の販売に関しては、2018年に完全に違法とする法律が成立し、2020年に施行されている。See http://www.ukpetlife.com/lucys_law