このエントリは、2021年6月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、前回の続きで、6月20日の「世界難民の日 World Refugee Day」に英国の新聞に出たレストランのレビュー記事から。文脈などの前置きについては、前回のエントリをご参照のほど。
記事はこちら:
この記事で紹介されているレストランは、1960年代の「スウィンギング・ロンドン」で有名なカーナビー・ストリートに最近新たにオープンした「イマドのシリアン・キッチン」という店である。店主(オーナーシェフ)のイマド・アラーナブさんがどうやってここで店を開くようになったのかは、英文法の実例として当ブログで見ている部分より前のパラグラフ(というか、記事書き出しのパラグラフ)で説明されているので、まずそこを読んでいただきたい(その部分に文法的に解説すべきことは特にないので、当ブログでは取り上げないが)。
今回、実例として参照するのは、前回と同じ3パラグラフ目から。
前回は第1文から第4文までを見た。今回はそのあとを見よう。第5文がなかなかに長くて、なかなかに厄介である:
Once upon a time I would have felt like a mere observer, but as the dismal anti-immigration rhetoric has intensified, as the little Englanders have frothed at the mouth about those who have the audacity to flee war and desolation, as if the search for better was a personal insult, I have increasingly felt myself to have skin in the game.
これだけ長くなっているのは、節やら句やらで構造が複雑になっているからだ。まずはそこを解きほぐすことから。スラッシュを入れて、文構造として主要な部分を太字にしてみよう。
Once upon a time / I would have felt like a mere observer, / but [ as the dismal anti-immigration rhetoric has intensified, / as the little Englanders have frothed at the mouth about those who have the audacity to flee war and desolation, / as if the search for better was a personal insult,] I have increasingly felt myself to have skin in the game.
つまり、この長い文は、
Once upon a time I would have felt like a mere observer, but ... I have increasingly felt myself to have skin in the game.
と、その中に挟み込まれた
as the dismal anti-immigration rhetoric has intensified, as the little Englanders have frothed at the mouth about those who have the audacity to flee war and desolation, as if the search for better was a personal insult,
に分けられる。それぞれ文法的には見どころ満載で、なおかつ一読しただけで(本当な読めていないのに)読めた気になってしまいそうである。ひとつずつ見ていこう。
まず最初の部分:
Once upon a time / I would have felt like a mere observer, // but ... I have increasingly felt myself to have skin in the game.
まず注意してもらいたいのが、全体の構造。今、すぐ上でスラッシュを1本と2本とで使い分けたが、スラッシュ2本のところで大きな区切りがあり(《等位接続詞》のbutによる構造)、その前の部分に小さな区切りがある。この大きな区切りの前後をまぜこぜにして解釈してはならない。それぞれが大きな箱に入っていて、その中身をごっちゃにしてはならない、というイメージを持ってほしい。
前半部分(《等位接続詞》のbutの前)では、太字にした部分が《if節のない仮定法》になっている(仮定法過去完了)。if節の意味合いは、"Once upon a time" に含まれている。
《once upon a time》は、昔話やおとぎ話を書き始めるときの決まり文句、「むかしむかし、(あるところに)……」として用いられることもよくあるが、ここで見るように、単に「ずっと以前は」の意味で用いられる。ここではそれにif節の意味合いが込められているので、「ずっと以前ならば」という意味になる。ここまでの文意は「以前ならば、私は単なる傍観者のように感じていただろうが」。
後半部分、下線で示した "have skin in the game" は、直訳できない、つまりイディオム(慣用句)であるということは、見ただけでわかるだろう。だがこれが(大学受験生が持っていそうな)辞書に載っていない。『ジーニアス英和辞典』(第5版)でskinの項を見てもgameの項を見ても載っていない。
こういうときにどうするかっていうと、翻訳者ならまずググる。Googleでうまく検索できないときはほかの検索エンジン(DuckDuckGoとかBingとか)を使うのだが、要するにネット検索する。英語は非母語話者が学習するケースがとても多い言語なので(それに母語話者の間でも地域によって大きな違いがある)、「ネイティヴっぽいこなれた熟語」の類はだいたい、ネット上で解説されている。今どきの素人さんはここで機械翻訳に投げるようだが、機械翻訳は「既に存在する英語と日本語の対訳データベースから、アルゴリズム的に適切を判断されるものを引っ張ってきて表示してくれるシステム」でしかないので、このような場合(つまり熟語の意味を調べたい場合)は「おみくじ」としてしか使えない。つまり実用性がない。
閑話休題。ともあれネット検索すると、英語版ウィキペディアのエントリが見つかる。
現時点で、"This article needs additional citations for verification." と表示されていて、あまり信頼性が高くなさそうな記事だから、自分で検証できない人はマユツバで見ておくべきということになるのだが、少なくともソース(出典)が示されているところは問題なく参照できよう。それによると、このフレーズは投資家のウォーレン・バフェットがよく使っているものだそうで(最初に言い出したのがバフェットだということではないにせよ)、つまりかなり新しい表現だと見ることができよう。「新しい」というのは、例えば「シェイクスピア由来」とかではないということだが。
で、ウィキペディアの説明も、一度読んだだけですっと入ってくるような内容ではないのだが、「このフレーズの意味は何か」ということは1行目にまとめられている。すなわち:
To have "skin in the game" is to have incurred risk (monetary or otherwise) by being involved in achieving a goal.
つまり「当事者である」、もう少し言えば「当事者性を持つ」 という意味だ。
というわけでこの文、"Once upon a time I would have felt like a mere observer, but ... I have increasingly felt myself to have skin in the game." は、「以前ならば、単なる傍観者のように感じていただろうが、最近は段々と、自分自身が当事者であると感じるようになってきている」という意味である。
すっ飛ばしてしまったが、後半部分の "have increasingly felt" は《現在完了》で、前半部分の "once upon a time" と《対比》の構造を作っている。そういう場合、《時制》は《過去》と《現在(現在完了を含む)》になることが常だが、ここでは直説法の《過去》の代わりに《仮定法過去完了》が来ている点にも注目したい。
英語はこのようにして人の気持ちを描写する言語である。
ここまででもう3900字になってしまったので、今回の長い文の中の節の連続の部分は、また次回に。
※3900字