このエントリは、2020年2月にアップしたものの再掲である。
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今回も、先日のエントリに引き続き、音声を素材に聞き取りをして文法を見てみよう。というか、「聞き取るためには文法と語彙力が必要」ということの意味を確認してみよう。
すごく簡単に説明すると、誰かが口頭で発する「もにゃもにゃもにゃもにゃ」という音の連なりを、「〇〇ポイントカードはお持ちですか?」と認識するためには、「ポイントカード」、「お持ち」、「ですか?」が《ことば》であるということを、聞き手の側があらかじめ知っておく必要がある。
特に「お持ち」、「ですか?」は重要だ。この例では、「お持ちですか?」が聞き取れないとコミュニケーションが全然取れない。別の言い方をすれば、「お持ち」は「持つ」という動詞の別の形であることを知っていないと「お餅」だと思ってしまうかもしれないし、「お持ちですか?」を「おも」+「ち」+「で」+「すか?」と認識して「主地でスカ?」とか「重血で須加?」と解釈してしまうかもしれない*1。
「ポイントカード」がどういうものかを知っていれば、「〇〇ポイントカード」という固有名詞は知らなくてもコミュニケーションは成立するが(「〇〇ポイントカード」という固有名詞を知らない人は、おそらくそのポイントカードは持っていないだろうから、「何ポイントカードだかは知らないけど」と言語化されるまでもないことを頭の中に思い浮かべて「持ってません」と答えるはずである)、「ポイントカード」を知らない場合や「ポイントカード」という単語を認識できない場合は、「何を持っているかですって?」ということになってしまう。
また、「〇〇ポイントカードは」の「は」は助詞で、これは実際には聞き取れないくらい小さく、弱く発音されていることが多いが、私たちは頭の中でそれを補って聞き取っている。聞き取っているわけではなく、推測して解釈しているのだ。
この推測の根拠となっているのが文法とか構文の知識で、これが補えるということは、この言語(日本語)が使える、この言語に慣れているということだが、そうでない人がここは何なのか、「に」なのか「が」なのか「の」なのかといったことで頭を悩ませてしまうかもしれない。
あるいは「〇〇ポイントカード、お持ちですか」と、助詞を一切発音しないことすらあるが、それを私たちは "Do you have 〇〇 pointcard?" という意味であると解釈するのであって、"〇〇 pointcard has?" などとは解釈しない。
というわけで、単に音だけ聞かされても、人はそれを《ことば》として聞き取ることはできない。《ことば》として聞き取るためには、単語を知っていなければならないし、文法・構文の知識が必要だ。
それを前提として、下記の音声を聞いてみよう。話者は日本生まれの日本育ちでネイティヴ日本語話者のカズ・ヒロさん(2019年に米国籍を取得。日本の法制度では二重国籍が認められておらず、よその国の国籍を取得すると日本国籍を放棄しなければならないので、国籍としては「元日本人」)。2月10日の米アカデミー賞でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したときのスピーチだ。
全部で1分28秒あるが、最後の数秒はクレジット表示で本体は1分20秒くらい。最初の24秒は受賞者発表と登壇シーンなので、耳は休ませてぼけーっと見ていてよい。そのあと、カズ・ヒロさんがスピーチを始めるので、まずはこの人の発音に耳を慣らすつもりで聞いてみよう。「ネイティヴ日本語話者による、世界の舞台での通じる英語」のお手本としてはこれ以上望みようのない音声素材である。つまり、重要な部分さえ押さえていれば、「ネイティブみたいな発音*2」である必要はない。
#Oscars Moment: Kazu Hiro (@kazustudios), Anne Morgan and Vivian Baker win for Best Makeup and Hairstyling for @bombshellmovie. pic.twitter.com/ng6bbZ1b1k
— The Academy (@TheAcademy) 2020年2月10日
受賞スピーチだから「だれそれに感謝します」と述べる部分が多く、人名がやたらとたくさん出てくるが、そこは聞き飛ばしてしまってよい(聞き飛ばしてよい箇所を判断できるかどうかも聞き取りの力のカギになる)。その上で、このスピーチを聞き取れるかどうかは、まずはこういうときの定型表現を知っているかどうか、あるいはその定型表現そのものを知らなくてもその表現に使われる単語を知っているかどうかになる。
そして終盤、カズ・ヒロさんのスピーチが定型表現を離れて受賞作で主演とプロデューサーをつとめたシャーリーズ・セロンに感謝と賞賛の気持ちを伝えるところでは、より一般的な表現が使われており、「定型文の聞き取り」ではなく一般的な文の聞き取りとなる。
スピーチの全文文字起こしは見つけられていないが、終盤の文字起こしが下記記事に含まれているので、 正しく聞き取れているかどうか確認したい場合などはそちらをご参照のほど。
開口一番、カズ・ヒロさんは次のように述べる。
Thank you very much. This is a great honor*3. We would like to thank ...
これは何か受賞したりしたときのスピーチの定型表現。「どうもありがとうございます。たいへん光栄です。……の方々に感謝いたします」という意味。
ネット上の日本語圏では「ネイティヴは "Thank you" なんて言わない」式の極論がもてはやされがちだが、「言わない」のではなく「言う場面を選んで使っている」だけのこと。正式な賞を受賞した人が "Thanks, guys." なんてスピーチを切り出したら「学校で友達同士でたたえ合ってるわけじゃないぞ」と顰蹙を買うだけだから、気をつけてほしい。
《would like to do ~》の使い方もポイントで、ここで「意味」が同じだからといってwannaなんかを使ってしまうと、場違いすぎて笑いを取っているのかと思われるか、単に顰蹙を買うかだろう。
その後、40秒のところで一度文が切れて:
And the casting crew and friends and family for their amazing support, ...
と、さらに「誰それに感謝します」のセクションが続いていく。この文は、《省略》を補って書くと、 "And we thank the casting crew and friends and family for their amazing support, ..." で、《thank ~ for ...》(「…に関して~に感謝する」)の形になっている。
そして47秒のところからが本題部分のスタート:
And we would like to give our heartfelt thanks to Charlize Theron. You're amazing.
ここでカズさんが、舞台下の最前列に座っているシャーリーズ・セロンの目を見て話していることも注目点のひとつ。
《would like to give our thanks to ~》は、《would like to thank ~》と「意味」は同じだが、丁寧さ・重々しさのレベルが違う、重みのある表現である。ここではさらに、thanksにheartfelt(「心からの」)をつけて、感謝の度合いを高めている。これもスピーチなどでの定型表現なので、覚えておくとよい。
なおここではカズ・ヒロさんは3人のチームで受賞したので主語をweにしているが、単独での受賞なら主語はIだろうし、このフレーズも "I would like to give my heartfelt thanks to ~" となる。
そのあと、55秒くらいから:
You are an amazing actor and producer, and your compassion, love and care made this film possible.
太字で示した部分は《make + O + C》の形で、「あなたの思いやりと愛とケアが、この映画を可能にした」と直訳できる。普通の日本語にするなら「この映画は、あなたの思いやりと愛とケアがあってこそ、実現できました」みたいな感じだろう。
あと、ここでカズさんは女性の役者であるシャーリーズ・セロンについてactressではなく "actor" と述べているが、これは最近の傾向である。
最近、役者は性別にかかわらずactorで表されている例を見ることが増えている。ウマ(ユマ)・サーマンの件の報道で、BBCはactressを使い https://t.co/MFls1OEqYC ガーディアンはactorを使っている https://t.co/EUe7VoRnxO ことに気づいたのでメモ。 pic.twitter.com/YsVMGKGDOf
— nofrills/共訳書『アメリカ侵略全史』作品社 (@nofrills) 2018年2月4日
次、1分3秒から:
Because of your bravery and passion, we were able to set a new bar*4 in the make-up industry and create a new way to tell stories.
"because of ~" は「~が原因で」で、英語学習者が必ずぶち当たる疑問に「これとowing to ~やらthanks to ~やらとの使い分けはどうしたらよいのか」といったものがあるが、あまり深く考えすぎなくてもよいというか、しっかり理屈があって使い分けられているものでもないから、自分で書いててここでこの表現は浮いてるかなと思わなければ大丈夫と思えるくらいにセンス(感覚)を身に着けたほうがよいだろう。私ならここはThanks to your bravery and passion... とするかな、と一瞬思ったんだけど、それだと何か押しつけがましいし、何より全体的に "thank" という単語が増えすぎてうるさい気がする。Owing toでは文語かよっていう感じだし、Because ofがしっくりくるなと最後には思った。
"set a new bar" は《set the bar》(「基準を設定する」)を踏まえた表現で、「新たな基準を設定する」。
主演でプロデューサーのシャーリーズ・セロンが思い切ったことをやらせてくれたので、映画においてメイク(特殊メイク)にできることがまた広がった、ということを述べているわけだ。
最後、1分16秒から:
We wouldn't be getting this award without you.
《without ~》は「~なしで」。ここでは助動詞の過去形であるwouldと組み合わさって《if節のない仮定法》になっている。
Without your help. we wouldn't succeed. ※仮定法過去
(あなたのご助力がなければ、私たちは成功しないでしょう)
Without your help, we wouldn't have succeeded. ※仮定法過去完了
(あなたのご助力がなかったら、私たちは成功しなかったでしょう)
下線で示した "be getting" は《進行形》で、このスピーチでは「今まさに賞を受けている」ので進行形が使われている。こういう進行形が自然に使えるようになると、表現の幅はぐっと広がる。
なお、awardの発音は、あえてカタカナで書けば「アウォード」だが、日本語では間違った読み方がカタカナとして定着してしまっているので、日本語母語話者は英語でしゃべっててもその間違った読みを引きずってしまうことがあり、ここではカズ・ヒロさんも日本語の「アワード」に引っ張られているように聞こえる。それでもここでは「授賞式のスピーチ」という文脈があるから誤解の余地はないのだが、常にそういう文脈があるわけではないので、なるべく意識して「アウォード」の音を使えるようにしておきたい。
もうひとつ、カズさんの「アワード」っぽい発音で間違いなく通じているのは、語強勢(単語の中のアクセント)がしっかりawardと第二音節に来ているからで、これがカタカナ語でときどき見られるように「アワード」と第一音節に語強勢を置いてしまったら、たぶん全然通じないと思う。
ちなみにawardの標準的発音は下記映像の10秒のところで確認できる。レオナルド・デカプリオが "life achievement award" と発話するので、それを待ち構えて聞いてほしい。
Robert De Niro: Award Acceptance Speech | 26th Annual SAG Awards | TNT
というところで、少し長くなってしまったが、スピーチ自体は1分くらいなのでさくっと聞いてみていただきたいと思う。「英語を使える日本人」になろうとしている英語学習者、特に高校生でこれから自分の道を開いていくみなさんには、カズ・ヒロさんのように英語を使って中身のある話ができるようになることを目標にしていっていただければと思う。
カズ・ヒロさん、おめでとうございます。
I want to thank everyone involved pic.twitter.com/xVN223zfTc
— Kazu Hiro (@kazustudios) 2020年2月11日
参考書:
[音声DL付]ENGLISH JOURNAL (イングリッシュジャーナル) 2020年1月号 ~英語学習・英語リスニングのための月刊誌 [雑誌]
- 作者:アルク ENGLISH JOURNAL 編集部
- 出版社/メーカー: アルク
- 発売日: 2019/12/06
- メディア: Kindle版
*1:実際、パソコンやワードプロセッサーでの日本語入力の漢字変換の仕組みは、こういうのをいかに克服するかという課題と常に向き合ってきた。
*2:日本における「ネイティブみたいな発音」は多くの場合、アメリカの巻き舌の強いベタベタしたアクセント(しゃべり方)を大げさに表現したものである。ああいう英語を使っている「ネイティブ(・スピーカー)」は全体の一部に過ぎない。あの発音が性に合っている学習者はあの発音をお手本にすればよいが、無理と感じたら無理に追求する必要はない。アクセントのお手本はほかにもあるので。
*3:当ブログは普段イギリス式の綴りを使っているが、今回はアメリカ式で。イギリス式だとhonourと綴る。
*4:ここ、私はwere able to set a new barと聞こえるんだけど、デイリー・メイルはare able to set a new powerと聞いたみたい。CNNは私の聞き取り結果と同じ。こういう「揺れ」は、ネイティヴ英語話者が聞いてもありうるんだよね。barかpowerかはまあ単に音の問題だけど、wereとareは文法面でもかなり違うので、メイルがどうしてこう聞き取ったのかは不思議な気がするけど。