昨日の続きで、ファンに向けたポップスターのSNS投稿を最後まで読んでみよう。
この投稿、全体的に《時制》に注目しながら読むと、よい勉強になる。特に《現在完了》の使い方についてはよいお手本になるだろう。自分で何か文章を書くときに、現在完了を使うかどうかで迷ってしまうという人は、ぜひ、この文章をじっくり検討してみてほしい。現在完了の使いどころがわかるはずだ。
Wanted to get this off my chest pic.twitter.com/uoDHkByjxf
— Louis Tomlinson (@Louis_Tomlinson) 2019年4月22日
Over the last few weeks I've put a lot of things in to perspective and in fact what I should be doing is forgetting about perception and to a certain degree worry less about being defined on commercial success.
これもだらだらと書き連ねられた長い文で、andが2度も出てくるので、集中していないとうまく読めないかもしれない。
以前説明した通り、andは《等位接続詞》で、基本的に、等位接続詞というものは、前後が同じ性質のものが来ることになっている。つまり、《文 and 文》とか、《名詞 and 名詞》といった構造になっている。それを手掛かりにすれば、このような長い文がどういう構造になっているかを把握するのもやりやすくなる。
最初のandは文と文をつないでいる。なので、読解するときは、このandの場所でこの長い文を2つにぶった切ってしまえばよい。つまり次のように考えるわけだ。
Over the last few weeks I've put a lot of things in to perspective
and
in fact what I should be doing is forgetting about perception and to a certain degree worry less about being defined on commercial success.
こうして2つに切った文の前半で、《現在完了》が用いられている。この部分、前回見た部分にもあったのと同様に、正式な文面として出すならこうは書かないという表記上の問題点があるのでそこを修正すると:
Over the last few weeks I've put a lot of things into perspective
《現在完了》の文で用いられる、《期間》を表す句としては、前置詞 for や since を使ったものが代表的だ。
He has lived in Osaka for five years.
(彼は5年間ずっと、大阪に暮らしてきた)
He has lived in Osaka since 2014.
(彼は2014年からずっと、大阪に暮らしてきた)
このほかに、今回の実例にあるように、overを用いることも案外多い。Overという前置詞は多義語で、文脈に応じて訳を工夫しなければならないが、現在完了と一緒に用いられているときは「~の間」、あるいは「~にわたって」と訳せばよい。ここでは「この数週間(にわたって)」と訳せる。
Perspectiveは「遠近法」、「透視図」の意味だが、要するに「少し離れたところに立って把握できる全体像」の意味で、比喩的に(暗喩として)用いられることが非常に多い。政治家のスピーチやビジネスマンのプレゼンなどで頻出の表現だから、実用英語を身に着けるうえではぜひとも覚えておかねばならないだろう。"put ~ into perspective" は「~を大局的に見る」という意味で、ルイ・トムリンソンのこの文は、「この数週間にわたって、ぼくはたくさんのものごとについて、目先のことにとらわれずに距離を置いて、大局的に見てみるということをしてきました」という意味になる。
続いてandの後:
in fact what I should be doing is forgetting about perception and to a certain degree worry less about being defined on commercial success.
このandが何と何をつないでいるのかを判断するのは、実に難しい。というのは、ルイ・トムリンソンのこの文、推敲が足りていなくて、文法ミスになっているからだ。その解説は少し下でするとして、まずはandの前の部分だけ見ておこう。(このようにやや複雑な構造の中でandが何と何をつないでいるかを判断するには、その前の部分をまず見てしまうことが必要である。)
in fact what I should be doing is forgetting about perception
-ing形が2つ出てくるが、最初のdoingは《現在分詞》で進行形の一部、2番目のforgettingは《動名詞》だ。
《should be doing》は《助動詞+進行形》で、"what I should be doing" は「ぼくが実行しているべきこと」。whatは言うまでもなく関係代名詞である。
そのwhatの節が主語、次のisが述語動詞で、forgettingは補語だ。つまりこの文は「実際、ぼくが実行しているべきことは、perceptionのことは忘れるということです」という意味になる。
Perceptionは「知覚」とか「認識」という意味だが、ここでは「自分がどう認識されるか」ということだろう。One Directionとして頂点を極めた過去を持つ彼が、ヒットを出せなくなったことで「落ち目のスター」と認識されるんじゃないかと心配してヒット曲を出そうと悩んでいる、というのが、この文章を書くに至ったときのルイ・トムリンソンの状況だった。
そしてここでandがあって、次のような記述が続いている:
to a certain degree worry less about being defined on commercial success.
この "worry" は、worryingと動名詞にしないと文意が通らない。つまり、ここは次のような構造になっているはずなのだ。
in fact
what I should be doing(主語)
is(述語動詞)
forgetting ... (補語1)
and
to a certain degree
worry ... (補語2) ← worrying でないと文意が通らない
だからこの点を修正して見ていくと:
to a certain degree worrying less about being defined on commercial success.
"to a certain degree" は「ある程度」という意味の副詞句。a certain ~ は「ある~」で、実質的には "a ~" と言っても同じなのだが、それでは意味がはっきりしないような場合に "a certain ~" という形になる。
lessは《劣勢比較(劣等比較)》で、「より少なく~」の意味。worry more about ~なら「~について、よりたくさん心配する」、worry less about ~なら「~について、より少なく心配する」ということだ。
"about being defined" のbeingは、前置詞aboutの目的語になっている《動名詞》で、《being+過去分詞》は《受動態》の動名詞。つまり「~されること」。
"on commercial success" のonは、ここでは「~に基づいて」の意味だ。
したがってこの部分は、「(ぼくがしていなければならないことは)、ある程度は、商業的成功に基づいて定義されることについて、これまでほど心配しないでいること」という意味になる。
ここまで整理すると、「この数週間、頭を整理してきたんですが、自分がやっててしかるべきなのは、どう受け取られるかは気にしないようにして、ある程度は、商業面での成功で計られることについてこれまでほど気に病まずにいることなんです」。
「売れるか、売れないか」だけが指標になるポップスターという立場について、彼が根本的に考え直してることが、このように伝えられているわけだ。
そして、上記のようにやや抽象的な言い方をしてきたことについて、具体的な例を出してはっきり説明しているのがそのあとの文。
I'm not here to compete with the likes of drake and Ariana grande.
これも標準的な表記に改めると:
I'm not here to compete with the likes of Drake and Ariana Grande.
「ぼくは、ドレイクやアリアナ・グランデのような人たちと競り合うために、ここにいるわけではありません」という意味。to competeは《to不定詞の副詞的用法》だ。
この否定文をさらに説明しているのがその次の肯定文で*1:
I'm here to make music I love and make my fans proud to say they're a fan.
"music I love" は《関係代名詞》が省略された表現で "music (that) I love" と考える。
"and" は、I'm here to make music... and make my fans... という構造を作っていて、つまり「ぼくがここにいるのは音楽を作り、ファンの人たちを…にするためです」ということになる。"make my fans proud" は《SVOC》の構文。
したがって文意は「ぼくがここにいるのは、自分が好きな音楽を作るため、そして、ファンの人たちに誇りをもってぼくのファンだと言ってもらえるようにするためです」。
つまり、ドレイクやアリアナと同じ土俵でたたかうのはやめて、自分は自分でやりたい音楽をやっていくという決意表明を、ルイ・トムリンソンはしているわけである。
ヒットが出せなくなったことで「オワコン」呼ばわりもされるかもしれないが(それがperception云々の文で言っていること)本人は気にしないことにしたし、ファンの人たちに恥ずかしい思いはさせないような音楽を作る、という宣言だ。
そしてこのかなり長い文は、"Turning a page today." 「今日、ページをめくります」と締めくくられている。これまでのルイ・トムリンソンは過去のものになった、というわけだ。
この投稿をした2日後、彼のYouTubeチャンネルに、3月にリリースされた新曲のビデオがアップされた。この曲のビデオとしては、それまでは昨日埋め込んだリリック・ビデオしかなかったのだが、今回アップされたのは長尺の、ドキュメンタリーのようなものだ。
ビデオに出てくる老人はリチャードさん(83歳)。イングランド北部ヨークシャーの人で(ルイ・トムリンソンもヨークシャー出身である)、これまで俳優をしたりタクシー運転手をしたりして生きてきた。空軍にいたこともある。歌うのが大好きだ。そのリチャードさん、今は妻を亡くして1人暮らしのようだ。妻のパットさんはアルツハイマー病で、2016年12月、ルイのお母さんが白血病で亡くなったのと同じ時期に、他界した。
そのリチャードさんのもとをルイが訪ね、故人の話をし、共感しあい、リチャードさんの「死ぬまでにしたいこと」(bucket list)をひとつずつ一緒に体験する。そして最後に、リチャードさんはアリーナでのルイのコンサートにゲストとしてステージに立ち、黄色い歓声を上げる観客を前に、見事な美声を披露する(曲はプッチーニの『誰も寝てはならぬ』だね)。60歳以上年齢の離れた2人は友情を築き、乾杯する……というビデオである。最後にアルツハイマー病に取り組む組織、がん研究に取り組む組織、小児ホスピスへの寄付を呼び掛けて、ビデオは終わる。
Two of Usの歌詞はこちら。大切な人を亡くした人の心情を歌った、よい歌詞だと思う。
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*1:このような、「否定文に続いて肯定文」というスタイルは、日常の英語で非常によく使われる。例えば親が子供に対してよく言うのが、I'm not angry. I'm just asking. Did you break the window?(怒っているんじゃありません。ただ質問しているんです。窓を割ったのはあなたですか?)……ううむ、確実に怒ってる。でも「怒ってるわけじゃなくて質問しているんです」って言うのが定石。