Hoarding Examples (英語例文等集積所)

いわゆる「学校英語」が、「生きた英語」の中に現れている実例を、淡々とクリップするよ

【再掲】関係副詞, threaten to do ~, 無生物主語, など(レオポルド2世の像と歴史修正)

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このエントリは、2020年6月にアップしたものの再掲である。

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今回も、前々回前回に続いて、アフリカ大陸のコンゴを支配し、現地の人々に残虐行為を働いたベルギーのレオポルド2世(在位1865年~1909年)についての解説記事から。大まかな背景などは前々回に書いてあるので、そちらをご参照のほど。

これまでに見たように、レオポルド2世のコンゴ支配は苛烈を極めるものだった。王の私的な領地とされたこの地で、人々は筆舌に尽くしがたいような扱いを受けた。

国王の私領となったコンゴ自由国では耕作地も全てが国王の所有となり、住民は象牙やゴムの採集を強制された。規定の量に到達できないと手足を切断するという残虐な刑罰が容赦なく科され、前代未聞の圧制と搾取が行われていた。コンゴ自由国の自由国とは、「住民が自由な国」という意味ではなく、自由貿易の国という意味を当てこすった英語の俗称 (Congo Free State) であり、公用語である仏語における正式国号はコンゴ独立国であった。

ja.wikipedia.org

この苛烈な状況に、当時植民地主義がデフォだった「国際社会」(当時の「国際」はおおむね西欧列強諸国の間でのことをいう)も黙っていられず、現地に英国の調査団が入ったほどだが、その調査報告をまとめた "英国" の外交官、ロジャー・ケイスメント(英国系アイルランド人)が「わが英国がわがアイルランドでやってることもこれと同様なのでは」と気づいてしまい、1916年のイースター蜂起への流れ(反英抵抗運動の武装化)につながっていくというつながりも前回書いた通りで、実に何がどこでどうつながるか、わからないものである。

というわけでレオポルド2世は1909年に亡くなったとき、国民からは大不評にさらされていたという。

独裁国家で自国民を殺しまくっている独裁者の銅像が国のあちこちにあるという例はあるが、ベルギーは立憲君主制の国だ。国民から愛想をつかされたような国王の銅像をあちこちに立てて顕彰するということは普通ありえない。「ダメな王様」は死んだらそのままそっと語られない存在、忘れられる存在になるものだ(「世界史」をやった人なら聞いたことがあると思うが、イングランド/英国に「ジョン王」の例がある)。

それが、このたびの #BlackLivesMatter 運動でペンキを書けられたり撤去されたりするといった事態になるほど、あちこちに銅像がたっているのはなぜか。

今回はそれを説明した部分を読んでいくことにしよう。

記事はこちら: 

www.bbc.com

今回は、適宜ウィキペディアなどを参照しながら、事実(ファクト)を確認しつつ英文を読んでみることにしよう。

 

f:id:nofrills:20200618143054p:plain

2020年6月13日, BBC News

But in the chaos of the early 20th Century when World War One threatened to destroy Belgium, Leopold II's nephew King Albert I erected statues to remember the successes of years gone by. 

 《関係副詞》のwhenが使われている。先行詞は "the early 20th Century" だ。

ここで関係副詞の節の中を正確に読むには、World War One, つまり第一次世界大戦がいつのことなのかを知っていることが前提となる。知らない人は今さくっとネット検索して確認しよう*1。レオポルド2世が没してわずか5年後に始まっている。

レオポルド2世には女の子供しかおらず、当時女性が国王となることはベルギーは認めていなかったので、後を受けて国王になったのはレオポルド2世の甥にあたるアルベール1世だった。1875年生まれで、1909年の即位時は34歳、1914年の第一次世界大戦勃発時は39歳という計算になる。

第一次世界大戦に際してベルギーは中立保持の姿勢を採っていたが、ドイツがシュリーフェン・プランによってベルギーの領内通過を求めるとこれにアルベール1世は反発した。ドイツ軍がベルギーの中立を犯して領内の通過を実施すると、「ベルギーは道ではない。国だ」と述べ、同時に「結果はどうであろうと、拒絶する。我々(王族と軍人)の義務は国土を守りぬくことだ。この点で間違えてはいけない」と閣議で語って、ベルギーを守ることを最優先とし、ドイツ軍の侵攻に根気強く反抗した。

ja.wikipedia.org

これが今回のBBC記事で、"the chaos of the early 20th Century when World War One threatened to destroy Belgium" と表されていることの内容である。

《threaten to do ~》は、threatenという動詞の意味を日本語で「脅迫する」などと把握していると意味が取りづらく、なおかつ訳しにくくなるが、「threaten = threatになる」ということを押さえておけば、少なくとも意味が取りづらいということはないだろう。

Collins Cobuildを参照すると、さらに意味がわかりやすくなる。

If something unpleasant threatens to happen, it seems likely to happen.

https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/threaten

"World War One threatened to destroy Belgium" は、《無生物主語》の構文でもある。ここは「第一次大戦によってベルギーが破壊されるという脅威がせまっていた」というようにとらえておけばよいだろう。 

 

基本的に、ドイツ対フランスの戦争であったこの大戦で、両国の間に挟まれた小国ベルギーは「道」扱いされた(軍事的には中立国だったにもかかわらず)。ここでアルベール1世は、「ベルギー王国の輝かしい日々」を思い出させようとして、国内各地に先王レオポルド2世の像をたてたのだという。

この記事のこの記述だけでは具体的にどういうふうなのかがわからないので、ここでまたウィキペディアを見てみよう。レオポルド2世の項に "Statues in Belgium" というセクションがある。

Several statues have been erected to honour the legacy of Leopold II in Belgium. Most of the statues date from the interwar period, the peak of colonial-patriotic propaganda. The monuments were supposed to help get rid of the scandal after international commotion about the atrocities in the Congo Free State and to raise people's enthusiasm for the colonialism in Belgian Congo.

https://en.wikipedia.org/wiki/Leopold_II_of_Belgium#Statues_in_Belgium

太字にした部分にあるように、像のほとんどは戦間期、すなわち第一次大戦が終わったあと、第二次大戦までの時代に作られたということだ。国土をめちゃくちゃにされたベルギーの立場では「戦後復興」の時代である。

レオポルド2世の私領として搾取されまくっていたコンゴは、1908年に「王の私領」ではなく「国の領土」とされ、「ベルギー領コンゴ」となった。つまり、ベルギーの植民地である。「コンゴ自由国(王の私領)」時代のひどい状態を「終わった話」とし、いわば「我が国の一部」として「我が国」の成長・発展のための地として共存共栄していこうという歴史修正が行われたわけだ。実は搾取は終わった話ではなかったのだが。

こうしてベルギー国内で「立派な王」として修正されたレオポルド2世のイメージは、その後何十年も保たれ続けることになった。

This makeover of Leopold's image produced an amnesia that persisted for decades.

https://www.bbc.com/news/world-europe-53017188

"amnesia" は医学用語で「記憶喪失症」の意味だが、特に《歴史》や《物事の経緯》について「喉元過ぎれば熱さ忘れる」的なことが起きるときに「忘れてしまうこと」という意味で用いられることがよくある。この文でもその意味で用いられている。日本語でも「記憶喪失」が医学的厳密さを伴わずに用いられることがよくあるが、それと同様である。

 

ベルギー領コンゴは、ドイツ領だった東隣のヴィクトリア湖のエリアともども、1960年代までベルギーの支配下に置かれた。ベルギーはマンハッタン計画で用いられたウランにもかかわっているし、1994年にジェノサイドが起きたルワンダの「ツチ」と「フツ」の対立も、ベルギー支配下に端を発したものだという。

つまり、意外と根深いし、意外といろいろある。今回のレオポルド2世像の撤去のニュースは、そういった文脈を踏まえてみる必要があるだろう。そもそも #BlackLivesMatter で撤去される前に、21世紀に入ってから、レオポルド2世の像はたびたび、ペンキをかけられたり、(かつてコンゴで人間たちがやられたように)手を切り落とされたりしているということが、ウィキペディアのまとめでわかる。

 

ここでまた4000字を超えてしまったので、このへんで。

 

参考書:  

英文法解説

英文法解説

 

 

 

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