一枚の写真から、目を離すことができなかった。白のグラデーションと青のグラデーションの中に薄いオレンジ。いわゆる「黄金比」の構図。整った、完成された画面。『青の歴史』を思い起こさせる色。美しい写真。
だがそこに映し出されているのは、人間の、深い、とても深い悲嘆だ。それも、実際に親戚関係や友人関係でなかったとしても、撮影者が今は深いつながりを感じずにはいられないであろう「同じガザの住民」の悲嘆。
吸い寄せられるようにしばらく見つめたあとで自分の中から出てきたのは、
被写体の女性の悲嘆に、ピカソの「ゲルニカ」とムンクの「病める子」が重なって、鮮やかなコントラストと完成された画面に、こんな写真を撮らねばならなかったフォトグラファーの声なき声を聞く。
という言葉だった。
そう書いて、その写真のツイートを引用する形で投稿した。だが数時間後にチェックしてみると、なぜか私の画面では写真が表示されていない。引用したツイートが削除されたわけではない。ただ、写真だけが非表示になっている。
「Twitter/X運営が、あなたに見てほしくない写真」なのだろう。元投稿のムハンマド・スミリィさんの画面をここで埋め込んでも、きっと写真は表示されないだろう。
ここではその写真がないと私の書きたいことが完成しないので、キャプチャで上げておこう。撮影者クレジットはないが、ガザ地区の人々のWhatsAppやテレグラムなどで回覧されている、現在の攻撃下の写真だろう。
使い込まれたリノリウムの床に、わりと新しい模造大理石の壁。これはおそらく病院のモルグで、深い青の服を着た女性が抱きしめているのは、彼女の子供の亡骸だろう。まだ小さいが、そこまで小さくはない。自分の意思を持ち、時にはわがままを言って彼女を困らせたこともあったかもしれない子供。何を食べていたのだろう。どんなことを勉強していたのだろう。英語は熱心に習っていただろうか。ここまで大きくなる間に、どれほどのことがあっただろう。何度の爆撃を生き延びてきただろう。
今、ガザで起きていること。
無数に、起きていること。
そしてそれは、今だけ起きているわけではない。もう何年もの間、繰り返し、繰り返し。
23年前、雨のように降り注ぐイスラエルの銃弾から当時12歳の息子モハンマド・アル・ドッラーを庇う姿(左)を撮影された父親。しかしその子を奪われた彼は今日、イスラエルにガザの自宅を爆撃され、さらに2人の息子を失いました(右)#Gaza #ガザ投稿翻訳 https://t.co/WVySg2TGD6
— Atsuko S (@atsyjp) 2023年10月15日
この子はシェルショックに陥っている。こんな小さな子供、守られて当然の子供が、シェルショックに。
報道:「このトラウマに満ちたパレスチナ人の幼児の顔が、ここ数日のガザの状況を雄弁に語っている」#ガザ投稿翻訳
— Atsuko S (@atsyjp) 2023年10月18日
かわいそうに、かわいそうに https://t.co/aaNfQCNJzJ
今、ガザで起きていること。
無数に、起きていること。
「無数に」という言葉が出てくるのは、これまで何度も何度も起きてきたその蓄積を私は知っているからであり、これが今日明日にも止まるとは思っておらず、したがって、この先も起こりつづけるということを知っているからである。
今回の最悪の事態の「連鎖」の発端となった10月7日の、いわゆる「ハマスの蛮行」(なぜ人々は判で押したように、というかコピペしたように、こんな表現を使っていたのだろう。小説『虐殺器官』みたいだった)の中でも最も強烈だったものは、結局デマだったと考えられるのだが:
“Beheaded babies” report spread wide and fast — but the Israeli military won’t confirm it https://t.co/bBJ3eJqOUH by @alicesperi https://t.co/bBJ3eJqOUH
— The Intercept (@theintercept) 2023年10月11日
それは、あの日に悲嘆にくれた人々がいなかったということを意味しない。
そこらじゅう、悲嘆に満たされる。そして軍事力の行使があって、さらなる悲嘆を生じさせる。誤爆もあろう。スパイ活動を疑われて処刑される人もいよう。武装勢力の実効支配下で、ちょっとした行き違いから悲嘆が生じることもあろう。
だが、今の状況下、そういった悲嘆は、利用される。というか、利用価値の高い情報資源となる。
今回、「ハマスってとんでもないな」と改めてうんざりしてるのが、犠牲者のご遺体が「屍累々」の状態で並べられた真ん中に演台を設置して、病院の医師たちを立たせて記者会見させたこと(対外広報的な記者会見、仕切りは行政府=ハマス、と考えられる)。人々の悲嘆なんか連中にはどうでもいいんだろう
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2023年10月18日
ここで私が言及している「記者会見」の様子はオンラインメディアなどが映像で報じ、在外パレスチナ人など悲嘆と怒りを共有する人たちによってTwitter/Xではがんがん流れされていた。それらの映像が、また、さらに生じさせる感情も、どんどん流れてきた。
今はTwitter/Xで表示制限がかかっていて年齢登録してあるユーザーにのみ表示されるようになっているが、それは次のようなものだった(うっかり見てよい質の画像ではないので、キャプチャを加工してある)。
ここでは静止画だが、このほかに、動画も何件も流れてきた。最初はスクラブや白衣の医師たちのアップで、途中でカメラがズームアウトすると、上記キャプチャのような映像になる。作為むき出しの演出だが、アラブのテレビ映像のクリップではこういうカメラワークは何度か見たことがある。ここまで、人の尊厳を冒涜したような映像ではないが。
今、静止画を加工してて気づいたけど(モザイクをかけた部分に注目してしまっていて気付かずにいた)、医師たちの背後、不自然に布がかけられている。見せたくないものを隠すための布だろう。
いや、武装勢力ですからこういうふうなのはわかってたんですよ。わかってた。けど、これ、人として本当にどうなの。医師にこんなことをさせて。医師の前列に座って幼子の亡骸を抱えている青年たちは一般市民でしょう。なぜ、カメラの前にさらす。
なぜ、っていうか、わかっている。これは「悲嘆の武器化」だ。
先日、歌詞の翻訳(日→英、英→日)でかかわった日本のBoris*1とアメリカのUniformのコラボアルバムに、Uniformによる "Weaponized Grief" という曲がある。
美麗なデザインの盤を買うと中に入っているこだわりのインサートで、その訳は確認していただけるのだが、私の頭の中から紙に印刷されるまでにあった舞台裏を明かすと、一筋縄ではいかなかった。
weaponize ~は「~を武器化する」という他動詞で、"weaponized grief" のweaponizedは過去分詞で「武器化された」という意味をあらわしているのだが、「武器化」は詩/詞のことばではない。それはさておき、「武器化する」とはどういう意味かというと、そのまんまだが、「何かを武器として使えるようにする」という意味だ。
英英辞典を見てみよう。まず、ウェブスター。
to adapt for use as a weapon of war
シンプルな定義だ。ついでに下のほうを見ると、初出が1957年とある。東西冷戦真っただ中だ。
初出はともあれ、ウェブスターの定義はシンプルすぎて、文脈の中に置くと逆にわかりにくくなると思うのだが、私が検索で使っているEcosiaに埋め込まれている辞書(オクスフォード)がよかったのでそれを引いておこう。
この定義の3番目。これをここ10年かそこらでめちゃくちゃよく見るようになった。
exploit for the purpose of attacking a person or group, or for spreading discord.
「ある人もしくはある集団を攻撃する目的で、あるいは不和を広めるために、利用する」。
この意味でのweaponizeがどのような目的語を取りうるかといったことも興味深いトピックではあるのだが、それをやり始めると多分全然書き終わらないのでそこは飛ばして、先に行こう。
Uniformの楽曲名 "Weaponized Grief" は、というわけで、「他者を攻撃する目的で利用される悲嘆」という意味になる。詩/詞の言葉にしていくにはここからブラッシュアップしていく必要があるのだが、それはおいといて。
「他者を攻撃する目的で利用される悲嘆」とは何か。このカギカッコ内を分解して落とし込むと、「ある人の死を嘆く別のある人の気持ちを、その死をもたらしたさらに別な誰かや何かへの攻撃のために利用する」といった感じになる。2001年9月11日の米国でのテロ攻撃で家族を殺された人が、ブッシュ政権がめちゃくちゃな言いがかりで「9-11の実行者と関係がある」ということにしてしまったイラクのサダム・フセイン政権に対し、これまためちゃくちゃな言いがかりで仕掛けた戦争で用いられる砲弾に、9-11で亡くなった家族の名前を書く、といったことがかなり広く行われたのだが、それはこの好例だろう。ちょっと説明が長いから、当時のそれを知らない人にはわかりにくいかもしれないが、実際にあったことだ。
あるいは、今年で発生から30年になる北アイルランド、ベルファストのシャンキル・ロード爆弾事件(IRAが商店街の建物の2階にあるUDA事務所を標的として爆弾をしかけたが、2階は無人で、1階の魚屋の人や買い物客を殺戮してしまった事件)で人々の悲嘆を見て自分なりの正義感にかられたのであろうUDAのテロリストたちが、10月末のハロウィーンのときにベルファストからは離れた小さな村で、自分勝手に「IRAの側」とみなしたパブに無差別銃撃を加えたテロ攻撃(グレイスティール事件)も「武器化された悲嘆」の一例だろう。仮にテロリストたちの勝手な思い込みであっても、シャンキル・ロードのプロテスタントの市民たちの「悲嘆」をあがなうため、グレイスティールのカトリックを殺す、という正当化が行われていた(ただし実際には、標的とされたパブは宗派の別なく地元の人々が楽しく過ごす場所で、無差別に銃撃されて殺された8人のうち、カトリックは6人、プロテスタントが2人だった)。
こういうふうにして「暴力の連鎖 the cycle of violence」が始まってしまうと、いつまでも、いつまでも暴力が続くことになる。それを断ち切る必要性を感じている当事者ももちろんいて、例えば米チャールストンの街で、白人優越主義者によって黒人教会が襲撃された事件では、何人もの遺族たちが銃撃実行者を「赦す」と言明している。
しかし、「赦し」という方向性に進むケースばかりではもちろんない。というか、人間、ほっておけば「赦し」とは逆の、「復讐」の方向に行くに決まっている。だって赦せないでしょう。悔しいでしょう。横っ面をひっぱたき、踏みつけてやりたいでしょう。
それを煽っているのが、屍の山の中に医師団を立たせてしゃべらせるということを実行したハマスだ。
いや、むろん、中東問題の本当に重要なところ(root cause)を直視することは絶対に必要だが、元はと言えば今回はお前らだろう、と。短期的に、「どうして今、こうなっているのか」といえば、10月7日のハマスの攻撃が起点になっていることは否めない。これまで、「大衆の支持」をあてにしてきたハマスが、なぜこうなったのか。どうしてA terrible beauty is bornという状況を作ったのか。
「なぜ」なんてことは部外者にわかるわけがない。部外者にもわかるのは、彼らはその攻撃の勢いを強めたいということだ。軍事力ではイスラエルにかないっこないが、軍事力以外のものを「武器」とし、多くの人々を巻き込めば強くなれる。
7日のようなことをしておいて、パレスチナで、また広くアラブ地域で多くの人々の支持を得るには、イスラエルに対する憎悪を燃え立たせるしかない。そのために、アル・アフリ病院で落命した患者や避難民の家族の悲嘆は、利用されているのである――weaponizeされているのだ。
これに、対抗していかねばならない。救急車も病院もジャーナリストも攻撃対象とし、送電や送水をストップし、一般市民(民間人)の生活インフラを守ろうともしないどころか積極的に破壊しさえしている、イスラエルの国際人道法無視の非道を糾弾するのと同時に。
わが子の亡骸を抱いた母親の悲嘆は、部外者が使える「武器」ではないし、「武器」としてよいものではない。最も重大な「ハマスの蛮行」とは、そういった人間の感情の武器化である。
現地でハマスなど武装勢力のそれにあらがってきた人々が、守られますように。
最後に英語、翻訳の話。
過去分詞は当人の意思とは関係なく、《受け身》で何かをされることを意味する。I use this computer system. なら「私は(能動的に、自分の意思で)このコンピューターシステムを使っている」だが、I was used by the criminal group. なら「私は(受動的に、自分の意思とは関係なく)犯罪者集団に使われた」だ。
weaponizedという過去分詞の重要なポイントもそこにあり、当人の意思とは関係なく勝手に武器として利用されてしまうことを言う。Weaponized griefにおいて、griefを抱いている人の意思は関係ない。当人が仮に「実行犯に赦しを」と思っていても、誰かが勝手に砲弾に名前を書いてしまうかもしれない。
他方、日本語の「~を武器とする」には能動性がある。「頑張って身につけた知識を武器として、キャリアを切り開いていこう」みたいな感じ。ここ数年でめちゃくちゃ流行っている「武器としての~」という書籍タイトルにみられる下品な(ごめんね、でもあれ、下品だもん)言葉遣い。もちろんその「武器」は「前へ、前へ」「攻めの姿勢」みたいなことを意味するメタファーなのだが、たぶんそのまま英語でweaponとやってしまうと、すごく滑稽になってしまうと思う*2。
ともあれ、この「自ら選んだ道」的な能動性の問題があるから、weaponised griefという表現は、「悲嘆を武器とする」とは訳せない。別に訳したければそう訳してもいいけど、違和感がハンパない。言ってることが英語と日本語で違いすぎる。
意味をなるべく正確にすくいとって日本語にすれば(ここでは構文は無視。翻訳の話だし)、weaponized griefは「悲嘆を武器として(部外者が、勝手に)利用する」ということになる。逐語訳なら「武器として勝手に利用された悲嘆」だ。
表現をすっきりさせたければ、ここで削るべきは「武器として」であって、「勝手に利用された」のチャンクは残しておくべきだろう。
本稿に先行するTwitterでのメモ:
こないだ、BorisとUniformのコラボアルバムで、Uniformの曲に "weaponized grief" というフレーズが出てきて、そのまま訳すのは簡単だけど「兵器化」「武器化」は日本語では詩にならない言葉だからさ(「~を武器とする」は前向きでポジティヴな表現)、まあ大変だったよね。そして数か月後の現実世界 pic.twitter.com/gKQyqNIAkY
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2023年10月18日
weaponize ~は「~を(当人の意思に反して勝手に)武器とする」の意味。weaponized griefでで、それが過去分詞だから、日本語で一番わかりやすい表現は「勝手に武器として利用されている悲嘆」。「悲嘆を武器にする」は悲嘆している当事者が自分でそれを武器にしているときの表現。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2023年10月18日
こんな実例、ほしくなかったな。
— nofrills/文法を大切にして翻訳した共訳書『アメリカ侵略全史』作品社など (@nofrills) 2023年10月18日
*1:私は友人がWashington Postのインタビューを受けるとは思ってなかったし、Rolling Stoneの「史上最も偉大なギタリスト」のリストで100位以内に入るとも思ってなかった。マーク・ノップラーやジョー・サトリアーニより上だよ。すごい!!!!!
*2:私がMonty Python脳だからじゃないと思うよ。 (・_・)