今回の実例は、いつもの「大学受験生向け」という枠を取っ払って、ちょっと例外的な実例のメモとして。
数日前まで日本語版電子書籍がセールで安くなっていたサイモン・ウィンチェスターの『博士と狂人』は、19世紀末から20世紀はじめの英国での一大事業であったThe Oxford English Dictionary (OED) を作った重要人物である言語学者(博士)と、OEDの編集方針に応じて内容を作り上げる作業に協力した精神病院入院患者にして博学なボランティア(狂人)の実話を核に、辞書を作ること、英語とはどのような言語であるかということを、辞書好きのジャーナリストが史料を集め読み解いて丹念に解き、わかりやすく綴った一冊である。メル・ギブソンとショーン・ペンで映画化されているが、ブログに書いたように、日本で見られるようになるのかどうかはわからない。それどころか、アラブや欧州の一部地域ではすでにロードショーが行われているものの、米国では限定公開の状態だし、物語の舞台である英国でもまだ公開されていない(権利周りでもめたせいだろう)。
この驚くべき実話の「狂人」とは、おそらく戦争体験が引き金のひとつとなって精神病を発症し、療養のために赴いたロンドンで妄想のために殺人を犯して、生涯を精神病院で過ごすことになったアメリカ人である。
彼、ウィリアム・チェスター・マイナーは19世紀という時代にスリランカに赴いていた米国の福音主義者の夫婦の間に生まれ、長じて米国に戻り、勉強を重ねて医師となったあと、南北戦争を戦っていた北軍に入り、軍医として悲惨な戦場を経験した。彼は医師として本来すべきではないことを上官の命令に従って実行した。そして精神的に崩壊して除隊となり、以後は元軍人として自身の病を癒しながら暮らしていくはずだった。しかし、彼は戦場でやらされたことが原因で大変な妄想を抱くようになっており(この部分、「ネタバレ防止」のためにぼやかして書いているけど、19世紀の歴史に興味がある人にはとても興味深いと思う)、その妄想ゆえに、ロンドンのテムズ川南岸のランベス地区(当時はロンドンに組み込まれていなかった)で、単なる通りすがりの労働者を殺めてしまった。そして殺人罪で裁かれることになったのだが、裁判では最終的に「精神疾患のため罪には問えない(無罪)」と判断され、その後生涯を、当時新築の精神病院の閉鎖病棟の中で、厳重な管理と監視のもとに置かれて、過ごすことになった。
マイナーは元々非常なインテリで、妄想が起きなければ、非常に頼りになる知識人だった。そのため、OEDをつくるという途方もない仕事をしていた言語学者のジェイムズ・マレー博士に協力していくことになる――という『博士と狂人』は、サクサクと読み進めておもしろく、深く読み込んでまた面白い本である。原著の出版が今から20年ほど前で、当時はインターネットも言語学におけるコンピューターの活用もまだまだささやかなものだったのだが、そのような技術とその利用が今のようになると想定されていたら、もっと違う切り口もあったかもしれないと思ったりもするが、ことばを使う誰もが一度は読む価値がある本だと思う。
という次第で、セールの機会に電子書籍版を購入して読み直しているのだが(紙よりも細かい読みができる……というか、紙だと読み飛ばしてしまうところが多い本だと思う)、つい昨日、この「狂人」を思い起こさずにはいられない記事を読んだ。
イングランド、デヴォン州のアレクサンダー・ルイス=ランウェルは、パブリック・スクールで教育を受けたような人物だが、今年2月8日の朝、農場の動物たちを勝手に外に出しているところを現行犯逮捕された。このとき本人が精神鑑定を拒否し、自分は自傷も他傷もしないと主張していたのだが、母親は警察に電話をして、他に行くところのない人間なので拘置しておいてほしいと告げた。
彼は拘置施設内で暴れ、施設の房を破壊した。農場からの動物の強奪と警察施設破壊で起訴され、その後、9日の早朝に保釈となった。
その7時間後、彼は鋸で83歳の男性を襲い、また逮捕された。このとき彼の留置を調べた警官は「釈放されれば公衆にとって深刻な危険を及ぼす可能性がある」としており、被害者の83歳男性も外に出さないようにしてほしいと述べていた。2度にわたる警察での拘束中に、5人の医療専門家(医師)が彼を診たが、即座に何かしなければならないほど状態が悪いとは結論されず、正式な精神鑑定は実施されなかった。検察も、この襲撃事件で起訴に足るほど十分な証拠がないと結論し、2月10日の朝9時半ごろに保釈となった。
同日昼の12時半には、アレクサンダー・ルイス=ランウェルはデヴォンからエクセターに移動していた。彼は、ある家の前で足を止めた。家の玄関ドアには、この家の住民が80歳であることがわかるようなメモがあり、ここで妄想が炸裂し、どういうわけか、この家の住民である老人は25年前に女の子を誘拐して、地下室に監禁していると思い込んだ。ルイス=ランウェルはこの家に乱入し、住民をとんかちで撲殺した。
それから3時間もしないうちに、エクセターの別の地域で84歳の双子の兄弟が暮らす家に来たルイス=ランウェルは、納屋から鋤を持ち出して家に入り、2人の住民を撲殺した。この高齢の兄弟が児童虐待と拷問をしていると信じ込んでいたためだった。
この日の夜はルイス=ランウェルは野宿し、翌朝の5時、今度はあるホテルのナイトポーターを襲った。この襲撃では相手は死なず、警察が呼ばれ、その結果、ルイス=ランウェルは逮捕された。彼自身は妄想の中で、自分の行動は警察に許可されており(なぜならこの数日前に警察から保釈されているので)、警察は自分の応援にかけつけたと信じていたようだ。
この3人の殺害について、今回、法廷は「精神疾患(妄想型統合失調症)のため無罪」と判断したが、警備の厳重な精神病院への入院が命じられた。
……というなかなかショッキングな事件とその裁判結果についての記事だが、実例として見るのはこの長い記事の中ほどの部分:
We can only hope that in the course of time, lessons learned are put into practice to ensure that there is no repetition of these awful events.
殺害された84歳の双子の兄弟、カーターさんのご遺族が、裁判が終わったあとに「もう二度とこのようなひどいことが繰り返されぬよう、今回のことで得られた教訓が実際にいかされるようになっていってほしい」と述べた発言だが、ここで太字で示したように、《名詞+過去分詞》の語順が用いられている。
過去分詞が後ろから名詞を修飾する場合(過去分詞の後置修飾)、通常は、分詞は単独でなく、何かいろいろな語句と一緒になっている。
He read some novels written in Japanese.
= written in Japanese がひとまとまりになって、先行のnovelsを修飾
(彼は、日本語で書かれた小説を何篇か読んだ)
分詞が単独で名詞を修飾するときは、後ろに置かず前に置く、というのが大原則である。
At the restaurant, he ate some cooked fish.
= cooked が単独で、直後のfishを修飾
(そのレストランで、彼は火を通した魚を食べた)
ただし実際には、まれに、過去分詞が単独で名詞の後に置かれることがある(過去分詞単独での後置修飾)。これについては、一般的な文法解説書ではっきり解説されているのを探すことは非常に難しいのだが、今回見た "lessons learned"*1のような実例に、まれに遭遇するのだ。分詞ではなく形容詞でもまれに、修飾される名詞が修飾する形容詞の前に置かれていること(形容詞が後置されていること)があるのだが、おそらくは語感的に、関係詞の節の省略形のような感じがしているからじゃないかと思う。よくある説明では「過去分詞があまり形容詞化しておらず、動詞が過去分詞になったという感覚がある場合」みたいなことが言われるが、わかるようなわからないような、そんな感じがするかもしれない。
lessons (that are) learned
(学ばれた教訓)*2
information (that are) received
(受領された情報)*3
rules (that are) set
(定められているルール)
Certain data used are derived from various sources believed to be reliable*4
(用いられたある種のデータは、信頼されうると信じられている複数のソースに依拠している)
この点、図書館にいけばひょっとしたらあるようなでっかい文法書には記載があるかもしれない。
さて、今回実例として見たこの記事が出たとき、同時に、イスラム過激主義の思想でテロ攻撃を計画していたとして2012年に有罪判決を受けて服役していた人物が、1年ほど前に早期釈放となったあとで、「有罪が確定し服役していた人の更生・社会復帰」というテーマでの学術イベントに招かれ、そしてそのイベントに刃を向けるという非常にショッキングなテロ事件が起きたばかりで、「服役囚の早期釈放(仮釈放)」という制度の問題が新聞など報道で大きく取り上げられていた。
だからなのか、「英国の刑事司法について考える」というトーンで記事は締めくくられているのだが、その部分に出てくる "G4S Health Services" のG4Sは、端的にいえば、刑務所や刑事まわりの施設の業務を請け負っている民間企業のひとつである。ここは以前からいろんな問題があるのだが、今回の見落とし (?) はかなりびっくりした。精神疾患を持つ加害者に刑事責任はないとして、殺された3人の高齢男性は、殺害の2日前に加害者の精神疾患が検知されていれば(そしてそれを検知する根拠はちゃんとあったようなのだが)殺されずに済んだだろう。
かといってこれがG4Sのような民間企業でなかったら、確実に防げていたかというと、そういう問題でもないかもしれない。
実にやりきれない気分になる事件で、何が正しいとかいったこともわからなくなる。
なお、3人を殺したアレクサンダー・ルイス=ランウェルは今回の裁判で精神鑑定を受けており、その鑑定にかかわったのはブロードムア高度警護病院(刑事事件を犯した精神病者が入院させられる精神病院)の医師のようだが、このブロードムアの施設は、『博士と狂人』のウィリアム・C・マイナーが入れられていた施設である。
*1:この表現は主に仕事で使うフレーズ(ビジネス英語)として成句になってもいる。See https://en.wikipedia.org/wiki/Lessons_learned
*2:日本語ではこれはいかにも不自然なので「学んだ教訓」というのが定訳になっている。
*3:同じく日本語では不自然なので「受け取った情報」とする。
*4:英文出典: https://jp.allianzgi.com/ja-jp/jp-insights/investment-themes-and-strategy/it-spending-is-rising-and-ai-could-benefit