このエントリは、2021年3月にアップしたものの再掲である。
-----------------
今回の実例は、Twitterから。
先週後半、3月5日から8日の日程で、ローマ・カトリック教会のフランシス(フランシスコ)教皇が、同教会の教皇としては初めて、文明の揺籃の地であるイラク(メソポタミア)を訪問した。
「バビロン」とか「ウル」とか「ニネヴェ」とか、あるいは「チグリス川」「ユーフラテス川」でさえも――「イラク」や「バグダッド*1」のような、何もないときでもよくニュースに出てきた地名とは違う、現地の地名が、戦地として、あるいは米軍(を中心とする連合軍)の拠点として、または武装勢力の拠点や攻撃地点として、報道に出てくると、私の心はざわめいた。世界史の教科書そのものだ、と。旧約聖書の宗教に信仰のある人、宗教心のある人や宗教を研究している人なら「世界史の教科書」ではなく「聖書(旧約聖書)」と思ったことだろう。
そして、2003年初頭、当時、既に英語圏でギーク界隈を超えて広く使われつつあったウェブログというツールを英語で使っているイラク人たちが*2、自分たちの国のトップに座っている独裁者が原因で、自分たちの上に、自分たちの町に爆弾を投下しようとしているアメリカの人々に向かって、「ここには歴史がある」ということを声を限りに叫んでいたとき――今思えば、それは、既にイラクで「歴史」を「異教である」という理由で破壊していたイスイス団に破壊されそうになっていたパルミラについて、「それは歴史だ」と叫んでいた私を含む世界中の人々の叫びと重なる――、そのイラクの人々が意味していたのは古代メソポタミア文明であり、旧約聖書の世界であった。
イラクというとイスラム教国家というイメージが強いし、実際にイラクの人々の大半はイスラム教徒なのだが(シーア派、スンニ派、クルド人が3つの主要集団で、クルド人は宗教的にはスンニ派イスラム教徒である)、イスラム教が成立する前からそこには人々の暮らしがあったわけで、キリスト教を信じる人々のコミュニティは古くからイラク(メソポタミア)にはあった。
……と、前置きを書くのに既にずいぶんな時間を割いてしまっているので、駆け足でいこう。
イラクのキリスト教は「東方典礼カトリック教会」、つまり儀典は東方のもので、教義はカトリックという教会で、つながりとしてはカトリック系である。そのイラクのキリスト教徒たちのもとを教皇が訪れるのは今回が初めてのことで、私はかつてネット上で知っていたイラクのキリスト教徒のある人のことを思いながら、ネットでニュースを追っていた。イラク戦争前のイラクという国では、宗教は個人のもので、「あの人は〇〇教徒だからほにゃららだ」などという扱いを受けることはなかったという。それがイラク戦争で一変してしまったのだが。
教皇ご自身はイタリア語でお話しになるが、教皇のTwitterアカウントは英語だし、アルジャジーラ英語版や湾岸諸国の報道機関の英語版など、英語でニュースを追うことができれば、イタリア語も現地語(アラビア語)もできなくても、ある程度のことは追えた(もちろん、当事者が英語にして発信したいことを英語で拾うことができた、という程度で、深いことは英語だけでは無理だろうが)。ディアスポラのイラク人キリスト教徒がジャーナリストとして英語で仕事をしていることも多い。今回、UAEの英語メディア、The NationalのTwitter feedを何となくフォローしていた。このメディア、UAEについての報道はあまり真に受けるのはどうかというのがあるにせよ、Twitterの使い方は上手で、早くてわかりやすいなと思った。ほか、イラク国内のキリスト教コミュニティは北部に多いのだが、同じく北部にあり今回の旅程にも組み込まれていたイラクのクルディスタン(クルド自治州)のメディア、Rudawの英語版もよかった。
教皇は、5日にバグダード国際空港に到着して首相の出迎えを受けられ、その後市内に入って大統領宮殿での歓迎式を経て、the Cathedral of Our Lady of Salvationで各宗教宗派の指導者らとお会いになり、お話しをされた。ここは2010年10月にイスラム主義過激派(スンニ派の過激派、のちのイスイス団)に襲われ、58人もが殺された大聖堂で、そこに教皇がいらしたことは、イラクのクリスチャンの人々にとってとても大きな意味を持つと、当日流れてきたニュース系のツイートが述べていた。
ちなみに教皇は、新型コロナウイルスのワクチンの接種はとっくに済ませていて、多くの場面で、マスクなしで素顔をさらしておられた。
翌6日は教皇は南部の都市でシーア派の聖地であるナジャフに向かわれ(ここも2003年、ムクタダ・サドル支持のシーア派武装主義者と米軍をはじめとする連合軍の間で大変なことになった)、そこでイラクのシーア派の最高権威であるアリー・アル=シスタニ師と対面された。どちらも高齢なお二人が、それぞれの聖なる色の装束(シーア派の黒、カトリックの白)で、真っ白な何もない壁を背にL字型のベンチの角の所に座っている写真は、重厚感というか密度がすごい写真だった。
The power of a photo. Hard to overstate the importance of this meeting. #AyatollahSistani #PopeInIraq https://t.co/rNOyyWcqIZ
— Ian Pannell (@IanPannell) 2021年3月6日
前置きが長くなったが、今回の実例は、シスタニ師との対面を終えたころの教皇のTwitterフィードから:
Only if we succeed in regarding each other, with our differences, as members of the same human family, can we begin an effective process of reconstruction and leave a better, more just and more human world to the future generations. #ApostolicJourney #Iraq
— Pope Francis (@Pontifex) 2021年3月5日
《強調》のためにonly ifで始まる副詞節が文頭に出ているので、そのあとのSとVが《倒置》されている。つまり:
Only if we succeed in regarding each other, with our differences, as members of the same human family, can we begin an effective process of reconstruction and leave a better, more just and more human world to the future generations
この《倒置》という型を知らないと、この文を「私たちは始めることができるだろうか?」という疑問文として読んでしまうというミスをおかしてしまう。
実際には、これはもちろん疑問文ではなく(文尾に疑問符がないことがその証である。一般人のおしゃべり的なツイートでは文尾の疑問符が省略されることもよくあるが、これはローマ教皇というお立場の方のご発言を担当者が英語にして全世界に示している正式なものだから、略式でありがちな「疑問符の省略」が行われるはずがない)、文意は逐語訳すれば、「わたしたちがお互いを、違いを持つ者同士として、同じ人間の家族の一員であると認めることに成功してはじめて、再建の効果的な過程を始め、のちの世代に、よりよく、より公正でより人間的な世界を残すことができるのです」となる。
ナジャフ訪問の翌日、フランシス教皇は北部に向かわれ、イスイス団が壊して回ったところを真っ白い装束で歩き、そこで話をされた。車両での移動のときも、イラク政府の人や各国要人などはがっつり装甲仕様の頑丈な車を使うような場所で、教皇はゴルフカートを使って、今なおがれきばかりの町の空気を直接感じながら移動しておられたという。
詳しく書きたいところだが、文字数が尽きるのでこの辺で。
ところで今回はじめて知ったのだが、クルディスタンの議会(「国会」に相当)の議長は女性だ。
Pleased to welcome His Holiness Pope Francis to the Kurdistan Region, the land of peaceful coexistence of different religious and ethnic communities. I wish happiness and peace to Christians in Kurdistan and all of Iraq.
— Dr.Rewaz Faiaq (@Rewaz_faiaq) 2021年3月7日
※3925字