今回の実例は、報道記事から。
日本語のメディアでも報道されている通り、南アフリカのデクラーク元大統領が亡くなった。85歳だった。日本語圏でも「アパルトヘイト*1廃止」「ノーベル平和賞」の文字列が並ぶ。英語圏でも大筋では同じように見えはするが、よく見ると違う。最近はやりの日本語の言い回しを使うと「解像度が違う」感じだ。
ここでの問題は、デクラークが元々アパルトヘイトを廃止する方向を向いていた人では全然なかったということが、日本語圏の報道などからはどうも見えにくいということである。ちゃんと数えたりすることなく、「どうも見えにくい」レベルのまま話を進めてしまって恐縮だが、それがどういう理由によるものかはわからないにせよ、「悪いものを廃止した英断の人、勇気ある偉人」というあまりにも一面的な評価がなされている様子であることには、なんというか、とても大きな違和感をおぼえる。
実際には、デクラークは「もはやこれまで」とあきらめるまでは、アパルトヘイト体制の熱心な支持者であり推進者であった。あきらめたこと自体はもちろん大きな評価に値するが、そのことは彼がアパルトヘイト支持者であったことを相殺しはしない。
その点、デクラークと同様に、それまでの体制の維持を断念して「敵」との交渉・対話の末に「平和/和平」をもたらしたことでノーベル平和賞を受けた、1921年の北アイルランド成立(アイルランド分断)以降ずっと北アイルランドの政治を独占してきたユニオニスト最大政党(当時)の党首、デイヴィッド・トリンブルと似ているのだが、トリンブルもまた「悪いものを廃止した偉人」的な見方ゆえか、日本語圏の報道では「穏健派」と位置付けられていて、冗談もほどほどにしてほしいと思ったことが何度かある。日本語圏の報道は、とにもかくにも、「善と悪」の二項対立と、「強硬派と穏健派」の二項対立の物語が大好きで、北アイルランド情勢などは「強硬派のIRAと、穏健派のトリンブル」みたいなめちゃくちゃ間違った物語が描かれてしまうことすらあるのだが(「強硬派のDUPと穏健派のUUP」なら間違っていないのだが、人は知っている単語でしか考えないので、「DUP」や「UUP」という単語を知らない人は知っている単語を持ってきて勝手に物語を考えてしまう)、その点は南アについても同じようなことになっていたのかもしれない。
事実としては、デクラークは「強硬派」であったし、1997年に政界を引退した後もその評価は「自陣の悪行を免罪しようとする権力者」でさえあった。上にリンクした毎日新聞記事などは、その点について「マンデラ氏と協力して白人特権階級による支配体制を軟着陸させ」などという実態不明の抽象的な表現で言及してはいるが、非常に分かりにくいし、見えにくい。遠慮でもしているのだろうか。だとしたら、何に?
一方で、英語圏の報道記事は、特に「体制に批判的」なメディアでなくても、ふつうにストレートに記述している。英国はアパルトヘイト体制を支持してきたし、そのことは今では「黒歴史」でできれば触れたくないものとして扱われているといえるだろうが、その英国の公共メディアであるBBCでも、「軟着陸」などという変な表現は使っていない。
というわけで、そのBBCの報道記事を見てみよう。当ブログで以前も説明した通り、著名人が没すると英語圏のメディアは、死去を報じる「報道記事」と、故人の人となりやその業績、世間からの評価を読者に説明する「オビチュアリー」の2種類の記事が出る(それに加えて、「世間の反応」や「著名人から寄せられる追悼の言葉」といった記事も出る場合がある。直近では、米国のコリン・パウエル元国務長官の訃報で出た記事がそういう分量の多い扱いだった)。英国の媒体の記事に関する限り、おおまかには、報道記事よりもオビチュアリーのほうがより「言いづらいこともあえて言う」という調子であることが多い。そして今回のデクラークについてもそうなっている。それはそれぞれの記事の見出しにも明らかだ。
報道記事(こちらにしたって、日本語報道機関のように「アパルトヘイトを廃止した」などという甘い評価はしていない。「アパルトヘイト体制の最後の大統領」だ。これらは同じことを言いながらも、別のメッセージを持っている。後者は、故人がその廃止した「体制」の内部にいたこと、その価値観を持つ人物であったことをはっきりと言っている):
オビチュアリー:
オビチュアリーでは「今なお南アの分断の種となる人物」という厳しい文言が表題となり、報道記事では「アパルトヘイト体制最後の大統領」である。
実例としてみるのは、報道記事のほうで、最初のセクションが終わって小見出しが入った下のところから。
キャプチャ画像内の最初のパラグラフ:
De Klerk had been a firm believer in apartheid, but after coming to power he publicly called for a non-racist South Africa.
この文は《時制》の使い方についてよいお手本になっている。全体として《A but B》の構造、つまり《B》のほうに重点がある構造で(「今日は晴れているが、寒い」と言うとき、言いたいことは「晴れている」よりもむしろ「寒い」のほうである)、基準となっているのは下線部のほうで《過去》。それより前のことを《A》のほうで言っているから、そちらは《過去完了(大過去)》。
文意は「デクラークはアパルトヘイトを固く信じていたが、権力の座についたあとで、レイシズムを廃した南アを求めて公然と声を上げた」といった感じ。
もちろん、重点は《B》のほう、つまり人種主義を廃することを求めたということにあるが、だからといって《A》のほう、つまりアパルトヘイトの熱心な支持者だったことをなかったことにしない、ということは、この文からも見て取れるだろう。
パラグラフ(BBCの記事は、センテンスごとに改行してしまうので、見た目上、「パラグラフ」の構造になっていないのだが)の構造としては、この文を《トピック文》として、そのあとに具体例を示す《サポート文》が続いている形で、《トピック文》の「レイシズムを廃した南アを公然と求めた」ということの具体例が、そのあとに続いている。その最たるものが、ネルソン・マンデラを釈放したことだが、それが書かれた文は飛ばして、その次の文:
His actions helped bring an end to apartheid-era South Africa, and he became one of the country's two deputy presidents after the multi-party elections in 1994 that saw Mandela become president.
《動詞の原形》(原型不定詞)がポイントとなる構文が2つ、連続で出てくる。
1つ目、太字で示したほうは、《help + 動詞の原形》の構文。これはtoが入って《help + to不定詞》の形になっている場合もなくはないが、ニュース記事を読んでて目にする範囲では、だいたいこういうふうに動詞の原形になっている。意味は「~するのに役立つ」「~するのを促す」といったものになる。
これは一種の婉曲話法で、"His actions brought an end" だと断言しすぎで「彼の行動こそが~を終わらせたのである」調になるところを、 "His actions helped bring an end" とすれば「彼の行動があって~が終焉に向かった」的な、少し幅の広い印象になる。この辺はうちらからしてみれば英語の文章術みたいな話で、英語を読むだけならあまり気にしなくてもいいのかもしれない。
2つ目、下線で示したほうは、《感覚動詞 + O + 動詞の原形》の構文。「~が…するのを見た〔聞いた、など〕」の意味だが、"after the multi-party elections in 1994 that saw Mandela become president." で用いられているseeは、主語が《関係代名詞》のthatでその先行詞は "the multi-party elections" だから、「人が目を使って見る」という意味ではなく、「〈時代・場所が〉〈事〉を目撃する」(『ジーニアス英和辞典 第5版』p. 1880)の系統の意味である。日本語にするときはいろいろ考えられると思うが、ここは「マンデラが大統領になるという結果に終わった1994年の複数政党による選挙のあとで」といった意味であることが把握できれば問題ない。ポイントとしては、この意味のseeのときも、《感覚動詞 + O + 動詞の原形》の構文をとる、ということである。
ちょっと難しいな。私もうまく説明できない。今日は神経がとても疲れているし、そもそもリアルタイムで流れてくる北アイルランドからのニュース(北アイルランドは、デクラークが欲したように、「真実と和解委員会」を作らずに紛争を終わらせ、そして今もまだとても深いところで「真実」が得られず、語られないでいる)と同時にデクラークの訃報に接して、あまり冷静ではない。いずれにせよ、強硬派が方針を転換したという事実が、南アのアパルトヘイトを決定的に終わらせたのではあるかもしれない。
ここですでに4300字と、当ブログ規定の4000字を超えているが、もう少し。
デクラークのフルネームはFrederik Willem de Klerkというが、報道記事などではFrederik Willemは頭文字で略して書かれることが多い。英語圏の政治家なら少なくとも最初の名前はフル(あるいは愛称形)で書かれるものなのに(例: George W. Bush; Franklin D. Roosevelt)、デクラークはなぜいきなり全部イニシャルなのか……などということはきっとどんだけ調べたってわからないだろうし、個人的にも特に関心はない。ここで書いておきたいのは、そのFrederik Willemを略したときの表記法についてである。
これも大した話ではない。ピリオドをつけるかどうかだ。
一般的に、何か単語を前半だけ、あるいは頭文字だけ残して略した場合、「略しましたよ」というしるしとしてピリオドをつける。いずれも、ピリオドのあとはスペースを入れることも重要な約束事だ。ただし、3つ目の例では "E.M." とスペースなしにする場合もある(表記基準次第)。
Mister John Smith → Mr. John Smith
Professor Ellen Jones → Prof. Ellen Jones
Edward Morgan Forster → E. M. Forster
ただしこれはアメリカ式の記述で、イギリス式だとピリオドを使わないから次のようになる。
Mister John Smith → Mr John Smith
Professor Ellen Jones → Prof Ellen Jones
Edward Morgan Forster → E M Forster (see this for example)
だから、Frederik Willem de Klerkを略した場合、原則としては、F. W. de Klerkとなるか、F W de Klerkとなるか、なのだが、実際には今回見たBBC Newsの記事では、FW de Klerkと、最初の2文字が単に連続している。
これって何なのかなということをずっと昔っから思っているのだが、今回ウェブ検索してみたらますますよくわからなくなった。ウィキペディア、ジャパン・タイムズ、NYTではアメリカ英語として普通の "F.W. de Klerk" の表記だが、CNNは米国の媒体なのにピリオドなしで "FW de Klerk" だ。英ガーディアンは英国式の "FW de Klerk"。
おそらく、媒体ごとの表記基準の問題だろう。論文や本を書くときは、その中で一貫していれば問題がない、というたぐいの。
もっとどうでもいいけど、アパルトヘイトが終わったとき、インターネットなどというものはまだ生活の中に存在していなくて(今20代くらいの人は、後付けの歴史語りで、「90年代には普及していなかっただけだ」といわれているのを信じているかもしれないが、よほどトップレベルの研究者でもない限り、一般の大学や職場にインターネットが入ってきたのはWindows 95が普及したあとで、一般家庭でネット接続がふつうになったのはWindows 98以降である)、「国際ニュース」に出てくる固有名詞は、カタカナにされている新聞や、カタカナを読み上げるTVやラジオのアナウンサーの声でしか認識できなかった時代、私は「デクラーク」は「デク/ラーク」という区切りだと思い込んでいて(日本語のリズムがそうなっているから)、"de Klerk" という英語を見てもそれが誰なのかがわからなかったという経験がある。「プエルトリコ」などと似た事例である。
*1:この「アパルトヘイト」の「ヘイト」は英語のhateではない、という、インテリゲンチャ系のTwitterアカウントによるツイートが、ずいぶんと「バズった」状態になっていたようだが、確かに30年近く前に終わった体制についてのこの名称は、今改めて説明しておく必要があるのかもしれないにせよ、「またその話っすか」感は否めない。ていうか80年代にも何度も何度も説明されてたよね。そもそもこの「ヘイト」が英語のhateだと思っている人は、「アパルト」は何だと思っているのだろう? ちなみに「アパルトヘイト」はアルファベットで書けばApartheidで、現地語(アフリカーンス語でも英語でも)では-heidは「ヘイト」と読まれるが、標準的な英語(英米の英語)では-heidは「ハイト」で、apartheitという語全体では、英語では「アパータイト」もしくは「アパートハイト」という風に発音される。南アの現地語のアフリカーンス語は、オランダ語から派生した言語で、英語とは全然別の言語である。