このエントリは、2020年7月にアップしたものの再掲である。
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今回はちょっと変則的に。
日本語圏では忘れられているかもしれないが、15年前の今日、7月7日、英国の首都ロンドンの公共交通機関がテロ攻撃の標的とされた。北の方からこのためにロンドンにやってきた4人の若者たちが、朝の通勤時間帯、ロンドンの中心部で地下鉄とバスを標的に、自爆攻撃を行った。何十人もが殺され、数百人が怪我をした。
2005年当時、私は既にブログを使っていて、東京でテレビニュースやネット経由で何が起きているかを把握しようとし、見たもの・聞いたことをかなり細かくメモっていた。当時お世話になっていたレンタルブログはその後閉鎖されてしまい、その過程で画像などは失われている部分があるが、ログ自体は取ってある。
あの朝、報道機関のフォトグラファーは流血の現場をカメラに収めていたが、攻撃対象とされた地下鉄車両やバスに乗り合わせていたわけでもない一般のロンドナーが見たのは「閉鎖された駅」や「情報を求めて家電チェーン店店頭のテレビに群がる人々」だった。スマホなどなかった頃のことだ。
事実としては、標的とされたのは地下鉄3か所、バス1台だったが、当初は情報が混乱していて、私も東京で「報道ステーション」が実際よりずっと多くの場所(10か所くらい)が攻撃された可能性があると報じていたのをはっきりと覚えている。こういった情報の混乱はよくあることで、近年のパリでもシドニーでもオタワでも、事件発生中には途方もない規模の攻撃が起きているという情報がSNSでも報道機関のサイトでもたくさん出るのだが、たいていは情報の混乱や事実の誤認、混乱して何が起きているのかわからない状態の現場からSNSで直送されてくる誤情報で、そういった誤った情報は数時間か、長くても数日の間には修正され、あとには正確な事実を伝える情報が残る(ときには、誤情報が流れていたことも書き添える形で)。
それが普通である。
だが、日本語圏ではそうはいかないことが、残念なことにかなり多い。それもウィキペディアのような多くの人が参照する場で、ひどくデタラメなことが基本情報として記載されていることがよくある。それも「当初の混乱した情報がそのまま残っている」といった一定の合理性のあるパターンではなく、「どうしてそうなった」としか言いようのない、完全なデタラメ。英語で情報を取ってこれる人が誰も見ないようなところで、英語はGoogle翻訳に頼っていたり、単語を適当につなげれば訳文ができると考えていたりする人が、好き勝手なデタラメ翻訳をウィキペディアに書き込んで、それが放置されたりしているのではないかと思う。
こういうことについて、私は4年前の2016年2月にブログに書いている。国際的にとても意味の大きな項目が、めちゃくちゃだったのを修正した記録だ。
この件での最も大きな問題点のひとつがこれ:
つまり、編集に加わった人々が誰も元記事(ガーディアン、2004年5月13日)をまともに確認していない。最初に起稿した人が書いたテクストについて、何も確認せずに、ただ情報を付け加えたり、構成を変えたりしている。こんなの出来上がりとしてもプロセスとしても「百科事典」でも何でもない。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2016年2月6日
そして今私は、2005年7月7日のロンドン公共交通機関に対するテロ攻撃についての日本語版ウィキペディアのページに、このアブ・グレイブ刑務所での被収容者拷問についての日本語版ウィキペディアのページにあったのと同様の問題を見つけて、唖然としている。
おわかりになるだろうか。「1台が爆発し」と書いてある次の行で「爆破された3台」。まったく滅茶苦茶、支離滅裂である。なお、事実としては爆破されたバスは1台しかない。「爆破された3台のバス」云々の記述には出典が書かれてもいない。書き込んだ人物は何を根拠としてこんなことを書いたのか?
さらにおかしな記述は続く。「ロンドンのシンボルとも言えるデニス・トライデント・2型」とあるが、この型のバスを「ロンドンのシンボル」と呼んでいる例が実際にあるのだろうか? バス・マニアの世界ではひょっとしたらいろいろと細かいことがあるのかもしれないが、私の知る限り、一般的に「ロンドンのシンボル」と呼ばれた二階建てバスは、2005年当時は現役だったが、2020年の今から見ればもうとっくに普通の路線バスからは引退している*1旧式のルートマスターだ。下記の写真のタイプ。
さらにめちゃくちゃなのはその次。「最初に爆破されたバスはエンパイロ・400の車体を利用して修復され」の部分。私は爆破された路線番号30番のバスは利用していたことがあるので事件後のニュースには注意を払っていたが、そんな話は聞いたこともない。そもそも、ロンドン当局が、破壊されたバスの車体をいちいち修復する必要もない。単に新しいのを発注すればいいだけだし、実際にそうしているのだ。
というわけで、このめちゃくちゃな記述の「ソース」として示されている記事を、今回の実例として見てみよう。
この記事は、事件から約3か月後の2005年10月3日に出ている。
書き出しの文:
A new bus has been unveiled to replace the one destroyed in the 7 July bomb blast which killed 13 passengers.
太字にした "to replace" は《to不定詞の形容詞的用法》で、述語動詞の "has been unveiled" が先行しているために*2少し離れているが、 "a new bus" を修飾している。
問題のウィキペディアの記述は、おそらく、このreplaceという単語を辞書も引かずに思い込みで「修復する」と解釈したのだろう。replaceはre + placeで「置き換える」「入れ替える」「交換する」だ(「リプレース」というカタカナが用いられる分野もある)。置き換え前のものはその場から取り除かれる。「修復」とは全然違う。あまりにお粗末な誤訳で、こんな程度の英語力しかない人が好き勝手に書き換えられるウィキペディアというシステムは、本当に恐ろしいと思う。全然信頼できない。そんな信頼できないような場に、その分野についてであれ、翻訳に関してであれ、専門の知見があるような人が寄ってくると思う方がおかしい。そもそも信頼性が担保されていないような場に時間を割くなどというヒマなことは、専門の知見があるような人はあまりしない。
閑話休題。下線で示した "destroyed" は《過去分詞》で、これは "the one" に対する後置修飾。この "one" は代名詞で、日本語にすれば「それ」だが、itとは違う。ここもおそらく、このウィキペディアンはわかっていないと思われるが、itは「それそのもの」、oneは「それと同種のもの」を言う。次の例文でわかってもらえるだろうか。
I've lost my umbrella. I've got to find it.
(傘を紛失してしまった。紛失したその傘を見つけなければならない)
I've lost my umbrella. I've got to buy a new one.
(傘を紛失してしまった。新しい傘を買わなければならない)
ここまでで規定の4000字を超えてしまったので、この続きは次回に。
なお、日本語版ウィキペディアのこの一連の奇妙な記述、履歴をたどると、最初に出たのは 2013年4月20日 (土) 17:42の版だ。事件から8年近くも経って書き足すようなことか? その版の当該部分のキャプチャ:
差分(この前の版との違いを示した画面):
こんなところでブログねたにしてないでウィキペディア修正してこいって? 時間見つけたらやりますよ。私より先に誰かが正確な情報で上書き更新してくれると嬉しいですけど。