今回の実例は、Twitterから。
今日、3月16日は、イラン・イラク戦争中の1988年にイラクのサダム・フセイン大統領が、自国内の自国民に対して化学兵器を使用し、何千という単位の自国民を殺傷した日である。この攻撃は、標的とされた場所の名前をとって「ハラブジャ(ハラブチャ)事件」と呼ばれるが、この非道な攻撃についてネット上の日本語圏で調べるのはかなり危うい感じもする。英語で調べるのがよいだろう*1。
というわけで、33年前に毒ガス攻撃の対象とされたイラクのクルディスタンの人々の英語メディア、Rudaw EnglishのTwitterアカウントからは、現地での事件記念の式典の様子などがツイートされている。
だが、私にはそれらのツイートに「解説すべき英文法」を見つけることができない。というか最近、何を読んでも「解説すべき英文法」が見つからない。端的に「ネタ切れ」になっているのだと思う。一方で日本語圏Twitterで、ある英語由来の格言について説明するツイートで《句》のことを「条件節がある」と述べているものを見ると、うっかり「節ではなく句です」というクソリプを飛ばしそうになるので、英文法がすっかり抜けたわけではないのだが。
ともあれ、本題に入ると、そのRudaw Englishのアカウントでこんなツイートを見かけた。
“We used to see wild goats and partridges in these hills and mountains,” villager Ali Kaka Awla told @FazelHawramy. “The hunting continues and the wildlife is gone.” https://t.co/uijiRWKDJm
— Rudaw English (@RudawEnglish) 2021年3月16日
解説してくださいといわんばかりの英文である。
We used to see wild goats and partridges in these hills and mountains
太字で示した《used to do ~》は「かつては~していた(ものである)」の意味を表し、言外に「だが今はそうではない」ということを言う表現である。文のどこにも「かつては」を示す副詞はないが、「かつては」の意味がはいった文で、この文は「これらの丘や山では、かつては野生のヤギやヤマウズラ(パートリッジ)を見かけたものだった」という意味。
see の意味についてもおもしろい実例になっている。see ~は、単なる「~を見る」というより「~を見かける」「~の姿が目に入る」の意味だ。対するに、look at ~ は「目の焦点を合わせてしっかりと~を見る」という感じだし、watch ~は「~をじっくり見る、観察する」となる。ただし「映画を見る」「テレビを見る」「コンサートを見る」「サッカーの試合を見る」といったときはseeもwatchもどちらも使われうるので、一律ではっきりしたわかりやすい基準があるわけではないが。
そのあとにある文:
The hunting continues and the wildlife is gone.
最初の文の "used to do ~" と対比の形になっている現在形の記述で、used to do ~の「かつては~だったが、今はそうではない」感が強調されているかのようだ。
《be gone》は、以前書いているのだが、「過ぎ去った、行ってしまった、なくなった」ということを表す。有名な『風と共に去りぬ』という小説(映画化もされている)の英語での現代はGone With The Windだが、この "gone" が "the wildlife is gone" のgoneである。
文意は「狩猟は続き、野生生物は姿を消してしまった」。
このツイートは、イラクのクルディスタンで、炭(木炭)を作るために木々が違法に伐採され、動物たちが住処をなくしているという環境破壊を報じる記事を紹介するもので、ツイートで引用しているのは、記事の下の方にある一節。住処を失った動物たちが狩猟対象となり、都会の青空市みたいなところで売られている、という報告の部分だ。何のために売買されているのかは記事には書かれていないが、愛玩動物として取引されているのかもしれない。うちらが子供のころの、お祭りの屋台のひよこのように。
記事は長いものではないし、英語(現地語からの翻訳)もとても読みやすいので、何か読むものを探している人にはちょうどよいだろう。
https://www.rudaw.net/english/kurdistan/150320211
※2000字
*1:と書くとまた「CNNを鵜呑みにするバカ」と絡んでこられるだろうが。