今回も前回の続き。前回は、亡くなったときはベルギー国民からの人気もまるでなかったレオポルド2世(在位1865年~1909年)の像が、いつ、なぜベルギーのあちこちにたてられるようになったのかという部分を見た。ベルギーのコンゴ支配のことを含め、大まかな背景など、前々々回、前々回に書いたので、そちらをご参照のほど。
今回は、この「昔の国王」の像と現代とのかかわりについての部分を見ていくことにしよう。
記事はこちら:
キャプチャ画像最初のパラグラフ:
Last year a UN working group called on Belgium to apologise for atrocities committed during the colonial era.
太字で示した《call on ~ to do ...》は、「~に…するよう求める」という意味。意味的にはask ~ to do ...などととても近いのだが、使われる場面に、何というか、クセがある表現である。そういったクセについては、たくさんの用例に接することで徐々にわかってくると思うが、この例のように「国連の機関などが加盟国に…するよう求めた」という場面でよく見る。
「…するよう求める」という表現は、英語の勉強でも日常の日本語でのニュースでも頻出だが、それを英語でどう表すかはいろいろある。現在の新型コロナウイルス禍に際して各国政府が自国内の人々の行動を制限する(制限してもらう)ときに、例えばイタリアで行われていたような法的拘束力のある「命令」を出すか、日本のように法的拘束力がない形で、「あくまで個人個人の判断にお任せしますが」という形式をとって「自粛要請」を出す(より正確には「自粛」を「要請する」)かといったようにけっこういろいろあったことに気づいた人も多いと思うが、これは単に気まぐれで言葉を使い分けているわけではなく、かなり厳密な運用をしている。外務省が出す「渡航延期勧告」なども同様で、実際の意味としては「命令」のようなものとして受け取られているにしても、形式上はあくまでも「勧告」だ。小さなことのように見えるかもしれないが、実は社会のシステムとしてはかなり重要な使い分けである。
BBCのこの記事では、上記の記述の部分にリンクが貼られていて、その実際の「要請」の文面を、国連のどの機関(に所属するワーキンググループ)が出したものかも含めて、確認することができるようになっている。国連の文書の英語は読むのに骨が折れるかもしれないが、せっかくの機会だから見てみるとよいだろう。各パラグラフに番号がふってあるが、11までは前置きだから、この「要請」内容を知るためだけなら、飛ばしてもよい。
Statement to the media by the United Nations Working Group of Experts on People of African Descent, on the conclusion of its official visit to Belgium, 4-11 February 2019
https://www.ohchr.org/EN/NewsEvents/Pages/DisplayNews.aspx?NewsID=24153&LangID=E
OHCHR = the Office of High Commissioner for Human Rights (国連人権高等弁務官事務所)
さて、このように2019年にOHCHRのワーキンググループがベルギー政府に、過去の植民地支配で行われた残虐行為について謝罪するよう求めたのだが、それに対して当時ベルギーは次のように反応した。一気に読んでみよう。
Charles Michel, prime minister at the time, declined. He did however apologise for the kidnapping of thousands of mixed-race children, known as métis, from Burundi, DR Congo and Rwanda in the 1940s and 1950s. Around 20,000 children born to Belgian settlers and local women were forcibly taken to Belgium to be fostered.
ベルギーは2019年10月に首相が代わっていて、ここで出てくる首相は今の首相の前の人なので、第一文では、"prime minister at the time" という説明がコンマ2つで挟む形で《挿入》されている。
その第一文で "declined" と述べた次に、《接続副詞》のhoweverを使い、《強調》の助動詞doも使って、"He did however apologise ..." と述べている。つまり、国連人権高等弁務官事務所のワーキンググループによる謝罪要請には応じなかったが、それとは別の件で謝罪した、ということである。
その内容を述べている箇所:
... the kidnapping of thousands of mixed-race children, known as métis, from Burundi, DR Congo and Rwanda in the 1940s and 1950s.
下線で示した個所は、コンマ2つで挟んだ《挿入》で、ここは分詞句が来ている。「métisとして知られているが」という意味だ。
"Burundi, DR Congo and Rwanda" は、前回少し述べたが、レオポルド2世が私領として残忍な統治をおこなっていた「コンゴ自由国」が現在のDR Congo(コンゴ民主共和国)、BurundiとRwandaは第一次世界大戦までドイツの支配下にあったビクトリア湖のエリアで、ヴェルサイユ条約でベルギーの統治下に入った。このベルギー統治下のルワンダで強調された「ツチ」と「フツ」の区別が、ずっと後の1994年になって、ジェノサイドというすさまじい事態を引き起こすことになる。
ともあれ、1940年代から50年代にかけて、ベルギーは当時植民地だったコンゴ、ブルンディ、ルワンダで、ベルギー人男性と現地の女性との間に生まれた子供たち(メティ)を数千人という単位で「誘拐した」、とある。この「誘拐する kidnap」はとても強い表現だが、要は「親から無理やり引き離して連れてくる(いく)」の意味。ここでは母親から子供たちが引き離されたことを言っている。これらの子供たちは、アフリカ人ではなくベルギー人として育てるべきという政策があったのだ。(そしてこのころ、そのような政策をとっていたのはベルギーだけではない。また「黒人と白人の間に生まれた子」にも限らない。アイルランドでは結婚していない女性が生んだ子は、カトリック教会のもとで、組織的に、親から引き離されて養子に出されていた。「そうすることが子供のためだ」という価値観があったためである。)
このパラグラフの最後の文:
Around 20,000 children born to Belgian settlers and local women were forcibly taken to Belgium to be fostered.
下線で示した《to不定詞の受動態》 は《目的》を表す《副詞的用法》で、「ベルギー人入植者と現地女性の間に生まれたおよそ2万人の子供たちが、養子に出されるために、強制的にベルギーに連れて来られた」と直訳される。
こういうことについて、首相が(つまり「国」の代表者が)謝罪を行なった――これが、自身の植民地主義という過去と向き合うベルギーの最新の状況である。
次、小見出しを挟んで話題が変わる。ペンキをかけられたり、台座から外されたりした像はどうなるのか、ということだ。これも一気に読めるだろう。
Statues of Leopold II should now be housed in museums to teach Belgian history, suggests Mireille-Tsheusi Robert, director of anti-racism NGO Bamko Cran. After all, destroying the iconography of Adolf Hitler did not mean the history of Nazi Germany was forgotten, she points out.
青字で示した部分は長くてかさばっているが、発言者についての説明だからざくっと読み飛ばしてよい。
太字で示した部分は《助動詞+受動態》、下線で示した "to teach Belgian history" は、これまた《目的》を表す《副詞的用法》のto不定詞で、この文は「レオポルド2世の像は、ベルギーの歴史を教えるために、博物館に収蔵されるべきであると、反レイシズムNGOのバムコ・クランのディレクターであるミレイユ=ツエウシ・ロベールさんは考えを示す」という意味になる。
そして次に:
After all, destroying the iconography of Adolf Hitler did not mean the history of Nazi Germany was forgotten, she points out.
これは「像を壊すことは歴史を壊すことだ」みたいな単純でわかりやすく聞こえる保守派のスローガンめいた信条に対するカウンターで、そのスローガンと同じくらいわかりやすい。ナチスドイツのシンボルを公共の場から消し去ったことでドイツは歴史(黒歴史)を失ったか、1秒も考えなくてもわかるだろう。
ここで間接話法にもせず、引用符で直接発言を引用してもいないのは、おそらく、ロベールさんが述べた内容を記者が英語に訳して記述しているからだろう。ロベールさんが英語で語っていたら引用符が使われるべき場面である。
と、ここで既定の4000字をとっくに超えているのだが、今回は特例でさらに少し。
ベルギーに住んでいらしたことがあるid:cenecioさんのブログをぜひ読んでいただきたいので、少し引用の上、リンクを貼っておく。cenecioさんのところからリンクされているid:shohojiさんの2018年12月の記事にも。
朝はいつもNHKBSを見ている。「今日も抗議デモが中心だろうね」と思っていたら、BBCでは市民が銅像を引きずっていた。
それはエドワード・コルストンという人で、お気の毒にゴロゴロと転がされブリストル湾に投げ込まれた。皆さん大喝采だ。コルストンは奴隷商人で、アフリカから8万人もの人たちを連れ出し、アメリカ大陸に奴隷として送り込んだ男らしい。
そういえば、ベルギー国王レオポルド2世(1835- 1909年)の像が大変なことになっているという記事を読んだなと思い、探してきた。(ル・ソワール紙6月4日)
ベルギーの三カ所で像が汚されたり頭に布を被せたりしているのが見つかった。
LE ROI BLANC, LE CAOUTCHOUC ROUGE, LA MORT NOIRE
わたしは見ていないんだけど、2日か3日前の夜、arteで放送されたドキュメンタリーのタイトルです。
http://www.arte-tv.com/fr/semaine/244,broadcastingNum=500395,day=7,week=45,year=2005.html
……
ベルギーの独立は1831年、国としては非常に若いのですが、2代目の王様レオポルド2世の頃が、一番豊かでした。
なぜ豊かだったかというと、ベルギー領コンゴと呼ばれた植民地を持っていたからです。
このコンゴ、実は最初、レオポルド2世個人の持ち物でした。
それを後にベルギーの国のものとしたのですが、ここまでは、一応わたしも知っていたのです。驚くのはこの王様の支配の仕方。
ある人は、ヒットラー、スターリン、ポルポトと並ぶ虐殺者として並べているほどです。
この番組のタイトルは、白い王=レオポルド2世、赤いゴム=生産されアントワープ港に下ろされるゴムは黒人奴隷たちの血で赤かった、黒い死=虐殺された黒人たち、を、それぞれ指しています。
そしてshohojiさんのブログには、id:Gomadintimeさんのはてなダイアリーがリンクされているではないか。はてなダイアリーが廃止になってはてなブログに移行したため、shohojiさんのブログのリンクは機能しなくなっているのだが、Gomadintimeさんの記事はこれだろう。
Adam Hochschildは今回のレオポルド2世像撤去(アントワープ/アントウェルペン)のニュースに関連してTwitterで言及されているのを見たが、メモっていなかった。Gomadintimeさんの記事では、彼の本の中から、19世紀末から20世紀初頭にコンゴ自由国でのひどい実態について国際世論を盛り上げたエドマンド・ディーン・モレルについて述べている部分が紹介されている。
そしてモレルの問題提起を受けて現地調査をおこない、事態を動かす報告書をまとめたのが、1916年にイースター蜂起で処刑されるロジャー・ケイスメントなんだから、Gomadintimeさんのおっしゃる通り、本当におもしろい。
そしてid:cenecioさんのブログからもう1件:
レオポルド2世のベルギー国内での「善政」の具体例も紹介されているが、つまりそれは「ベルギー人は人間なので尊重せねばならない。コンゴ人は人間ではないのでベルギー人のために働かねばならない」という、帝国主義・植民地主義の苛烈な人種主義のあらわれである。というか、そのように見る視点こそがこれまでのオーソリティの側に欠落していて、今必要とされているものだ。
こんなことを書いていたら6000字を突破してしまうので、この件、本当にここまで。
あ、BBCの解説記事がタンタンに言及してないのは「やるな!」と思いましたよ。記号に頼らずによくやった。
参考書:
コンラッドの文章は、読んでいると、頭の中身がばりばりと食われているような気分になるのでつらくて読めないんっすよね。 何とか読破したけど、つらかった。