このエントリは、2020年2月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、長文多読素材を探している人にはうってつけの記事から。
以前ざっと説明したことがあるのだが、BBCにNewsbeatという青少年向けのコーナーがある。BBC Newsのウェブサイトでは一般のニュースとシームレスになっているが、文章は一般向けのものより読みやすく、トピックは、報道、つまり「そのときそのときの最新ニュース」から一歩引いたところから何かを解説するようなものが多い。
今回見る記事のトピックは、この30年ほどの間に南アフリカがどう変化したか、である。
南アフリカ(南ア)はかつて、厳格な人種差別を国の制度としていた。元からその土地に暮らしていた黒人は数の上では多数だったが、19世紀にやってきた白人が数の上では少数だったにもかかわらず政治を独占し、人種主義の理念に基づいて、黒人を格下の存在として扱い、白人と非白人は居住場所も含め社会の中で隔離されていた。むしろ、隔離しないことは違法、という社会だった。この制度を、南アの白人たちが使うアフリカーンス語(オランダ語から派生した言語。南アに入植したのがオランダ東インド会社の人々だったため)で「アパルトヘイト」といった。日本では、その字面から英語の「ヘイト hate」の関連語だと思い込んでいる人も少なくないが、アパルトヘイトはhateとは全然関係ない。アルファベットで書けばapartheidで、「隔離、隔離した状態」の意味だ。
このようなことを聞くと「昔の話だろう」と思われるかもしれないが、さほど昔ではない。アパルトヘイトの撤廃は1990年から着手されたにすぎず、南アフリカで初めて全人種が分け隔てなく参加した選挙が行われたのは1994年で、まだ26年しか経っていない。おおむね今30代半ばから上の南アフリカ人は、アパルトヘイト制度をうっすらと記憶しているだろう。
南アは2019年10月~11月に日本で開催されたラグビーのワールドカップで優勝したし、日本を含む各国の代表に南ア出身のプレイヤーがいたが、ラグビーの南ア代表で黒人がプレイするようになったのは、アパルトヘイトが終わってからである。
反アパルトヘイト運動の指導者で、長く投獄されていたネルソン・マンデラが大統領に選出された1994年の選挙のあと、南アは劇的に変化し「近代化」されたが、すべてが良くなったわけではなかった。それが今回見る記事で扱われているトピックである。
記事はこちら:
記事自体の内容や、見出しにある「南アを変えた子供の活動家」については特に解説しない。記事がとても読みやすいので各自お読みいただきたい。
今回の実例として見るのは、記事の下の方。
キャプチャ画像の4文目:
Gabi and Tshepo are a young couple who would have broken the law in South Africa 30 years ago.
太字で示した部分は《仮定法過去完了》だが、この文にはif節がない。if節の意味合いは下線で示した "30 years ago" に含まれている。「ガビとチェポは、30年前であれば、南アの法律を破っていたであろう若い夫婦である」という文意だ。
この文を読んだ人は、「法律を破るって、どういうこと?」と思うだろう。それが説明されているのが、この次の文である。これは、この前も解説したが、《トピック・センテンス》の次に《サポート・センテンス》を置くという英語のライティングのお約束にのっとった書き方で、非常に一般的なものだ。
Inter-racial relationships were banned under apartheid law, which forced communities to live separate lives.
全文で "would have broken the law" と書かれていたことの根拠が、この下線部のように示されているわけだ。こういう流れを作って書くのが英語のお約束のひとつである。
太字で示した《force ~ to do ...》は「~に…することを強制する」の意味。
The army forced the villagers to relocate into the concentration camps. *1
(軍は村人たちに、強制収容所に移ることを強制した→軍は強制的に村人たちを強制収容所に移らせた)