このエントリは、2020年6月にアップしたものの再掲である。
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今回の実例は、#BlackLivesMatterのうねりがとてもはやく波及していち早く銅像の撤去が始まった、ベルギーのレオポルド2世についての解説記事から。
レオポルド2世の在位は1865年から1909年。世界史で「西欧列強のアフリカ分割」の項で名前が出てくるかもしれない。ベルギー自体はその前、1830年の独立(オランダから)も世界史という教科の中で取り上げられているはずだ(宗教の意味、「国民国家」としての重要性に注目)。
レオポルド2世は独立したベルギーの2人目の国王だが、私は大学受験の勉強で「この人のおかげでベルギーは大暴走をぶちかまして先輩たちからシメられることになる」というイメージで頭に叩き込んだ記憶がある。とても雑な理解だが、的外れではないと思う。
即位前から植民地獲得に強い関心を持ち、他の列強の支配が及んでいないコンゴに目を付け、コンゴ国際協会を創設して探検を支援。先住民の部族長と協定を結ぶなどコンゴ支配の既成事実化を進めた。その結果、1884年のベルリン会議にてコンゴを私有地として統治することを列強から認められた(コンゴ自由国)。
コンゴにおける治世の初期は、鉄道敷設やアラブ人奴隷商人による奴隷狩りから黒人を守るなど、コンゴの近代化に努める面もあったが、先住民を酷使して天然ゴムの生産増を図り、イギリスなどから先住民に対する残虐行為を批判され、1908年にはコンゴをベルギー国家へ委譲することを余儀なくされた(王の私領からベルギー植民地への転換)。
つまり、一言で言えば、「コンゴ(大まかに、アフリカ大陸のくびれたところのすぐ南側の西半分の地域)で非道な行為を行った残忍な白人権力者」だ。その残忍さは、残忍さでは他人を批判など到底できるはずもない英国(イングランド)ですら批判するほどのものだった。ベルギー国内では独立間もない小国を成長軌道に乗せた名君なのかもしれないが、国際的には(当時の「国際」は西欧列強諸国の間でのことに限定されているといってもよいような状態だったにせよ)この風刺画(1906年11月、Punch誌)のようなイメージの人物だった。
そのような人物の像が、今回の #BlackLivesMatter のうねりの中で、ペンキを投げつけられ、「人種主義者」との言葉を書かれてさらされたあげく撤去されたというニュースがあったのは、早くも6月9日のことだった。下記は私の見ている画面内に誰かがリツイートしてきたオランダ語(ベルギーの半分はオランダ語を使っている)の報道機関のフィードを参照したもの。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) June 9, 2020
ベルギーでのこの展開は、英語圏でも注目され、その前に既にエドワード・コルストン像が台座からもぎ取られて全土に余波を及ぼしつつあった英国でも解説記事が書かれた。今回実例として見るのはそういう記事のひとつである。
記事はこちら:
当ブログでは英文法的な見どころがあるところだけをゆっくり読むが、英文としては難しくないし、内容はたぶん「世界史」で触れていることなので、大学受験生は自分のペースでがっつりザクザクと読んでみるといいと思う(わからない単語は飛ばしてよいが、飛ばしっぱなしにしないであとからでも辞書を引いてみよう)。今はとにかく自分でできることをどんどん見つけて自分のペースでやっていかないとならないというかなり厳しい状況だが、英語に関しては、こういうふうな素材はネットにはごろごろ転がっている。がんばってほしい。当ブログがその一助になれれば幸いである。
今回実例として見るのは、記事の最初の部分から。
書き出しの文:
Inside the palatial walls of Belgium's Africa Museum stand statues of Leopold II - each one a monument to the king whose rule killed as many as 10 million Africans.
主語はどれで、述語動詞はどれか、ぱっと見てわかっただろうか。
ヒント。まず文頭の "Inside" は前置詞なので、このあとは《前置詞句》と判断し、S+Vの構造には入らないものとして除外して読む。この前置詞句の切れ目が確実に判断できるかどうかが1つのカギになる。
答え。次のように読めていれば正解。太字が述語動詞、下線が主語だ。
( Inside the palatial walls of Belgium's Africa Museum ) stand statues of Leopold II - each one a monument to the king whose rule killed as many as 10 million Africans.
つまりこれは《倒置》の文で、ざっくりと「ベルギーのアフリカ博物館のpalatialな壁の内側に、レオポルド2世の像が(複数)立っている」という意味が取れればよい。palatialという単語は別に知らなくてもいいし、意味が取れなくても文意を取ることには対して支障はない(ちなみに、見ればわかるかもしれないが、palaceと関連のある単語で、「palaceのような」という意味である)。
そのあと、ハイフン(ダッシュ)で繋がれた部分は補足で、《所有格の関係代名詞》のwhoseが使われている点が、読解のよい練習になる。この部分は動詞がない名詞句で、日本語での「体言止め」というテクニックを使っている箇所だから難しく見えるかもしれないが、直訳すると「その(複数の像の)ひとつひとつが、その治世が1000万人ものアフリカ人を殺した国王のモニュメント」。もっと読みやすく普通の日本語にすると「その(複数の像の)ひとつひとつは、1000万人ものアフリカ人を殺した時期のベルギーを治めた国王のモニュメントだ」みたいな感じになるだろう。
その次の文:
Standing close by, one visitor said, "I didn't know anything about Leopold II until I heard about the statues defaced down town".
これはびゅんびゅん読めるのではないだろうか。太字にした部分は《分詞構文》で、「すぐそばに立って、1人の来館者が言う」という意味。
その発言内容は、下線で示した "not ... until ~" に注目。これは《It was not until ~ that S+V》というit ... thatの強調構文の中で使われているのが参考書などで重点的に解説されているが、これの強調構文を外した形が今回の実例に出てきている。
It was not until I got back home that I realised I left my umbrella on the bus.
(帰宅してはじめて、傘をバスの中に置き忘れてきたことに気づいた)
→ I did not realise I left my umbrella on the bus until I got back home.
(帰宅するまで、バスの中に傘を置き忘れてきたことに気づかなかった)
defaceは「像などにペンキを書けたり落書きをしたりする」というときに用いられる動詞。英語はたった1つの動詞でいろんなことを表せて便利だなあと感心しておこう*1。
つまり実例の "I didn't know anything about Leopold II until I heard about the statues defaced down town" は、「像が町中でペンキをかけられるなどしているということを耳にするまでは、レオポルド2世について、私は何も知らなかった」という意味である。
前回見た戦没者追悼のための碑のように、わかりやすいデザインがあったり言葉で説明する銘板があったりするようなものは別だが、よく見かける銅像について「昔の国王」だとか「昔の偉人」だとかいった漠然とした認識しかしていないということは、とてもよくあることで、ブリストルのエドワード・コルストン像についてもそういう発言をTwitterではいくつか見た。
日本の場合、敗戦という事実によって過去との間にかなりばっさりとした断絶があるが(銅像の場合、敗戦以前に金属供出ということもあっただろう。私は子供のころ住んでた街のお寺の鐘が供出された話を、学校の課題で地域の歴史を調べて壁新聞を作ったときに、住職さんから聞いたことがある)、そういうばっさりとした断絶がない国も多い。ベルギーの場合は、独立前にオランダの王室を讃えていた像があったとしたらそういうのはきっと除去されているだろうが、その後はどういう断絶はないかもしれない(ということについても、この記事は後の方で述べている)。
最近、はてなブログの編集画面で、WordPressのように総字数が表示されるようになったが、これを機に、1記事は多くても4000字に抑えようと思っている。今この時点で既に4000字を超えているので、今回はここまで。
「キャプチャ画像の中にまだあれがあるじゃん」と思ったあなたは正しい。それはまた次回。
これまでしばらく、毎日昼の12:30を投稿時刻としてきましたが、当面、午後の15:30にしてみます。また12:30に戻すかもしれないし、このままにするかもしれないし、もっと遅くにするかもしれません。