今回は前回の続き。
まず前置きとして、前回のエントリへのブクマから:
こういう人ってシンガポール英語表記とか見る度に一々ブチ切れてるのかな
https://b.hatena.ne.jp/entry/4688560548380032066/comment/Big_iris
だれがシングリッシュの話をしている。(怒)
こっちはこっちの文脈があって発言してんだよ。(怒)
こうやって勝手に話をすり替えて悦に入る奴が、一番たちが悪い。自分が話をすり替えているということ、たちが悪いということを自覚しないからだ。
ちなみにシングリッシュは、日本のめちゃくちゃな英語、日本語で言うと何かまずいことがあるからゴマカシのために使われる英語もどきなんぞより、もっとまともである(あれはあれなりに一貫性がある)。
前置き終了。本題。
前回は、goは常にtoを伴うわけではないということを指摘し、英語のtoには《前置詞のto》と《to不定詞のto》があるということを説明し、"go to travel" だの "go to eat" だのといった《go + to不定詞》の英語としての不自然さを見た。
日本政府の例の「GoToキャンペーン」が、「GoToトラベル」と「GoToイート」だけなら、《to不定詞のto》の話だけしてればよかったのだが、私はここで《前置詞のto》の話もしている。
それはなぜかというと、「GoToキャンペーン」には、「GoToトラベル」と「GoToイート」のほかに、「GoToイベント」てのがあるからである*1。
「イベント」は英語のeventを元にしたカタカナ語で、それ自体は何も問題はない。単なる名詞だ。
だが、「GoToイベント」となると、「勘弁してくれ」となる。
https://t.co/JBnWF5egbJ この変な英語見るだけで頭おかしくなる。まず "go to travel" のアレさは措いておくとして、go to travelとgo to eatはto不定詞。go to eventのtoは前置詞(eventは名詞)。そして、eventはなぜ複数形にしない? こういう名称考える官僚、エリートさんなんでしょ? 何やってんの
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年4月23日
仮に自分が英語を使えなければ、英語を使わない名称を考えるか、英語は英語として専門家を呼ぶかのどちらか。しかし日本政府・当局はそのどちらもしない(五輪スタジアムの英語標識で明らかにされた通り)。それでいて「英語が使える日本人」がどうたらいって教育はあのザマ。いいかげんにしてほしい。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年4月23日
政府のGo to travel, Go to eat, Go to eventのなんちゃって英語より、今時、100円均一ショップの商品のパッケージに印刷されてる英語のほうが正確ですよ(100均の商品は本当に国際展開してるから)。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年4月23日
この状態で "Go to" とか言われたら、直後に続ける語としては、Hで始まって次がEで、最後にLが2つの語しか思いつかん。
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年4月23日
マスクとティータイムの件から察するに、浮世離れしたエリートさんまたは議員が「庶民にわかりやすい単語じゃないと」的に鉛筆舐めたと思われ。なお、力関係は議員>(超えられない壁)>官僚なので、万が一官僚が正しい英語で書いたとしてももし議員が改悪した場合、もちろん議員の修正が優先されます。
— 🏴yukikaze🏴 (@yuki_bateauivre) 2020年4月24日
実際のところ、五輪関連の顛末を見るに、政策決定者・意思決定者の最上層部は誰も英語が使えるレベルではなく、下っ端が英語ができても何も言えないのだろうと思っています。というか英語ができる下っ端は「英語だけできてもしょうがないんだ」と言われて黙らされているのだろうと。それが本邦官僚機構
— n o f r i l l s /共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2020年4月24日
厚労省内で政策決定の要職を占める医系技官
— moka_a (@B4_Studio) 2020年7月14日
(実務経験のない所謂ペーパードクター)の世界も
英文を読めるのは相当マイノリティで、結果、
最新の医学的知見からも見放され、輪を掛けて
「お山の大将」状態をこじらせてるそうですね。
「PC使えないけどサイバー担当大臣」は
わが国の病巣の象徴かと。
政府がやっているのは、
この3つを「GoToキャンペーン」としてひとまとめにすることだ。
だが、前回から指摘しているように、"Go to travel", "Go to eat" の "to" (不定詞のto)と、"Go to events" の "to" (前置詞のto)は別物である。
日本語でたとえて言えば、音は同じだが漢字が違う、というものだ。「雨」と「飴」を同一視することはできない。「皿」と「更」を同一視することはできない。「風」と「風邪」を同一視することはできない。
それと同じように、《to不定詞のto》と《前置詞のto》を同一視することはできないのである。言語的に。
しかし日本政府は、極めて政治的な判断で、これらを同一視している。あるいは元から、これらを区別する能力(英語力)がないのかもしれないが、それならなおさら、「英語のできる日本人」というバカげた理想を掲げて「スーパーグローバルハイスクール」とかやってるのは一体何なのかと。
というかそもそも、日本は英語を公用語としているわけではないのだし、日本国政府は日本語で政策を打ち出し、説明すべきである。
かつて、「小室サウンド」が流行っていたときに、音楽のよしあしとは別に、歌詞のあのひどい英語がネタになったことがあった。まだ一般人がインターネットを使い始める前のことだ*2。「ネタになった」といっても、直接顔を合わせてくだらない話をする友人関係などに限られていたが、当時私はたまたま学習塾で教えていたので、小室サウンドにさらされている中学生・高校生に、「"Can you celebrate?" という言い方の何がおかしいのか」、「"Body feels the exit" はなぜ排泄欲求を声高に叫んでいるようになってしまうのか」を説明することもあった。
ポップソングでの「ひどい英語」は小室サウンドに限ったことではなかったのだが、小室サウンドは本当に世の中を覆いつくしていたので、影響力の大きさは他のポップスの比ではなかった。
それでも、その「小室サウンドにおけるひどい英語」は、民間人が勝手にやってることでしかなかった。
2020年の「GoToキャンペーン」は、それと同じようなことが、官製で行われている。ここに私は絶望を覚える。怒りではない。絶望だ。
しかもその政府はこれと同時に「英語のできる日本人」云々を掲げ、「英語4技能」云々で試験をめちゃくちゃにしている。
その中でできることをやっていくしかない。これは極めて「新自由主義」的な態度ではあるだろうが、現実として、個人にはそうすることしかできないのだ。当ブログはそのための場と考えている。
今回はものすごく変則的なエントリだった。次回から通常運転に戻りたい(が、何かあったらどうなるかわからない)。
※3720字
参考書: