前回のエントリで見た文について、「ちょっと難しくてよくわからない」という感想をいただいたので、今回は前回の続きにしよう。
記事を読むための前提知識的なことは前回書いてあるものを参照。記事はこちら:
前回は下記キャプチャ画像の第一文を見たが、今回はそのあとの部分から:
I don’t know exactly what brought her to tears.
この文は特に難しいところはないだろうが、注目するとしたらwhatの使い方だ。より細かく言えば、《What ~?》 という形で、「何が~をもたらしたのか」、つまり「何が~の原因・理由なのか」という意味になる。
これは(特に英語があまりできない方に向けて英語産業の中の人たちが)「ネイティヴらしいこなれた表現」だとか「生きた英語」だとか呼ばれる類の英語表現のひとつで、日本語では例えば「なぜあなたは日本に来たのか」と《人》を主語にするのが自然な場面で、「何があなたを日本にもたらしたのか」と(《理由》という)《もの・こと》を主語にするのが日本語母語話者には特徴的と見える。こういう表現を《無生物主語》という。
What brought you to Japan? *1
(何があなたを日本にもたらしたのですか→あなたはなぜ日本に来たのですか)
なお、《無生物主語》みたな用語は別に覚えなくても「英語ができる」ようになるかどうかにはほぼ関係ないけど、こういう用語を覚えておけば、自分で参考書を見たり、ウェブ検索したりするときに格段に有利になる。というか用語を知らないと多分何もできず、お手軽にGoogle翻訳に投げてはデタラメな結果を返されてもそれがデタラメだということもわからず「Google先生」を信奉し続けるよりない、という悲劇的な状況にもなりえる。
閑話休題。
今回の実例は、What brought her to tears? という疑問文が《間接疑問文》となり、"I don’t know exactly what brought her to tears." という形になっている。
また、bring ~ to tearsは熟語で、「~を泣かせる」の意味。つまりこの文は、「彼女がなぜ涙したのかについて、正確なところは私にはわからない」だ。I don't know と主節が現在形になっているのは、筆者がこの文を書いた時点で「(過去に彼女が泣いた理由を)現在の私は知らない」と言っているからで、このような形は「生きた英語」にはごろごろしているし、正確に読み取れないと情報を誤解してしまうのだが、案外雑に扱われがちで、誤訳が多いところでもある。
次の文。これが難しかったようだ。
My guess would be that seeing herself and her story framed within a TV documentary brought home, in new ways, the staggering injustice of what she has been through, and reminded her of the obvious – that none of it should ever have happened.
最初のwouldは、例の《婉曲》の仮定法なのだが、ここは難しいことは考えずにさくっと読み流せばよい。日本語でも「~です」と言い切らずに「~でしょう」とか「~だと思います」とやわらげた表現を使うことがあるが、英語もそれと同じで、isで言い切らずにwould beとやわらげていると考えればよい。
つまりこの文は「私の推測では~ということだ」ということを述べている。この「~」の部分が、このちょっと長いthat節だ。
that節内の主語(主部)は "seeing herself and her story framed within a TV documentary" で(これもまた《無生物主語》である)、その次の "brought" と、少し後の "and reminded" が動詞。
そしてこの "brought home ~" は熟語で、「~をはっきりさせる」といった意味。訳し方はさまざまだが、下記で研究社『新英和中辞典』などの定義が閲覧できる。
続く "in new ways" は、コンマで挟まれて《挿入》されており、直訳すれば「新しい方法で」という意味。
ここまでを解釈すると、「テレビ・ドキュメンタリーという枠の中で自分と自分の経験談を見ることで、これまでになかったふうに、~がはっきりわかったのではないかと私は思う」ということになる。
その「~」の部分だが、再度引用しておくと:
the staggering injustice of what she has been through
またもやwhatが出てきた(これが原因で難しく感じてしまうのだろう。「またwhatかよ、うんざりだ」的に)。"what she has been through" は、単語はどれひとつとしてわからないものはないのに意味が取れないという人も少なくないだろう。これは「彼女が経験してきたこと」の意味。「~を経験する」でgo through ~という表現は熟語で習っているだろうが、これをカッチカチに「熟語」として頭に入れてしまっていると、このgoがbeになっただけで意味が取れなくなってしまう。
goとbeについては中学3年生で現在完了を習ったときのhave beenとhave goneの例文を思い出してほしい。
I went to Kyoto.
(私は京都に行った)
I have been to Kyoto three times.
(3度、京都に行ったことがある)
I had gone to Kyoto when he visited my family in Tokyo.
(彼が東京の家族を訪ねてきたときには、私は京都に行ってしまっていた)
今思い付きで例文を書いたら最後が現在完了ではなく過去完了になってしまったが、要は日本語では全部「行く」と表されているものが、英語ではbeとgoの2通りあるということだ。ここから英語というものについて深く考えていくのもよいだろう(人はそれを「沼にはまる」と言う)。
その次、that節内の動詞の2番目で、等位接続詞andで接続されたremindのあと:
and reminded her of the obvious – that none of it should ever have happened.
《remind A of B》は「AにBのことを思い出させる」、つまり「(主語が原因で)AはBを思い出す」で、これもまた《無生物主語》だ。
例えば日本語母語話者は「この歌を聞くと、私は高校時代を思い出す」と表現しようとすると、I を主語にして、I remember my high school days when I hear this song. などと書きがちである。
これでも意味が通らないということはないのだが、英語ではこれはthis songを主語にして次のように表すのがより自然なのだ。
This song reminds me of my high school days.
また、"the obvious" は《the+形容詞》で、「~なこと」。《the+形容詞》は「~な人々」を表すことも多いが、このように「~なこと」の意味でも用いられる。
最後に "–" (ダッシュ)による、ちょっとタメた感じの接続で、先行の "the obvious" がthat節で言い換えられている。この言い換えは《同格》の言い換えで、「言わずもがななこと――つまり、そのようなことは一切、起きるべきではなかたといこと」の意味。
最後の "should ever have happened" は、《助動詞+have+過去分詞》を用いた表現である。
という具合に、なかなかてんこ盛りであった。
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